元数学者、異世界を数字で書き換える 第5話
元数学者、異世界を数字で書き換える
第5話「検証、と修行」
翌朝、俺は安宿を出て、王都の外れにある小さな広場にやってきていた。
人通りが少なく、多少の物音を立てても迷惑にならなさそうな場所を、記憶を頼りに選んだ。ここでなら、じっくりと自分の力を検証できる。
「さて、と」
俺は地面に転がっていた石ころを拾い上げた。
昨日の戦闘で分かったことは多い。座標をずらすことができること。物体の性質――硬度や形状――を書き換えられること。そして、それらすべてに"魔力"と"思考力"という二重のコストがかかること。
まずは、基礎的な部分から検証していくべきだろう。
「演算展開・物体構築」
声に出して念じると、頭の中に、あの見慣れない"数式のようなもの"が浮かび上がる。石ころの質量、硬度、形状――それらのパラメータが、俺の意識の中で数値として認識できた。
石ころが淡く発光し、次の瞬間、小さな短剣の形へと姿を変えた。
「……できた」
昨日の即席の剣よりも、明らかに精度が高い。落ち着いて検証すれば、より緻密なコントロールが可能になるようだ。
だが同時に、額に汗が滲むのを感じた。単純な石ころ一つを短剣に変えるだけでも、それなりの負荷がかかる。
「やっぱり、消費は大きいな」
頭の中で、数字を整理する。
昨日、木の枝を剣に変えるのに使った"演算コスト"を10とするなら、今回は石という硬い素材を扱ったこともあり、コストは15前後といったところか。
感覚的な数値ではあるが、こうして数値化して捉える癖は、前世からの習慣だった。
「次は、これだ」
俺は自分の足元に視線を落とした。
「演算展開・座標設定」
意識を集中させると、視界がわずかに歪み、体が一メートルほど横にずれた。
「今のはどうだ……」
昨日の戦闘中は無我夢中だったが、冷静に検証してみると、座標移動にはいくつかの制約があるらしい。
一つは、距離。今のところ、無理なく動かせるのはせいぜい二、三メートルが限界のようだ。それ以上を狙うと、途端に負荷が跳ね上がる。
もう一つは、連続使用の制限。座標をずらした直後は、頭の奥に鈍い痛みが残り、すぐには次の演算ができない。
「クールタイム、ってやつか」
前世でいうゲームのシステムに近い感覚だった。この世界のステータスやスキルの仕組みは、ゲームのパラメータとよく似ている。だとすれば、成長曲線も似たようなものになるはずだ。
レベルが上がれば、ステータスも上がる。スキルレベルが上がれば、演算展開の精度もコストも改善されていくだろう。
「――ということは」
俺は顎に手を当てて考えた。
今の俺は、まだこの力の入り口に立ったに過ぎない。ここから、どれだけ鍛錬を積むかによって、できることの幅は大きく変わってくるはずだ。
「まずは、レベル上げと、演算展開の精度向上。この二つを並行して進めるべきだな」
◇◇◇
それから数日間、俺は毎日のように王都近郊の低ランクダンジョンへ足を運んだ。
スライムやゴブリンといった、ランクD相当の魔物を相手に、演算展開の実戦検証を繰り返す。
「演算展開・物体構築」
手のひらに、小さな短剣が生成される。それを使ってスライムを一撃で仕留める。
「演算展開・座標設定」
ゴブリンの攻撃を、座標をずらしてかわす。
何度も何度も繰り返すうちに、少しずつ感覚が掴めてきた。魔力の消費を最小限に抑える方法、演算にかかる思考の負荷を軽減するコツ――どれも、前世で培った「効率的な思考プロセス」の応用でなんとかなった。
数式を簡略化するように、演算展開の"手順"そのものを最適化していく。
(単純な座標移動なら、複雑な計算式を経由せず、最短ルートで演算できる)
そうした地道な改善の積み重ねが、俺のスキルレベルを着実に押し上げていった。
「【演算展開】Lv.3、か」
一週間が経つ頃には、スキルレベルは3まで上昇していた。座標移動の距離も、三メートルから五メートルまで伸びている。
レベルも、3から8まで上がっていた。ステータスの数値も、それに伴って向上している。
「悪くない伸びだ」
俺は満足げに頷いた。
前世の記憶があるとはいえ、こうして地道に力をつけていく感覚は、決して悪いものではなかった。むしろ――どこか懐かしさすら覚える。
大学で新しい理論を証明しようと、来る日も来る日も数式と向き合っていたあの頃と、どこか似ている気がした。
◇◇◇
ある日の夕方、ダンジョンからの帰り道、俺はふと、ギルドの掲示板に目を留めた。
「白銀の獅子、Aランク昇格試験に挑戦……か」
掲示板に貼られた依頼票の隅に、そんな一文が見えた。俺が抜けた後も、彼らは順調に活動を続けているらしい。
複雑な感情はあった。だが、それ以上に――今の俺には、彼らのことを気にしている余裕がなかった。
「……まあ、いい」
俺は掲示板から視線を外し、静かに歩き出した。
今の俺にとって重要なのは、過去のパーティーではない。この力を、どこまで磨き上げられるか。それだけだった。
とはいえ――と、俺は内心で付け加える。
いずれ、あの四人とは決着をつけることになるだろう。
認められたかった。仲間として、対等に扱ってほしかった。その願いを踏みにじられた以上、黙って泣き寝入りするつもりは、微塵もなかった。
前世で四十年生きてきた俺には、そのくらいの意地はある。
「さて――もう少し、力をつけるか」
俺は静かに拳を握りしめ、再びダンジョンへと足を向けた。
(第6話へ続く)




