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元数学者、異世界を数字で書き換える  作者: godrenkon
第二章 日常編

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元数学者、異世界を数字で書き換える 第51話・第52話

元数学者、異世界を数字で書き換える


第51話「二つの報せ」



半年が過ぎた。


光を測る装置は、四代目になっていた。


一代目は、虹が見えるだけの板。

二代目で、角度が測れるようになった。

三代目で、太陽光ではなく、燃やした気体の光を使うようにした。

そして四代目で――俺はついに、「線」を見た。


「……これは」


目盛りを覗き込んだ俺は、声を失っていた。


太陽光は、赤から紫まで、切れ目なく繋がった帯になる。


だが、特定の気体を熱して光らせ、その光を通すと――帯にならない。


何本かの、細い線だけが現れる。


とびとびの、明るい線。


「レン。来い」


「なんだよ」


「覗け」


レンが目を近づけた。


「……線だ」


「そうだ」


「なんで、線なんだ」


「この世界の物が、そういうふうに出来ているからだ」


俺は、震える手でノートを開いた。


「光は、どんな色でも出せそうなものだろう。だが、実際は違う。物は、決まった色の光しか出さない。とびとびに。階段のように」


「……階段」


「そうだ。世界の一番細かいところは、なめらかじゃない。段になっている」


前世で、それを量子と呼んだ。


二十世紀初頭、人類が最初にそれを知ったのも、まさにこの「とびとびの線」からだった。


今、俺は同じ道を、たった一人で、半年で辿り直している。


「――で、それが住所になるのか」


レンが言った。


「なる」


俺は、線の位置を目盛りで読んだ。


「この線と、あの線の間隔。その比。それが、この世界の物理を決めている数と、直接結びついている」


「……ってことは」


「あと一段だ」


俺は言った。


「この線を、もっと拡大する。すると、一本に見えていた線が――二本に割れる」


「割れるのか?」


「割れるはずだ」


俺は、ノートに図を描いた。


「そのわずかな割れ方こそが、俺が探している数だ。俺の世界では、その現象の名前から、その数に名前をつけた」


『微細構造定数』


「線の、細かい構造。だから、微細構造」


俺は、五代目の設計図を描き始めた。


「あと三ヶ月、いや、二ヶ月くれ。それで――」


その時、扉が叩かれた。



◇◇◇



一通目は、王立魔法学院からだった。


差出人は、あのフィン・ロウズという学生。


『ライ・アーデン様


至急、お知らせしたいことがあります。

学院の天文部門が、来年の春分の頃に、極めて稀な天体配置が起こると算出しました。三重の会合です。前回の記録は――ありません。

ただし、五十年前の観測記録に、似た配置の記述があります。

デルヴィンの地下について、あなたが以前尋ねられていたことと、関係があるかもしれないと思い、お伝えします。


追伸 境界式、通りました。あなたの名前が載っています。』


俺は、その手紙を三度読んだ。


来年の春分。今から、およそ十ヶ月後。


世界と世界が「接近する」とエルドは言った。


その接近が、天体の配置と連動しているなら――窓は、十ヶ月後に開く。


「……十ヶ月」


俺は呟いた。


装置の完成に、二ヶ月。測定に、三ヶ月。理論の構築に、どれだけかかるか。


ぎりぎりだ。だが、間に合わないわけではない。


「――ライ」


レンの声が、いつになく硬かった。


彼は、二通目の手紙を持っていた。



◇◇◇



二通目は、封蝋が赤かった。


王家の紋章だった。


『ガルドレア王国 冒険者ギルド総本部 緊急布告


西部国境、ヴェルナ会盟軍による越境を確認。

ソルヴィア砦、陥落。守備隊三百、生存者十一名。

ランクB以上の全冒険者に対し、動員を要請する。

応召は義務ではない。だが、我が国は諸君の力を必要としている。』


俺は、その紙を卓に置いた。


レンが、無言でもう一枚を差し出した。


地図だった。ソルヴィア砦の位置に、赤い印が打たれている。


王都から西へ、馬で八日。


「……戦争、か」


俺は呟いた。


「知ってる名前がある」


レンが、低い声で言った。


「ヴェルナ会盟の軍装備、去年から急に良くなったって噂だ。金が入ったんだろうって、ギルドじゃ言われてた」


「金の出所は」


「……分からねえ」


だが、二人とも、同じことを考えていた。


灰色の紋章。


有力な冒険者を後援し、北東の探索に金を注ぎ込み、希少種を売って資金を作る組織。


その組織が、隣国に金を流していないと考える理由が、どこにもなかった。



◇◇◇



その夜、俺は工房の卓に、二通の手紙を並べた。


左に、天体配置の報せ。


右に、戦争の報せ。


期日は、片方が十ヶ月後の春分。


もう片方は、今日だ。


「クゥン」


ゼロが、卓の下から俺を見上げていた。


「……厄介なことになったな」


俺はゼロの頭を撫でた。


前世で四十年、俺は「二つの締め切りが重なったら、どちらかを諦めるしかない」と学生に言い続けてきた。


両方やろうとして両方落とす人間を、数え切れないほど見てきたからだ。


だが、その言葉が、まさか自分に返ってくるとは思わなかった。


西へ行けば、戦場だ。装置は作れない。測定もできない。春分には、絶対に間に合わない。


そして、窓が閉じれば――次はいつ開くか、分からない。


五十年後かもしれない。


その頃、俺は六十五歳だ。


「……いや」


俺は首を振った。


まだ、決めなくていい。


情報が足りない時に決断するのは、最悪の判断だ。


明日、ギルドへ行こう。西の状況を、正確な数字で把握する。


それからだ。


俺は、二通の手紙を並べたまま、明かりを落とした。


その夜、俺は久しぶりに、うまく眠れなかった。



(第52話へ続く)


