第肆章 神座王集う 断章 三日月の庭
龍虎両雄が対峙していた頃……。
一条宮邸、客間……。
三日月と星々が煌々と照らす夜天と優美な曲線を描いている風光明媚な白砂の庭を一望できる奥座敷――と言えば、聞こえが良いが。
畳には特徴的な鼻につく香がただよい、掛け軸や豪奢な屏風が部屋を一層無駄に彩り、むしろどこか澱んだ空気が沈澱している。
唯一、心地がいいのは、先刻から奏られている琵琶の雅かつ軽快な音色だけだ。
それが、この座敷――この邸に招かれた客人の感想だった。
「ふぅ……退屈だ」
禍々しく妖しい光沢を放った紅鶸の長髪をなびかせ、どこか退廃的な仄暗い光を灯した薄青の切れるような双眸と、翳りのある面立ちの美丈夫が、脇息に身を預け杯を傾けながら独り言ちる。その身にまとっているのは、唐国風の官服で上等な布で仕立てられたことが一目でわかる造りだ。
「なにがや?」
それに相槌を打つのは、先刻から撥を手に琵琶を鳴らしているザンバラ髪を雑に結った青年だ。
顔立ちこそ端麗でともすれば姫君と見紛うほどの美貌だが、それを打ち消してあり余る野性味を宿した猛禽のような瞳が特徴的だった。
その上、目元をはじめ隈のような化粧を施し、唇には紅すらさしている。服装も女物の着物を外套のように羽織り、袴に動物皮をつぎはった異様な風体だ。市中をねり歩く傾奇者と言われれば、まかり通る佇まいであろう。
だが、この邸にそのような身分の者が出入りできる道理も無し。これでもれっきとした公家の公達である。
彼の名を、紀宝胤鳴季という。
摂権家が一角萩原家麾下の公家『紀宝胤家』の先代当主の三男坊であり現当主の三弟。ついで御覧の通りの放蕩公卿である。
そして、唐国風の官服をまとった美丈夫は、それの示す通りこの国の人間ではない。
東西大陸の中原一帯を支配する大帝国『藍』で宦官と呼ばれる去勢された、後宮に仕える官吏のひとりだ。
「すべてだ。我が国もこの国もすこぶるつまらん」
流暢な倭蜃語で溜息をつく宦官に、鳴季はどこか呆れたような笑声を漏らす。
「ならなんで是叡の阿呆とつるんどんねん?」
「そのお膝元でいい度胸だな……。ここの家人に聞き咎められた日には、そなたの家が瞬で終わろうほどに」
「かまへん、かまへん」
だが、傾奇者の公卿は意にも介さない。
「そん時は、どっかに逐電するだけやがな。勝弘や悠叡みたいにな」
途端に宦官は眉をしかめる。鳴季が挙げた両者の名は、昨今摂権家の分家筋に連なる子息たちながら、現摂権の政策を批判した挙句に本家の蔵を襲って財産を強奪し、それを苦しく貧しい日々を強いられている扶桑の民草へとばら撒いたのだ。
結果、二人はともに最南端の僻地『汲州』へと流罪に処されたのだ。以来二人の名は暗黙の内に禁句とされている。
もっとも、以前から二人と親しかった鳴季はこの通りまるで気にも留めていないが……。
「問題発言に加えて、これまた禁句を矢継ぎ早と……。晴季殿の苦労が偲ばれるな」
晴季は鳴季の長兄で紀宝胤の現当主だ。
萩原当主・清聡の下で働いている新進気鋭の公卿であり、不真面目かつ素行不良な三弟とは真逆に生真面目で清廉な人物なのだが――
「兄さんは潔癖すぎてつまらんわ。口に出すことは正論ばっかやけれど、それがまかり通るくらいなら、是叡の阿呆の天下になんぞ元よりなっとるかいな。そない阿呆みたいな世で出しゃばったところで出る杭は打たれる。勝弘と悠叡みたいにな……。せやったら、こないな浮世で真面目に生きとっても窮屈なだけやないか。こうしてかぶく以外になんぞすることでもあるんか?」
「……そなたは流罪となった二人のように世を正すとは言わぬのだな」
咎めているというより、淡々と事実のみを述べる声音で問う宦官に鳴季は爆笑を返した。
