元数学者、異世界を数字で書き換える 第54話
元数学者、異世界を数字で書き換える
【ルートA】第3章・帰還編
第54話「五代目」
塔の根元に、小屋があった。
石造りの、小さな家。人が住んでいた跡がある。
中に入ると、埃だけがあった。
卓、椅子、寝台。そして、壁一面の書き付け。
「……カズヤの家だな」
俺は、卓の上に置かれた紙束を手に取った。
五十年前のものとは思えないほど、状態が良い。この森の時間の流れが遅いせいだろう。
表紙に、日本語で一行あった。
『観測記録 一年目』
俺は、ページを開いた。
中身は、星の位置の記録だった。
毎晩、同じ星を測り、角度を書き留めている。一日も欠けていない。
二冊目、『二年目』。同じ。
三冊目、四冊目。
全部で、七冊あった。
七年分。
そして、七冊目の最後のページで、記録は途切れていた。
最後の書き込みは、こうだった。
『七年目 二百三十一日
結論。星の位置からは何も出ない。
私は七年、間違った方向を測っていた。
やり直す気力がない。』
その下に、日付が変わって、もう一行。
『七年目 二百三十二日
塔の中を見てくる。』
それきり、記録はなかった。
「……戻ってこなかったのか」
レンが、覗き込んで言った。
「たぶんな」
俺は、七冊を丁寧に閉じた。
二十七人の平均存命期間、七年三ヶ月。
カズヤも、七年で終わっていた。
「……」
俺は、手が震えているのに気づいた。
怒りだった。
この男は、七年間、毎晩一日も欠かさず星を測った。その努力の量は、俺には正確に分かる。
そして、間違った方向を測っていた。
誰も、教えてくれる人間がいなかったからだ。
◇◇◇
「――レン」
「なんだ」
「ここに住む」
「は?」
「小屋を直して、装置を組む。春分まで、ここでやる」
俺は、卓の埃を払い始めた。
「王都に戻らなくていいのか」
「材料は運んでもらう。フィンに手紙を書く」
「あの学生か」
「あいつなら、動く」
俺は、窓の板を外した。光が入ってきた。
「それに――ここでやる理由がある」
「なんだ」
「時間の流れが遅い」
俺は、振り子時計を卓に置いた。
「この森は、外より時間がゆっくり進む。今の測定で、およそ七パーセント」
レンが、目を見開いた。
「……それって」
「外の十ヶ月が、ここでは十ヶ月と三週間になる」
俺は言った。
「三週間、多く働ける」
「……お前、そんなことのために」
「そんなことじゃない」
俺は真顔で言った。
「三週間は、三週間だ」
◇◇◇
それから二ヶ月、俺は五代目の装置を組んだ。
材料は、フィンが手配してくれた。学院の名前で、正規の輸送隊を出してくれた。
手紙には、こう書いてあった。
『材料は送ります。ただし、条件があります。
何を作っているのか、後で必ず教えてください。
でないと、僕は一生気になって死にます。』
俺は、返事にこう書いた。
『世界の住所を測る。教える。だから死ぬな。』
◇◇◇
五代目は、これまでとまったく違う代物になった。
一代目から四代目までは、「見る」ための装置だった。
五代目は、「数える」ための装置だ。
光を分ける板の溝の数を、一万本から、十二万本に増やした。
これは、人間の手では絶対に作れない。前世でも、専用の刻線機を使う。
だが、演算展開なら作れる。
なぜなら――俺は、溝の位置を「数値で指定」しているからだ。
「演算展開・物体構築」
俺は、掌の上のガラス板に意識を集中させた。
溝の間隔、〇・〇〇〇八三三ミリ。
その数値を、十二万回、正確に繰り返す。
一本でもずれれば、光は正しく分かれない。
「――ぐっ」
頭の奥が、割れるように痛んだ。
十二万本。単純な物体構築の、およそ千倍の演算量だ。
三日かかった。
三日目の夜、板が完成したとき、俺は椅子から落ちて、そのまま気を失った。
◇◇◇
目が覚めると、レンが横で心配そうな顔をしていた。
「……何時間寝てた」
「丸一日半だ」
「そうか」
俺は起き上がった。
頭が、鈍く痛んだ。
「板は」
「あそこにある。触ってねえ」
俺は、卓の上のガラス板を手に取った。
光にかざす。
表面が、鈍く虹色に光った。
「……できてる」
俺は、掠れた声で言った。
「なあ、ライ」
「なんだ」
「これ、あと何回やるんだ」
レンの声には、明らかに不安が混じっていた。
「……この板は、一枚でいい」
俺は答えた。
「だが、この後、もっと大きい演算がある」
「どのくらい」
「これの、たぶん――千倍以上」
レンが、絶句した。
「……死ぬぞ、それ」
「死なないやり方を、これから考える」
俺は、板を大事に布で包んだ。
「その方法も、たぶん、この一年で作ったものの中にある」
俺は、荷物の中から、王都で作った計算機を取り出した。
木の筐体に、水晶板が埋め込まれている。
演算展開・記憶領域を応用した、この世界で唯一の、外部演算装置。
「頭の中でやるから、死ぬんだ」
俺は言った。
「外でやれば、死なない」
(第55話へ続く)




