元数学者、異世界を数字で書き換える 第61話
元数学者、異世界を数字で書き換える
【ルートA】第3章・帰還編
第61話「西からの報せ」
春分まで、あと六日。
その日、輸送隊の最後の便が、王都から届いた。
荷の中に、手紙が三通あった。
一通目は、フィン宛の学院からの事務連絡。
二通目は、俺宛だった。差出人は、ギルドの調査官。
『ライ・アーデン殿
西部戦線より、報告を送ります。
あなたが指摘された「敵は時計を持っている」という推測は、正しかった。
捕虜の所持品から、精密な砂時計に似た装置が出ました。
我が方は、それを踏まえて防衛計画を組み直しました。ソルヴィアは奪還できていませんが、防衛線は保っています。
死者は、それでも二千を超えました。
あなたが西へ来ていれば、この数はもっと少なかったかもしれない。
そう思うことがあります。
ですが、それは私の仕事ではありません。
私の仕事は、起きたことを正確に書くことです。
あなたが「時計」の一言をくれた日、この戦線の記録は変わりました。
それは、私が書き留めました。
ご武運を。』
俺は、その手紙を、三度読んだ。
二千。
その数字を、俺は頭の中に置いた。
「――ライ?」
レンが、俺の顔を見て、声をかけた。
「なんでもない」
「なんでもない顔じゃねえぞ」
「……二千人、死んだそうだ」
俺は、手紙を卓に置いた。
レンは、それを読まなかった。ただ、隣に座った。
「お前が行っても、二千は死んでたと思うぞ」
「かもしれない」
「かもしれない、じゃなくて」
レンは、はっきりと言った。
「お前一人で、二千を救える戦争なんて、ねえんだよ」
「……」
「お前、いつも言ってるだろ。数字にできないものを、数字にできたつもりになるなって」
俺は、顔を上げた。
「『俺が行けば救えた人数』ってのはな、ライ」
レンは、俺の目を見た。
「測れねえ数字だ」
俺は、しばらく何も言えなかった。
一年半、俺がこいつに教えてきたことが、全部、こういう形で返ってくるとは思っていなかった。
「……ずるいぞ、それは」
「教科書に書いてあった」
「三回目だぞ、それ」
「使えるからな」
◇◇◇
三通目は、差出人の名前がなかった。
開くと、粗い紙に、たった三行だった。
『あんたが西に来なかったこと、俺は怒ってない。
俺の隊は、あんたの地図で動いてる。
十九年前の閉山記録から起こした、あの北の坑道の図面だ。
誰だか分かるか?
あんたが賭場で穴を教えてやった男だ。今は補給隊にいる。』
俺は、その紙を、しばらく見つめていた。
二年前、俺が賭場を出るときに残した助言。
あの時、俺は自分が正しいことをしたとは思っていなかった。ただ、揉めるのが損だと思っただけだ。
それが、こんな形で戻ってくる。
「……何が書いてあるんだ」
レンが聞いた。
「……分からん」
俺は、正直に言った。
「分からんのかよ」
「分からん」
俺は、その紙を丁寧に畳んだ。
「だが、悪い気分じゃない」
◇◇◇
春分まで、あと三日。
俺は、最終確認に入った。
演算の手順を、頭から最後まで、十二回通した。
一回通すのに、四十分かかる。
十二回で、八時間。
その間、レンとフィンは一言も喋らずに、俺の周りを片付けていた。
「――ライさん」
最後の通しが終わったとき、フィンが言った。
「一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「失敗したら、どうなりますか」
いい質問だった。
誰も聞かなかったことを、この学生は聞いた。
「三つのうち、どれかだ」
俺は、指を三本立てた。
「一つ。演算が途中で崩れて、何も起きない。この場合、俺は魔力切れで倒れる。三日寝れば治る」
「はい」
「二つ。桁を間違えて、別の世界に着く」
「……別の世界」
「俺の世界と、十桁目まで同じで、十一桁目から違う場所。たぶん、見分けはつかない」
「……見分けが、つかないんですか」
「つかない」
俺は言った。
「だが、俺の知っている人間は、そこにいない」
フィンが、青ざめた。
「三つ目は」
「対象指定が壊れて、俺だけが分解される」
俺は、あっさり言った。
「――え」
「文字通りだ。俺という座標の集合が、途中でばらける」
小屋が、しんとした。
「……その確率は」
「一つ目が、四割。二つ目が、一割。三つ目が、五分」
俺は言った。
「成功が、四割五分」
レンが、椅子を蹴って立ち上がった。
「――五分五分じゃねえか!」
「そうだ」
「そんなもんに、なんで――」
「レン」
俺は、遮った。
「ガイウスと戦った夜、俺の勝率は四十七パーセントだった」
レンが、動きを止めた。
「……」
「あの時と、ほとんど同じ数字だ」
俺は言った。
「そして、あの時、俺は行った」
「……あの時とは、違うだろ」
「違わない」
俺は、首を振った。
「あの時、俺は勝率が五割を切っていることを知った上で行った。知らないで行ったんじゃない」
俺は、レンを見た。
「知った上で行くのと、知らないで行くのは、まったく違う」
「……何が違うんだよ」
「知っていれば、残りの五割五分に、準備ができる」
俺は、卓の上の計算機を叩いた。
「あの夜、俺は勝率四十七のまま行って、戦いの最中に時間停止を見つけた。四十七を、その場で押し上げた」
「……」
「今回も、同じことをする」
俺は言った。
「四十五を、当日、押し上げる」
◇◇◇
春分の、前日の夜。
俺は、一人で塔に登った。
内部には、螺旋階段があった。エルドが八百年前に作ったものだ。
千二百段。
登り切ると、頂上は平らな床になっていた。
そこに、円が刻まれていた。
直径三メートルほどの、単純な円。
その中心に、俺は立った。
見下ろすと、森が広がっていた。その先に、デルヴィンの灯りが、豆粒のように見えた。
空には、星が出ていた。
三つの星が、真上に近づいていた。
明日の夜、あれが完全に重なる。
「……ここか」
俺は、円の縁に手を触れた。
石が、微かに温かかった。
八百年前、ここに一人の男が立って、何度も何度も、失敗した。
その男は今、塔の下に座っている。
明日、俺はここに立つ。
成功率、四十五パーセント。
「……上等だ」
俺は、円の中心に、荷物を置いた。
ノート一冊。
それだけだった。
(第62話へ続く)