ーーー


元数学者、異世界を数字で書き換える


第52話「分岐点」



ギルドは、混乱していた。


掲示板の依頼票は全部剥がされ、代わりに動員の布告と、負傷者の帰還名簿が貼られていた。


名簿の前に、人だかりができている。


「――ライ・アーデン殿」


呼び止めたのは、あの調査官だった。


「西へ行かれますか」


「まだ決めていない」


「そうですか」


男は、名簿の方を見ながら言った。


「私は、明日発ちます」


「……調査官が、戦場へ?」


「戦場では、記録を取る人間がいちばん足りません」


彼は、初めて、少しだけ笑った。


「あなたの言葉を借りるなら――癖は、抜けないものですので」


俺は、返す言葉を探して、見つけられなかった。


「一つだけ、申し上げます」


調査官は、俺に向き直った。


「ソルヴィア砦の生存者十一名から、聞き取りをしました。全員が、同じことを言っています」


「なんと」


「『敵の動きが、揃いすぎている』と」


男の目が、鋭くなった。


「三方向から同時に、しかも寸分の狂いなく。伝令が届く距離ではありません。あんな指揮は、この大陸で見たことがない、と」


俺は、その情報を頭の中に置いた。


通信手段のない軍隊が、離れた三部隊を同期させる方法は、原理的には一つしかない。


事前に、時刻を決めておくことだ。


そして、それには――正確な時計が要る。


「……調査官殿」


「はい」


「敵は、時計を持っている」


男は、目を見開いた。


「時計、ですか」


「ええ。この世界の技術水準では、まだ作れないはずの精度のものを」


俺は、その意味を噛み締めていた。


誰かが、この世界に、時計を持ち込んだ。


八百年前の男か、あるいは。


「……ありがとうございます」


調査官は、深く頭を下げた。


「それは、王都では誰も指摘していない視点です。書き留めます」


彼は、手帳を取り出した。


その背中を見送りながら、俺は思っていた。


記録を取る人間が、戦場へ行く。


俺は、記録を取る人間だ。



◇◇◇



家に戻ると、レンが庭で座り込んでいた。


素振りをしていなかった。それだけで、こいつが何を考えているかは分かった。


「――決めたのか」


俺が言うと、レンは顔を上げた。


「決めるのは、お前だろ」


「そうだな」


俺は、隣に腰を下ろした。


「クゥン」


ゼロが、二人の間に割り込んできた。


しばらく、誰も喋らなかった。


「……なあ、ライ」


「なんだ」


「俺は、お前に西へ行けとは言わねえ」


レンは、前を向いたまま言った。


「お前が帰りたいってのは、ずっと分かってた。この一年、光を測ってる時のお前の顔、俺は見てたからな」


「……」


「あんな顔してる奴を、戦場に引っ張ってく資格は、俺にはねえ」


俺は、しばらく黙っていた。


「レン」


「ん」


「俺は、逆のことを考えていた」


「……逆?」


「西へ行く理由を、必死に探していた」


俺は、膝の上で手を組んだ。


「なぜだと思う」


「……分からねえ」


「怖いんだ」


俺は、正直に言った。


「帰り道が見つかったら、俺は本当に帰ることになる。ここにあるもの全部を置いて」


「……」


「戦争は、その決断を先延ばしにする、完璧な言い訳になる」


レンが、ゆっくりと俺を見た。


