元数学者、異世界を数学で書き換える 第39話・第40話
元数学者、異世界を数字で書き換える
第39話「弟子入り志願」
家が完成してから数日後、俺が庭先で家具作りに励んでいると、見覚えのある人影が近づいてきた。
「――ライ」
レンだった。以前と変わらぬ、精悍な顔つき。だが、その目には、以前にはなかった、強い決意の色が宿っていた。
「久しぶりだな」
俺は手を止め、レンに向き直った。
「話がある」
「なんだ」
レンは、しかしまっすぐに俺を見据えた。
「俺を、弟子にしてくれ」
単刀直入な申し出だった。
「……本気か」
「ああ」
レンは、深く頭を下げた。
「あの日――お前が、ガイウスと戦っているのを見た」
「見ていたのか」
「ああ。物陰から、最初から最後まで」
レンは、静かに顔を上げた。
「お前が時間を止めた瞬間、俺は理解した。お前の力は、単なる魔法や剣技とは、まったく違う次元にあるものだと」
「……」
「俺の剣は、全部感覚だ。なぜ勝てるのか、自分でも説明できない。だが、お前は、すべてを数字で説明できる。剣の軌道も、力の伝わり方も、間合いの取り方さえも」
レンの声に、切実な響きが混じった。
「俺は、自分の剣を、次の世代に伝えられない。感覚でしか語れないものは、俺一代で終わる。それが、ずっと悔しかった」
「……」
「だから、教えてくれ。お前の考え方を。数字で、剣を語る方法を」
深々と頭を下げるレンを、俺はしばらく黙って見つめていた。
「……頭を上げろ」
「ライ」
「弟子にする、しないの前に、まず、一緒に飯でも食おう」
俺がそう言うと、レンは驚いたような顔をした。
「……いいのか」
「弟子にするかどうかは、それから決める」
苦笑しながら、俺はレンを家の中へと案内した。
◇◇◇
簡素な食卓を囲みながら、俺とレンは、ぽつぽつと言葉を交わしていた。
「……美味いな、これ」
レンが、驚いたように呟いた。
「野草のスープだ。この辺りに生えてる薬草の一種、癖はあるが栄養価は高い」
「お前、料理もできるのか」
「必要に迫られればな」
前世の一人暮らしで培った、最低限の自炊スキル。異世界に来てからも、地味に役立っている。
「なあ、ライ」
「なんだ」
「本当に、俺を教えてくれるのか」
レンの問いに、俺はしばらく考えた。
「一つ、聞かせてくれ」
「なんだ」
「お前は、なぜ剣を振るう」
唐突な問いに、レンは少し戸惑ったような表情を見せた。
「……分からない。ただ、剣を振るっている時だけ、自分が"何か"であるような気がする」
「曖昧だな」
「悪いか」
「いや」
俺は静かに首を振った。
「その曖昧さを、少しずつ数字に変えていく。それが、俺にできることだ」
「……」
「ただし、一つだけ言っておく」
俺は、レンをまっすぐ見据えた。
「数字にできないものも、この世界にはたくさんある。俺は、それを最近になって、ようやく理解し始めたところだ」
「……どういう意味だ」
「今はまだ、うまく説明できない」
苦笑しながら、俺は答えた。
「だが、いずれ分かる。数字は万能じゃない。それでも、数字は――ちゃんと誠実な道具なんだ」
レンは、しばらく黙って俺の言葉を咀嚼していた。
「……よく分からねえけど」
「ああ」
「お前についていけば、いつか分かるようになるのか」
「保証はできない」
俺は正直にそう答えた。
「だが、少なくとも、俺は本気でお前と向き合うつもりだ」
その言葉に、レンは静かに、しかし確かな笑みを浮かべた。
「――よろしく頼む、師匠」
「気が早いな」
「いいだろ、別に」
レンは、照れくさそうに笑った。
「クゥン!」
足元で、ゼロが祝福するように鳴いた。
こうして、俺の家に、新しい住人が一人、加わることになった。
(第40話へ続く)
ーーー
元数学者、異世界を数字で書き換える
第40話「計算機」
レンが家に加わってから、俺の生活には、新しいリズムが生まれていた。
朝は、レンの剣の稽古に付き合う。とはいえ、俺自身は剣術の達人ではないので、もっぱら「観察と分析」の役に回っていた。
「もう一回、さっきの踏み込みをやってみてくれ」
「ん」
