13.厨房に
「はぁ?何か不味いことでもあるんか?」
今村は実に軽い口調でそう返した。すると男はいかにも大事なことを言いますという雰囲気を作って重い口を開けた。
「…今日の…今日の客の中に…あの!アンドフリーム・ニルの娘、ウェスタ・ニルがいるんだよ!」
「…誰?」
今村はその名前を全く知らない。というより、基本的に人間の名前を覚えるのは苦手だ。
そんな反応を見て男は信じられない物を見たという顔をしてよろよろと後ずさった。
「き…君はあのニル親子を知らないのかい!?それでも料理人の端くれなのか!?」
「いや~しがない料理人でね…」
超適当なことを言っておく今村。だが実際今村が例え料理人だったとしても外にいる人の名前は知らないと思う。
「…知らないなら仕方がない!説明しよう!」
(一々芝居がかった奴だなぁ…)
今村はそう思うも、説明してくれるのなら別にいいか、と気にしないことにした。そして男の説明が入る。
「ニル親子の話をするならまず料理の鉄人アンドフリーム・ニルの事から語らなければなるまい…彼は栄誉ある≪中略≫という凄腕料理人で、≪中略≫その男が振るう料理ばかりを食べた娘、ウェスタは≪中略≫ということで神の舌を持つと≪後略≫」
話は15分に及んだ。今村は途中から時間を気にし始める。そろそろ時間になりそうだったので今村は強引に切る。
「要するにグルメさんが来たってことね。」
その言葉に男は何を馬鹿なことを…と言った風に首を振る。
「彼女の舌を舐めちゃいけないよ…≪前略≫神の舌≪中略≫とも≪後略≫」
「はいはい。で、何で帰るんだ?」
今村の軽い言葉に男は身震いして答えた。
「彼女の料理に対するコメントが辛辣だから…」
「へ?」
「彼女の言葉は料理人の心をへし折る。そして料理人は再起不能になる。」
「何それメンタル弱っ!」
そんな心構えなら料理人辞めちまえ!男の言葉に今村はそう言いたかったが男は何故かきりっとして今村を見直した。
「いや…少し端折りすぎたな。彼女は美人なんだ。」
「別にその情報は端折っていいよ!」
「待て、話をよく聞きたまえ。」
(さっきから腐るほど聞いてるんだが…)
「彼女は美人で無表情で無口。いわゆるクールビューティというやつだ。そして感情を出すのは料理を食べた時だけ。そんな彼女にはファンクラブがあって…」
「あぁ何となくわかった。そいつらが面倒なんだな。」
「そう!そいつらは味の良し悪しも分からないのにウェスタが言ったことをそのまま広める!それでファンクラブの奴らは金を持っているからな!」
「あぁその先は分かった。」
お貴族様が不味い。潰せと言ったらその店はお終い。だから言われる前に逃げよう。という事のようだ。
「…それは別にいいんだが…そろそろ時間ヤバくないか?」
早目についていたもののこいつの長話に付き合っていると開会10分前となっていた。この男は料理人なのにここでフラフラしていていいのだろうか。
「僕もうお家帰るから。」
「は?」
「君残るなら頑張ってね!」
男は散々情報を寄越した後脱兎のごとく逃げ出した。
「…急に元気になったな…」
今村はそんなことを思いながら残ってウェスタと戦おうとしている人々を見直せよ…と思いながらおそらく厨房と思われる場所を覗いてみる。
中は敗国の捕虜たちの詰所のような状況だった。
「…料理は?」
火が掛かっていない。材料の匂いはあるが、料理の匂いがしない。今村は入り口で呆然としてそう呟いた。するとコック帽の長い人が今村の方にやって来る。
「あぁ…君は…手伝いの人間かい…?ははっ!このホテルと一緒に心中しに来てくれてありがとう…」
「えーと…」
すすり泣きが聞こえるこの場から一度出て廊下に出て目薬を点眼して中に入る。
「そうだ…後開始まで10分なんだけど…どうせ何作っても駄目なんだよね。だから何も作ってない…そうだ、君に全部任せるよ…ははっ!」
「馬鹿か!あぁ馬鹿だな!あぁもう…おい!材料は!?」
「あっち…」
今村は手加減して料理長とネームプレートに入った男が震える指でさした方に駆け寄る。そして大声を張り上げた。
「いいか?今から起きることは他言無用だ!喋ったら廃人にする!」
そう言い終わるや否や大量の卵料理が作りあがった。美味しそうな匂いが辺りに立ち込める。
「おぉ…凄い…」
「感心してねぇで運べ!」
立食パーティーなのでもう料理が並んでいてもおかしくない時間なのだ。今村は指示を飛ばしながら料理を続ける。
「『サウザンドナイフ』!『タクティス』!皮剥き!」
サウザンドナイフの内、今村が今回使用したナイフはペティナイフ。料理用だ。一本が千本になるそれで皮剥きを終えると、次はブレードワイヤーで均一形に切り刻む。
曲芸のような調理に拍手喝采が巻き起こり、その端で料理長が卵料理を一口食べる。
(む…何と言う濃厚でコクのある味わい…それに半熟加減が素晴らしい…ここまで至る料理を作るとはあの人物は一体…)
「つまみ食いしてんじゃねぇ!それは客のだろうが!」
「ひっ!すみません!」
怒られた。
「何か手伝うことは…」
「ジャガイモを薄い格子状に!」
「…は?」
良く理解できなかったようだ。今村は面倒そうに料理用語で言い直す。
「ポテトをゴーフレットで!」
「了解です!」
(一々面倒な言い直しさせるな!業界人気取ってんじゃねぇ!)
若い料理人が今村の下にやって来たのを切り口に次から次に料理人がやって来るようになる。
「兄貴!スープどうするんですか!?」
「そっちは加工済みの奴を使う!煮立ったらそこにある水色の液体ぶち込め!」
「えいっす!」
「ところで兄貴って俺かぁ!?」
「勿論っす!」
コンソメスープがそこはかとなく怪しい雰囲気を漂わせつつあるが、匂いはもの凄い良いし、水色の液体を入れても何故か澄んだ色のまま変色はしないので気にしないことにした。
「あぁもう…火が!おいガス元はどこだ!」
「こっちです!」
「『魔化コーティング!』」
今村は調理道具に術を掛けて保護するとプロパンと書かれているボンベの近くに進み、詠唱を行った。
「『我、火の神の名において命じる。速やかに我が意の通りに従え!』」
料理場の火が変色して白色になった。次いで、今村は料理場全域に「黒魔の卵膜」という「黒魔の卵殻」の簡易バージョンを掛ける。
「そして!『我、家事の神の名において命ずる。速やかに我が意のままに従え!』」
これにより、今村が一々ローブやら手やらで動かす必要もなく、勝手に火加減が行われるようになった。
「兄貴!何したんで!?」
「色々だ!火加減は気にしなくていい!調理具が赤く点滅したら調理具に近い方から順々に調味料を入れて行け!」
「はいっす!」
完全に部外者の指示に従っている料理人たち。どうせ免職になるなら料理して真っ向から戦いたかった人もいたのに、料理長が何もしなかった為、何もできずに悔しい思いをしていたのだろう。
それを部外者に任せるのはどうかと思いつつも、最初の技を見て只者ではないと感じたことで皆がやる気を出したのだ。
今、調理場にいる人々の心は一つになった。
「ヤローども!気合入れていくぞ!」
「「「「はい!」」」」
今村の掛け声とともに、調理場の熱が上がったような気がした。
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