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元数学者、異世界を数字で書き換える  作者: godrenkon
第三章 帰還編 【A】

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元数学者、異世界を数字で書き換える 第60話

元数学者、異世界を数字で書き換える

【ルートA】第3章・帰還編


第60話「最後の一ヶ月」



春分まで、あと二十七日。


俺の生活は、恐ろしく単調になった。


朝、演算の手順を確認する。

昼、計算機に条件を書き込み、検算する。

夜、塔の外壁を読み直し、抜けを探す。


そして、その合間に――俺は、書き物をしていた。


教科書の、第四部だ。



◇◇◇



「――まだ書くのか」


レンが、呆れたように言った。


「第三部まであれば、十分だろ」


「足りない」


俺は、手を止めずに答えた。


「第三部までは、測ることの話だ。第四部は、疑うことの話にする」


「疑う?」


「そうだ」


俺は、ペンを置いた。


「レン。お前が測って出した数字が、間違っているかもしれないと思ったとき、どうする」


「……もう一回測る」


「同じ道具で?」


「あ」


レンが、口を開けた。


「同じ道具で測ったら、同じ間違いが出るな」


「そうだ」


俺は頷いた。


「道具が狂っていたら、何回測っても同じ答えが出る。しかも、揃った答えが出るから、正しく見える」


「……こわいな、それ」


「怖い」


俺は言った。


「そして、これが一番よくある間違いだ。前世の四十年で、俺はこれで何本もの論文が潰れるのを見た」


「じゃあ、どうすんだ」


「違う道具で測る」


俺は、ノートに書いた。


「あるいは、違う方法で測る。俺は、微細構造定数を二通りの方法で測った。線の割れ幅からと、縞の数からと」


「……両方、同じ答えだったのか」


「十桁目まで同じだった」


俺は、そこで一度、言葉を切った。


「だから、信じた。同じ答えが、違う道から出てきたときだけ、人は数字を信じていい」


レンは、しばらく黙って考えていた。


「……なあ、ライ」


「なんだ」


「それ、数字だけの話じゃねえよな」


俺は、レンを見た。


「……どういう意味だ」


「あの四人の話だよ」


レンは、まっすぐ言った。


「お前、あいつら全員に、別々に聞いただろ。あの日、何を知ってたかって」


俺は、答えなかった。


「ダグに聞いて、ガイウスに聞いて、ボルドに聞いて、セリアに聞いた。四人とも、別の言葉で同じことを言った」


「……」


「あれ、違う道具で四回測ったってことだよな」


俺は、しばらく、ペンを持ったまま動けなかった。


「――そうだな」


やっと、そう言った。


レンの言う通りだった。


俺は、一人の証言では動かなかった。四人が、別々に、同じ形の事実を語ったから、動いた。


それが正しかったのかどうかは、今でも分からない。


だが――


「……お前、第四部、書けるんじゃないか」


「無理言うな」


「無理じゃない」


俺は、ペンを差し出した。


「今の話、そのまま書け。俺より、ずっと分かりやすい」


レンは、しばらくペンを見つめていた。


それから、受け取った。



◇◇◇



春分まで、あと十日。


その頃には、小屋に人が増えていた。


フィン・ロウズが、学院の許可を取って来ていた。


材料を運んできた輸送隊の何人かが、そのまま残っていた。


そして、エルドが、相変わらず塔の下に座っていた。


「――ライさん!」


フィンが、装置の前で興奮していた。


「これ、本当にすごいですよ! 縞を数えるだけで、こんな精度が出るなんて!」


「使え」


俺は言った。


「え?」


「置いていく。装置も、記録も、全部」


フィンが、固まった。


「……い、いいんですか」


「持っていけない」


俺は言った。


「七十六・四キロしか持っていけない。俺と、ゼロと、ノート一冊で終わりだ」


「……」


「だから、残りは全部、置いていく」


俺は、小屋を見渡した。


装置。記録帳。計算機。書きかけの第四部。


二年分の全部が、ここにあった。


「フィン」


「はい」


「この装置、あと十年磨けば、俺の測った十二桁を超える」


学生の目が、見開かれた。


「……超える?」


「超える」


俺は、はっきり言った。


「俺は、二年で作った。急いだから、粗い。丁寧にやれば、必ず超える」


「……ライさんを、超えられるんですか」


「超えろ」


俺は言った。


「超えられなかったら、俺の二年は、無駄になる」


フィンは、しばらく口を開けていた。


それから、深く頭を下げた。


「――やります」



◇◇◇



その夜、俺は塔の下へ行った。


エルドは、まだそこにいた。


「……食べていますか」


俺が言うと、彼は薄く笑った。


「弟子殿が、運んでくれます」


「そうか」


俺は、隣に腰を下ろした。


塔が、月明かりに照らされていた。


「――エルド」


「はい」


「一つ、頼みがある」


「私に?」


「あんたしか、できないことだ」


俺は、懐から一冊のノートを取り出した。


表紙に、こう書いてある。


『第二十八号 ライ・アーデン 記録』


「……これは」


「あんたの書庫の、最上段だ。空だっただろう」


俺は、それを差し出した。


「埋めておいてくれ」


エルドは、震える手でそれを受け取った。


「……私が?」


「あんたは、八百年、記録を取り続けた」


俺は言った。


「それは、待っていただけじゃない。記録は、待つことじゃない。残すことだ」


「……」


「二十七人の記録があったから、俺は自分が七年で壊れる可能性を知った。知ったから、対策を打てた」


俺は、塔を見上げた。


「あんたの八百年は、そこで役に立っている」


エルドは、長いこと、俺の顔を見ていた。


それから、ノートを胸に抱えた。


「……ライ殿」


「なんだ」


「私は、あなたの演算を横取りしようと考えていました」


正直な男だ、と思った。


「知ってる」


「知って――」


「対策済みだ」


俺は言った。


「六十八・七キロは、条件から外れる」


エルドは、しばらく呆然としていた。


それから、乾いた笑い声を漏らした。


「……八百年で、初めてです」


「何がだ」


「私が体重を測られたのは」


俺たちは、しばらく、黙って塔を見上げていた。


「……ライ殿」


「なんだ」


「二十九人目が来たら」


エルドは、静かに言った。


「今度は、私が教えます。星を測るなと」


俺は、笑った。


「それでいい」



(第61話へ続く)


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