「なんや、それ? 俺には小難しいことなんぞ何もわからへん。俺はただおもろいことが好きなだけや。政だの、権謀だの、そない面倒臭いことは、そういうのが好きな奴がやったらえぇ」
と、払い除けるような手の仕草でのたまった。
「公家の子息とは思えぬ言動だな」
にべもない。身も蓋もない。おまけにあっぴろげすぎる返答に、さすがの宦官も呆れまじりの嘆息をつく。
「ま、しょせんは妾腹やし、お情けでもろうた官位かてお飾りや。兄さんかて半ば諦めとる。俺はこうして音曲を奏でてる方が性にあっとるさかい。そんでぇ是叡の阿呆とつるんどんは退屈しのぎなんか?」
早速本題を斬り込んできた鳴季に宦官は「まあな」と億劫な声で息を吐いた。
「おまえも知っていようが、我が国は今や我ら宦官の――何より、その長たる徐凱様の天下だ。殊に『赤慈の変』以来、活きのいい反骨者は軒並みいなくなってしまった……」
『赤慈の変』
もしくは『赤慈の獄』とも呼ばれるそれは、十五年前に藍帝国で勃発した宦官による反撃大粛清事件である。
それ以前から天子を傀儡に国政を欲しいままとしてきた宦官たちだが、当然これに反発し反抗する者たちは多かれ少なかれ存在した。
そして、遂にそうした者たちが結託し、宦官たちを廃し朝廷の綱紀を正さんと軍事政変を画策。参加した決起者らは、皇族、賢臣、将軍、官吏、学者、烈士など多種多様かつ名だたる顔ぶれであり、国の未来とも言うべき人材たちであった。
だが、宦官たちを統括する大宦官・徐凱は深謀遠慮に富んだ人物であり、朝廷の至るところに彼の密偵と使い魔が、政変決起者たちの中にさえ入りこんでおり、目論見はあっさりと宦官らの知るところとなり、軍事政変は頓挫。
むしろ、彼らの目論見は彼ら自身を謀反人として粛清する大義名分を、宦官たちに与えるだけの結果となった。
逮捕者は実際に加担した者たちの親類縁者なども含め三千人以上にも上り、首謀者格のメンバーは八つ裂きの刑か凌遅刑に処され、末端分子や縁者たちもその多くが首を刎ねられ、あるいは獄に繋がれ、僻地へと流されるに至り、宦官に反する敵対勢力は塵も残さず一掃された。
これを機に宦官たちの権勢は一層揺るぎないものとなり、元号を"赤慈"と改め新元号に因んで、この一連の反撃大粛清は『赤慈の変』もしくは『赤慈の獄』と名付けられ、宦官たちの恐ろしさと強大な権威を内外に知らしめる事件となった。
以来、誰もが宦官たちの顔を窺い、その影を踏むことすら厭うなど今に至るまで、主君たる天子すらも超える絶対的な権勢を誇っている。
にも拘わらず、いかにも残念そうな嘆息をつく宦官に、鳴季は首を傾げる。
「それ、あんたらからしたら何よりやないか」
だが、その言葉に美貌の宦官はまるでわかっていないとばかり首を横へと振って、溜息を大きくする。
「それが退屈だと言っているのだ。手を噛む野良犬の一匹でもいなければ浮世も倦むものさ。だからこそ、私自身がその野良犬にでもなってやろうかと思ってな」
自身の迂闊な舌を嗜めながら、平然と謀反を公言する宦官へ今度は鳴季が呆れた視線を向ける。
「あんたもまた酔狂なことやな……。それで是叡の阿呆に目を付けたと?」
「まあ、私としても戯れ程度のものだ。実をいうとそれほどの期待はかけてはいない。あの道化ぶりが愉快という程度の理由で餌を与えてやっている」
その道化のお膝元でこうもあっけらかんと言ってのけるのだから、この男もひとのことは言えぬ。
「それにしちゃ、私兵一万を貸し与えるやなんて大した奮発やないか」
「あんなものは雀の涙ほどの施しに過ぎんよ。それで万が一にもこの国が盗れるなら上々。そこへさらに應州の黄金がこちらに流れてくるなら言うことは無し。しくじるならしくじるで、せいぜい酒の肴にするまでさ」
しれとのたまう宦官に、鳴季は肩をすくめる。
「そない座興で謀反を画策せんといけんくらいに退屈なんかいな。俺のように音曲でも嗜んだらどないや? 碁や将棋でもえぇやろ」
