元数学者、異世界を数字で書き換える 第3話
元数学者、異世界を数字で書き換える
第3話「これで最後だ」
気がつくと、俺はギルドの医務室の簡素なベッドに寝かされていた。
「……ここは」
「目が覚めたか」
声のした方を見ると、ガイウスが椅子に座ってこちらを見ていた。他のメンバーの姿はない。
「森で倒れているところを、俺たちが運んだ。ブレイズファングは、お前が倒したんだな」
「……ああ、まあ」
曖昧に頷きながら、俺は身体を起こそうとした。肩に走る鈍い痛みに顔をしかめる。ポーションでも飲まされたのか、傷はある程度塞がっているようだが、完全ではない。
「あの木の枝は、なんだ」
ガイウスの声は静かだったが、有無を言わせぬ圧があった。
どう答えるべきか、俺は一瞬迷った。だが、隠したところで意味はない。むしろ、正直に話した方が今後動きやすいかもしれない。
「……新しいスキルに目覚めたみたいだ。詳しいことは、俺にもまだよく分かってない」
「新しいスキル、か」
ガイウスはしばらく黙り込んでいたが、やがて静かに立ち上がった。
「悪いが、話は変わらない。今日でパーティーは抜けてもらう」
「……は?」
予想外の言葉に、思わず声が漏れた。ブレイズファングを単独で撃退したというのに、それでも追放は撤回されないのか。
「なぜだ。今の力、見ただろう」
「見たさ。だからこそだ」
ガイウスの目に、初めて明確な色が浮かんだ。それは――恐れ、だった。
「お前の力は、正体不明すぎる。俺たちには制御できないし、把握もできない。そんな不確定要素を、パーティーに置いておくわけにはいかない」
「……」
「すまないな。これも、パーティーのためだ」
いつもの台詞。だが、今回はいつもと違う響きがあった。ガイウスの声には、明確な"焦り"が滲んでいた。
俺は、静かに拳を握りしめた。
力を示せば、少しは見直してもらえるかもしれない――そんな淡い期待は、あっさりと打ち砕かれた。だが同時に、妙に納得している自分もいた。
(ああ、そうか。こいつは――俺を恐れているのか)
数字というものは、時に人を安心させ、時に人を脅かす。未知数というものほど、人間にとって恐ろしいものはない。俺の力は、この男にとって完全な"未知数"だったのだろう。
「わかった」
俺は静かに頷いた。
「これ以上、揉める気はない。パーティーは抜ける」
ガイウスは、少しだけ驚いたような顔をした。もっと食い下がられると思っていたのかもしれない。
「……賢明な判断だ」
「一つだけ、聞かせてくれ」
「なんだ」
「俺が今まで作ってきた地図やルート表――あれは、役に立っていたか?」
ガイウスは、一瞬だけ言葉に詰まった。
「……悪くはなかった」
それだけ言うと、ガイウスは踵を返し、部屋を出ていった。
一人残された部屋で、俺は小さく息を吐いた。
「……悪くはなかった、か」
前世なら、そんな曖昧な評価に一喜一憂することもなかっただろう。だが、この十五年分の記憶――ライとして生きてきた記憶が、俺の中でわずかに疼いた。
このパーティーのために、頑張ってきたつもりだった。認められたかった、という気持ちが、確かにあった。
◇◇◇
ギルドの受付で追放の手続きを終え、俺は正式にパーティー「白銀の獅子」を離脱した。
「ライ・アーデン様、パーティー離脱の手続き、完了いたしました」
受付嬢がそう告げながら、書類を差し出してくる。事務的な口調だが、こちらを気遣うような視線も感じた。ギルド内では既に噂が広まっているのかもしれない。
「ありがとう」
書類を受け取り、俺はギルドを後にした。
外に出ると、夕暮れ時の街並みが目に入る。ガルドレアの王都は、前世の記憶にある中世ヨーロッパ風の街並みに近く、石畳の道と煉瓦造りの建物が立ち並んでいた。
「……さて、これからどうするか」
俺は自分の"今"を整理することにした。
ギルドランクD、レベル3。所持金は驚くほど少ない。パーティーにいた頃の稼ぎは、大半をリーダーであるガイウスが管理していたらしく、俺の手元にはわずかな生活費しか残っていない。
だが――と、俺は思う。
手元にあるのは、金でも地位でもない。数字を操る力、"演算展開"だ。
前世で四十年かけて磨いてきた数学的思考と、この世界のシステムが結びついた今、俺にとってこれほど頼りになるものはない。
「まずは、宿を探すか」
財布の中身を数えながら、俺は歩き出した。
◇◇◇
その夜、俺は安宿の一室で、静かに自分のステータスを開いていた。
この世界の住人は誰もが、目の前に自分のステータスを表示できる。俺は、ベッドに腰掛けながら、空間に指を滑らせた。
【ライ・アーデン】
種族:人間
ギルドランク:D
レベル:3
HP:32/32
MP:18/18
筋力:8
敏捷:9
知力:24
──スキル──
演算展開:Lv.1
知力の数値だけが、明らかに他のステータスより突出していた。前世の記憶が、この体のスキルに何らかの補正をかけているのかもしれない。
そして――スキル欄に、確かに刻まれている。演算展開。
「……レベル1、か」
まだ始まったばかりだということだろう。今日の戦闘で、俺はこの力の可能性の一端に触れたに過ぎない。座標をずらすこと、物体の性質を書き換えること。まだまだ、応用の余地はあるはずだ。
頭の中で、前世の数学的知識が疼く。
座標系、ベクトル、質量、密度、エネルギー保存則――この世界の"数字"と、前世の数学的概念が、少しずつ繋がっていく感覚があった。
「面白くなってきたな」
俺は小さく笑った。
追放されたことに、悲しみがないと言えば嘘になる。だが、それ以上に――この力を、これからどう磨いていくか。その好奇心の方が、今は圧倒的に勝っていた。
数学者としての性なのかもしれない。未知の理論を前にすると、どうしても心が躍ってしまう。
「まずは、基礎から検証していくか」
俺はベッドに横になりながら、静かに目を閉じた。
明日から、新しい生活が始まる。
(第4話へ続く)