「……それ、自分で気づいたのか」


「気づいた」


「気づいてて言うのか、それを」


「言う」


俺は言った。


「隠したら、計算が狂う」


レンは、長いこと俺を見ていた。


それから、深く息を吐いた。


「……お前、本当に、ずるいことができねえ男だな」


「よく言われる」



◇◇◇



その夜、俺は工房に一人でいた。


卓の上には、三つのものが並んでいた。


天体配置の報せ。


動員の布告。


そして、五代目の装置の設計図。


俺はノートを開き、いつも通り、条件を書き出した。


【選択肢A:北東へ】

・期限:来年春分(約十ヶ月)

・必要:五代目装置の完成、微細構造定数の測定、座標理論の完成

・成功時:元の世界へ帰る道が開く

・失敗時:窓が閉じる。次の機会は不明

・放棄するもの:西部戦線。この国の人々


【選択肢B:西へ】

・期限:なし(戦況次第)

・必要:兵站、指揮、演算展開の戦術転用

・成功時:戦争の終結、あるいは短縮

・失敗時:敗戦

・放棄するもの:春分の窓。おそらく、帰還そのもの


書き終えて、俺はペンを置いた。


前世なら、ここで期待値を計算する。


損得を数値化し、確率を掛け、大きい方を取る。それが、俺が四十年やってきたことだ。


だが。


「……計算、できないな」


俺は呟いた。


帰ることの価値と、人が死なないことの価値。


この二つを、同じ単位で測る方法が、俺にはない。


単位の違うものは、足せない。割れない。比べられない。


それは、この一年で俺が身をもって学んだ、一番大事な教訓だった。


世界と世界を比べるために、俺は無次元量を探した。


だが――


命と、帰郷を比べる無次元量は、どこにもない。


「……そうか」


俺は、しばらく天井を見上げていた。


数字は、答えを出してくれない。


数字は、問いを正確にしてくれるだけだ。


答えは、いつだって、数えた人間が自分で背負う。


セリアが、最後に言った言葉を思い出した。


――見えていない、じゃなくて、見ようとしてないの間違いじゃない?


あの時、俺は反論できなかった。


今度は、両方見た。両方書き出した。両方の重さを、正面から測った。


その上で、選ぶ。


「――決めた」


俺はノートを閉じ、立ち上がった。


窓を開けると、夜風が入ってきた。


空には、星が出ていた。


デルヴィンの尾根で見た、あの三つの星が、今夜も低い位置に並んでいる。


十ヶ月後、あれが真上に来る。


「……ゼロ」


足元で、影が動いた。


「三・二キロ」


「クゥ?」


「いや、なんでもない」


俺は、ゼロを抱き上げた。


明日の朝、俺は出発する。


北東か、西か。



◇◇◇



――ここから、物語は二つに分かれる。


一つは、彼が北東へ向かった世界。

世界の住所を測り、扉を開き、元の世界へ帰る道。


一つは、彼が西へ向かった世界。

数えることを戦場へ持ち込み、そこで、数えることの罪と向き合う道。



(第2章・日常編、完)


(第3章は、二つの道に分かれます)


【ルートA】第3章・帰還編 ―― 北東へ、境界の塔へ

【ルートB】第3章・戦争編 ―― 西へ、ソルヴィアへ


次回 第三章 ルートA

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