そういう友人へ麗しい宦官はしれと即答する。
「私は、雅楽は聴く側の人間なんだよ。それに碁も将棋も飽いた」
「そら難儀なことで……」
鳴季はもはや聞き流す体で再び琵琶を弾きはじめる。だが、宦官はふと思い出したように口を開いた。
「とは言え、おもしろくなりそうな種なら育ってはいるがな」
「というと?」
「劉星鳳……という将軍がいてな。赤慈の変で首を刎ねられた劉星翔将軍の息子なのだが、当然家は没落していたところを一兵卒から叩き上げで将軍となった逸材だ。とはいえ出自が出自。当然滅多な力は与えられぬ。中央からは遠ざけ、もっぱら我らの使い走りを任せている。盗賊や小規模な反乱の討伐とかな。それに与えている兵も一万の半分にすら届かぬし、すべて歩兵だ。だが――」
そこで口角を愉快そうにつり上げる。
「あの小僧には良くも悪くもひとを惹きつける何かかがある。正規の兵こそ五千足らずながら、近頃巷を騒がせていた盗賊団や侠客どもを味方に付け、野に下った才人たちまでもがあ奴の元に集いつつある。その上、あの瞳はまだ何も諦めてなどおらん……!」
そう語る彼の瞳にはどこか期待するような、それでいて獰猛な光が爛々と輝いていた。
しかし、すぐにそれを収めると嘆息で締め括った。
「まあ、まだまだ宦官の勢力にはかすり傷ひとつつけることも叶わぬ、吹けば飛ぶような、笑ってしまうような有象無象の弱小勢力だ。これではつまらん」
「つまり、その種が育つまでの暇潰しかいな……。つくづく難儀な性分なやっちゃ。是叡の阿呆もいい迷惑やな」
開いた口が塞がらぬとばかり、鳴季は溜息まじりの声音で苦言を漏らした。
対して美貌の宦官は「クククク……!」とおかし気に嗤う。
「それを聞いたおまえはどうする? 兄や清聡卿に報告するか」
今度は鳴季が笑声を漏らした。
「まさか、まさか、言うたやろ。俺はおもろいことは好きやけど、政なんて面倒くさいことは嫌いなんや。極力関わるつもりなんてない。第一、俺のような遊び人の言うことなんぞ誰も真に受けんわ」
「だろうな」
にべもない答えに、宦官もそれが当然であろうと首肯する。
「だがしかし、もどかしいものだ。これでも気は長い方だと自負しているが、このままだと退屈で退屈ですべてをぶちまけたくなる……!」
「はあ~~、もう言ってろや。つーか俺もう遊郭に行ってきてえーか?」
己の身体を抱きしめてクネクネと身悶えする宦官に、鳴季はげんなりとした面持ちでドン引きしていた。
「つれないことを言うな。おまえの琵琶もまた私の退屈しのぎの一環なのだぞ」
「いや、俺は好きで琵琶を弾いてるだけやし。別にあんたのために弾いてるわけや――誰や?」
文句を途中で切り、庭の方を睨み据えて鋭い声音で誰何する鳴季。
すると、庭の景色が一瞬歪んでブレたかと思うと、そこにはいつのまにやら紫がかった長い黒髪をなびかせた耽美な西界人が、はじめからそこにいたかのごとく佇んでいた。
だが、青年の姿を視認した途端に驚嘆の声をあげたのは宦官だった。
「そなた、カルドゥーレか……!」
それに応えるようにして西界人の青年――カルドゥーレはいつものアルカイックスマイルを浮かべてお辞儀をする。
「お久しゅうございます、蒜元趙殿。夜分に押し入った無礼はどうかご容赦を。勝手ながら私としても火急の要件にございますれば」
すると、宦官――元趙も愉快そうな笑みで応対する。
「ほお? 貴様がそういうとはな。余程おもしろい退屈しのぎを持参してきたか……」
商人は笑みを深くして首肯する。
「ええ。必ずやご満足いただける商品を――ね。まずは詳しい商談に移らせていただきたい」
王都の夜は更けていく。波紋に一石が投じられたことを誰も知る由もなく……。
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