レンが、素振りを繰り返す。俺は、演算展開・演算加速を軽く発動させ、その動きを"数値"として分解していく。
「お前の踏み込み、右足の接地から剣の振り抜きまで、平均0.4秒だ。だが、三回に一回、0.45秒までブレる」
「……そんな細かいこと、分かるのか」
「分かる。で、ブレる時は決まって、右膝の角度が浅くなってる」
俺がそう指摘すると、レンは驚いたような顔で自分の足元を見た。
「……マジかよ」
「意識してみろ」
レンは、言われた通りに膝の角度を意識しながら、もう一度素振りをした。
「――お、おお?」
「今の、0.38秒だ。安定もしてる」
「……すげえ」
レンは、目を輝かせながら、何度も同じ動作を繰り返し始めた。
「なあ、ライ」
「なんだ」
「これ、俺は今まで、感覚でしか分かってなかったことだよな」
「そうだな」
「言葉にできると、こんなに違うのか」
レンの声には、確かな興奮が滲んでいた。
「再現性が生まれるからな」
俺は静かに答えた。
「感覚は、その日の調子や気分に左右される。だが、数字は裏切らない。0.38秒という結果を出す条件が分かれば、それを毎回、意図的に再現できるようになる」
「……なるほど、な」
レンは、深く頷いた。
「俺、ちゃんと、教われる気がしてきた」
「まだ始まったばかりだ」
苦笑しながら、俺は稽古の続きを見守った。
◇◇◇
昼下がり、俺は工房として使っている小屋で、以前作った五桁の計数器を見つめていた。
演算展開・記憶領域を応用して作った、簡易的な機械式の計算補助具。だが、五桁の加減算しかできないそれは、正直なところ、まだまだ実用性に乏しかった。
「……もっと、複雑な計算をこなせるようにしたいな」
俺は前世の記憶を辿った。
電卓、コンピュータ――前世で当たり前のように使っていた計算機器の仕組みを、この世界の技術と、演算展開の力で再現できないだろうか。
「二進法、か」
頭の中で、少しずつ設計図が組み上がっていく。
この世界の魔力を、電気信号の代わりに使えないか。演算展開で、簡易的な論理回路を構築できないか。
「演算展開・物体構築、演算展開・記憶領域――複合展開」
俺は、これまでの検証で培ってきた複数演算の同時処理を駆使し、小さな木箱ほどの大きさの装置を組み上げ始めた。
何日もかけて、試行錯誤を繰り返す。回路の設計、魔力の伝導効率、演算処理の正確性。前世の知識と、この世界の力を、少しずつ融合させていく作業だった。
「……よし」
やがて、装置が完成した。
木製の筐体に、小さな水晶板が埋め込まれている。魔力を流し込むと、水晶板に浮かび上がる数字。
「演算展開・記憶領域、起動」
試しに、簡単な計算式を入力してみる。
『247 × 389 = ?』
水晶板に、瞬時に答えが浮かび上がった。
『96083』
「……できた」
俺は、静かに息を吐いた。
前世で言うところの、電卓に近いものが、この手で完成した。数字を、魔力を通して外部の装置に処理させる。演算展開の力を、俺自身の思考の外に"肩代わり"させる、初めての試みだった。
「これは、大きな一歩だな」
俺は装置を見つめた。
いつか、この力が、俺だけのものではなくなる日が来るかもしれない。そんな予感が、確かにあった。
◇◇◇
夕方、家に戻ると、ゼロが庭で何かを掘り返していた。
「なにしてるんだ、お前」
「クゥン!」
ゼロは、得意げに何かを咥えて持ってきた。木の根っこのようなものだった。
「……それ、食べ物じゃないぞ」
苦笑しながら、俺はゼロの頭を撫でた。
復讐編を終えてから、ゼロは、すっかりこの家に馴染んでいた。庭を駆け回り、時折レンの稽古を眺め、夜は俺の足元で丸くなって眠る。
「お前がいると、随分と癒されるよ」
俺はそう呟いた。
四人分の重さを、完全に消化できたわけではない。それでも、こうして日々の生活を積み重ねていくことで、少しずつ、前に進んでいる実感はあった。
「クゥン」
ゼロが、まるで理解しているかのように、静かに俺に寄り添った。
夕暮れの空の下、俺たちの静かな日常が、少しずつ形になっていった。
(第41話へ続く)




