元数学者、異世界を数字で書き換える 第57話
元数学者、異世界を数字で書き換える
【ルートA】第3章・帰還編
第57話「数えるということ」
精度を一万倍にする方法を、俺は二週間探した。
見つからなかった。
装置をどれだけ精巧に作っても、限界がある。光を目で見て、目盛りを読む。その最後の一段に、人間の目が入る限り、桁数は増えない。
人間の目は、だいたい四桁で限界だ。
「……別の方法だな」
俺は、三週間目の朝、そう結論した。
測るのではなく、数える方法。
◇◇◇
前世で、精密測定の歴史は、ある転換点を持っていた。
「大きさを比べる」から、「回数を数える」への転換だ。
長さを測るとき、物差しを当てて目盛りを読むと、四桁で限界が来る。
だが、波の山を数えるなら――何桁でも数えられる。
一万個数えれば四桁。一億個数えれば八桁。原理的な上限がない。
「――干渉だ」
俺は呟いた。
◇◇◇
「――なあライ、これ何なんだ」
レンが、新しい装置を覗き込んで言った。
小屋の床に、大きな十字が組まれている。
中央に、半分だけ光を通す板。その先の二方向に、鏡。
「光を、二つに分けて、また合わせる装置だ」
俺は答えた。
「なんでそんなことすんだ」
「見ていろ」
俺は、光源を灯した。
二つに分かれた光が、それぞれ鏡で跳ね返り、中央でもう一度合流する。
合流した光が、壁に当たった。
縞模様が現れた。
明るい帯と暗い帯が、等間隔に並んでいる。
「……縞だ」
「そうだ。光は波だと言ったな」
「言ってた」
「二つに分けた光の、片方だけ長い道を通らせる。すると、合流したときに、波の山と山が重なる場所と、山と谷が打ち消し合う場所ができる」
俺は、片方の鏡に手をかけた。
「鏡を、ほんの少しだけ動かす」
ゆっくりと、鏡を押した。
壁の縞が――流れた。
明暗の帯が、横へ横へと、川のように滑っていく。
「うおっ!?」
レンが飛び退いた。
「動いた!」
「これが、要点だ」
俺は、鏡から手を離した。
「今、俺は鏡を、目に見えないくらいしか動かしていない。だが、縞は十本以上、流れた」
「……」
「縞が一本流れるごとに、鏡は光の波長の半分だけ動いている。つまり――」
俺は、レンを見た。
「縞の数を数えるだけで、目に見えない長さが、正確に分かる」
レンは、しばらく壁を見つめていた。
「……なあ、ライ」
「なんだ」
「これ、なんか、すげえな」
「すごい」
俺は認めた。
「人類は、これを見つけるのに、二千年かかった」
◇◇◇
ここからの三ヶ月は、単調そのものだった。
縞を、数える。
それだけだ。
装置を組み、光を通し、縞を数える。
一晩で、数万本。
レンと交代で、目を潰しながら数え続けた。
目視では追いつかなくなったので、途中から俺は仕組みを変えた。
演算展開・記憶領域を応用して、光の明暗を「数」として直接読み取り、計算機に送る。
前世で言えば、光センサーだ。
人間の目を、装置の外に出す。
これで、一晩の計数が、数万から数千万に跳ね上がった。
「……なあ」
ある夜、レンが言った。
「俺、いらなくなってねえか」
縞を数える役目を、機械に取られた男の声だった。
俺は、手を止めた。
「レン」
「なんだよ」
「お前は、この三ヶ月で、何本数えた」
「……知らねえよ。何十万か」
「四十一万三千二百六十本だ」
俺は、記録帳を叩いた。
「全部、記録してある」
「……なんで記録してんだ」
「その四十一万本がなかったら、俺は装置の癖を掴めなかった」
俺は言った。
「機械は、正確に間違える。人間は、不正確に間違える。両方の記録を突き合わせて初めて、どっちがどう狂っているかが分かる」
「……」
「お前が数えた四十一万本は、機械の答え合わせだ。それがなかったら、俺は今、機械の嘘を信じている」
レンは、しばらく黙っていた。
それから、ぼそりと言った。
「……なんかお前、そういうこと言うの、うまくなったな」
「教科書を書いたからだ」
俺は、装置に向き直った。
「分からない奴が目の前にいると、人は説明がうまくなる」
「俺は分からない奴か」
「一年半前はな」
「今は?」
「今は――」
俺は、少し考えた。
「共同研究者だ」
レンは、返事をしなかった。
だが、その夜、あいつは俺より遅くまで起きていた。
◇◇◇
春分まで、あと五十八日。
その日、俺は十二桁目を確定させた。
計算機の水晶板に、最後の数字が浮かんだ。
俺は、その十二桁を、ノートに書き写した。
そして、その下に、前世の記憶から書いた十二桁を並べた。
二つの数字が、そこにあった。
上四桁が同じで、五桁目から違い、十二桁目まで書き切られた、二つの世界の住所。
「……終わった」
俺は、椅子から立ち上がれなかった。
一年半だった。
光を虹に分けることから始めて、線を見つけ、線が割れるのを見て、縞を数えて、ここまで来た。
前世の人類は、同じ道を三百年かけて歩いた。
俺は、その地図を持っていた。だから一年半で済んだ。
それは、俺が優れているからではない。
前を歩いた人間が、道の草を刈っておいてくれたからだ。
「――ライ!」
レンが、駆け込んできた。
「出たのか!?」
「出た」
俺は、ノートを掲げた。
「住所が、揃った」
レンは、その紙を見て、それから俺を見て、それから――
何も言わずに、俺を抱きしめた。
「……おい」
「うるせえ」
レンの声が、震えていた。
「一年半、見てたんだよ、俺は」
俺は、しばらく、されるがままになっていた。
ゼロが、足元でくるくる回っていた。
「クゥン! クゥン!」
「……お前は、何が嬉しいんだ」
俺が言うと、ゼロは、俺の靴を舐めた。
その時、俺は、まだ気づいていなかった。
住所が揃ったということは――出発の日が、確定したということだ。
そして、置いていくものが、確定したということでもあった。
(第58話へ続く)




