元数学者、異世界を数字で書き換える 第4話
元数学者、異世界を数字で書き換える
第4話「一・四パーセント」
追放の手続きそのものは、拍子抜けするほど呆気なかった。
ギルドの受付で書類に署名し、認識票の裏に刻まれたパーティー名を削り取られる。それだけだ。三年近い時間が、鑢の音三十秒で消えた。
「――あの、ライ・アーデン様」
立ち去ろうとした俺を、受付嬢が呼び止めた。手元の帳面を睨みながら、困ったような顔をしている。
「精算金の欄が、こちらの記録と合わないのです」
「合わない?」
「はい。パーティー在籍中の分配記録では、ライ様の取り分は、総額で金貨四十二枚。ですが、実際にお受け取りになっているのは……」
彼女は言い淀んだ。
「いくらだ」
「……銀貨で、六十枚ほどです」
金貨一枚は、銀貨百枚。
四千二百分の六十。
頭の中で、割り算が勝手に走った。答えが出るのに、瞬きひとつぶんもかからなかった。
一・四パーセント。
「……なるほどな」
俺は思わず笑ってしまった。笑うしかなかった。
三年だ。夜な夜な地図を引き直し、魔物の出現地点を記録し、季節ごとの遭遇率を集計して、安全なルートを組んできた。その三年で俺の手元に落ちてきたのは、稼ぎの一・四パーセントだった。
割合というのは残酷なもので、「少ない」という感覚を、逃げ場のない数字に変換してしまう。少なかった、では済まない。九十八・六パーセントを、俺は誰かに渡していた。
「あの、これは……申し立てを、されますか?」
「証拠は?」
「……分配の内訳は、パーティーリーダーの裁量ということになっておりまして」
「じゃあ、無理だな」
俺は署名を済ませ、書類を押し返した。
「教えてくれて助かった」
受付嬢は何か言いたそうな顔をしていたが、結局は小さく頭を下げただけだった。
その気遣いの理由が分かったのは、ギルドの扉をくぐろうとした時だった。
◇◇◇
「おい、あれ」
「ああ、白銀の獅子を追い出されたっていう」
「聞いたか?荷物持ちのくせに、報酬をちょろまかしてたらしいぞ」
「地図もデタラメだったって話だ。よく生きてたな」
誰かが誰かに囁いている。声を潜めているつもりなのだろうが、この程度の距離なら聞こえる。
俺は足を止めなかった。
ただ、頭の片隅で、勝手に計算が始まっていた。
――俺が追放されたのは、今日だ。
――ここにいる連中の何人が、その事実を知っている?
ざっと見て、酒場側に十数人。掲示板前に十人ほど。俺が受付にいた時間は、正味五分。
五分で、二十人以上に、具体的な内容を伴った悪評が浸透する。
無理だ。噂というのは、伝言ゲームのように内容が劣化しながら広がる。原型を保ったまま人から人へ渡るには、時間か、あるいは――同じ情報源から、複数の人間に、同時に配られる必要がある。
つまり、誰かが、追放より前に流していた。
誰が。
その答えを、俺はもう知っているような気がした。あの、目の笑っていない微笑みを。
◇◇◇
それから三日、俺は職探しに費やした。
パーティー募集所を四軒、酒場の斡旋屋を二軒、個人依頼の仲介を一軒。
結果は、全滅だった。
「悪いな、うちは間に合ってる」
「……ライ・アーデン?ああ、いや、やめとくわ」
「うちは信用商売なんでね」
七軒目の扉が閉まったところで、俺は路地の壁にもたれ、状況を数値に直した。
所持金、銀貨五十四枚。宿代が一泊銀貨二枚、食費が一日一枚として、残り十八日。
パーティー加入の見込み、限りなくゼロ。
冒険者ギルドの依頼は、ランクDの単独受注だと日当が銀貨一枚を切る。生活が回らない。
「……詰みだな」
声に出してみた。
前世なら、これは詰みだ。四十歳、無職、無所属、悪評つき。立て直すには年単位の時間がかかる。
だが。
俺は右手を開いた。
「演算展開・座標設定」
視界がわずかに歪み、体が一メートル横にずれた。壁にもたれていた背中が、何もない空間を押す形になって、俺はよろけた。
「……っと」
情けない話だが、これが、今の俺の全財産だった。
座標を一メートルずらせる。木の枝を剣にできる。それだけ。
それだけだが――前世の四十年で、俺は一つだけ確信していることがある。
手札が一枚しかない時に人がやるべきなのは、絶望することではない。その一枚が何点なのかを、正確に数えることだ。
手札の点数を数え違えている人間が、この世界には多すぎる。ダグも、セリアも、ボルドも、俺の点数を数え違えた。
なら、俺は自分の点数を、正しく数えるところから始めよう。
「よし」
俺は壁から背を離した。
まずは、この力で何ができて、何ができないのか。境界線を引く。話はそれからだ。
「――部屋に戻るか」
宿代が惜しいので、俺はその夜、夕食を抜いた。
空腹は、思考の速度をわずかに落とす。それも記録しておいた。
(第5話へ続く)




