元数学者、異世界を数字で書き換える 第37話・第38話
元数学者、異世界を数字で書き換える
第37話「四つの遺品」
ガイウスを討ってから、三日が経っていた。
俺は王都郊外の小さな丘の上に、一人で立っていた。眼下には、朝靄に包まれた森が広がっている。あの日、俺が演算展開に目覚めた森だ。
懐から、四つの品を取り出す。
ダグの、ボロボロになった安全ルート表。
セリアの、書きかけの手紙。
ボルドの、二十年分の研究ノート。
そして――ガイウスには、形のある遺品がなかった。あの男が最後まで手放さなかったのは、言葉にならなかった一つの問いだけだった。
「……四人分、か」
俺は丘の地面に、演算展開・物体構築で小さな石碑を四つ、並べて作った。名前を刻む気にはなれなかった。ただの、四角い石だ。
名前があれば、俺は彼らを思い出すたびに、また迷ってしまう気がした。
「クゥン」
足元で、ゼロが心配そうに俺を見上げていた。
「大丈夫だ」
俺はゼロの頭を撫でながら、静かに丘を見渡した。
復讐は、終わった。だが、達成感というものは、驚くほど何もなかった。
数字の上では、俺は"目標"を達成した。四人という数、ゼロになった。だが――その先に何があるのか、俺はまだ、何一つ計算できていなかった。
「……さて」
俺は静かに息を吐いた。
いつまでも、この場所に立っていても仕方がない。前世で四十年、俺は「答えの出ない問い」から目を逸らさず、地道に手を動かし続けることでしか、前に進んだことがなかった。
「まずは、住む場所からだな」
俺は丘を下り始めた。
◇◇◇
王都に戻ると、俺はギルドの受付で、土地の取得について尋ねた。
「土地の購入、ですか」
受付嬢が、少し驚いたような顔をした。
「ランクB以上の冒険者であれば、王都近郊の未開拓地を、比較的安価に取得できますよ。開拓条件付きにはなりますが」
「開拓条件?」
「ええ。一定期間内に、居住可能な建物を建てることが条件です。まあ、普通は業者を雇うんですけど……」
受付嬢は、少し言いにくそうに続けた。
「あなたなら、必要ないかもしれませんね」
「……噂になってるのか、俺の力」
「ええ、まあ。演算展開でしたっけ。ちょっとした有名人ですよ、今」
苦笑しながら、俺は書類にサインをした。
王都から少し離れた、森と草原の境目にある土地。前の持ち主もおらず、静かに暮らすには悪くない場所だった。
「よし」
手続きを終え、俺は土地の権利書を懐にしまった。
「ゼロ、行くぞ」
「クゥン!」
元気よく鳴くゼロを連れて、俺は新しい生活の第一歩を踏み出した。
◇◇◇
取得した土地に立ち、俺は改めて、これからのことを考えていた。
「家を建てる、か」
演算展開・物体構築のスキルレベルは、既にLv.18まで上昇している。木材の分子構造を書き換え、簡易的な小屋程度なら、既に何度も作ってきた。
だが――「人が暮らす家」となると、話は別だ。
「構造計算から、やり直す必要があるな」
前世の記憶にある、建築工学の知識を引っ張り出す。基礎の強度、柱の配置、屋根の傾斜角。数字として捉えれば捉えるほど、家というものが、いかに緻密な計算の積み重ねでできているかが分かってくる。
「まあ、悪くない暇つぶしだ」
俺は静かに笑った。
復讐という、重く、答えのない問いから離れて――今は、目の前の「家を建てる」という、明確な目標に向き合える。それだけで、少しだけ、心が軽くなる気がした。
「よし、まずは基礎からだな」
俺は袖をまくり、地面に向き直った。
「演算展開・座標設定」
まずは、土地の測量から始める。四隅の座標を正確に把握し、頭の中で設計図を組み立てていく。
「クゥン?」
ゼロが、不思議そうに俺の作業を見つめていた。
「見ててもいいが、退屈だろうな」
苦笑しながら、俺は作業を続けた。
これから、どれだけの時間がかかるかは分からない。だが――急ぐ必要は、もうなかった。
誰かに追われることも、誰かを追うこともない。ただ、自分のペースで、自分の生活を組み立てていく。
それは、追放されてから今まで、一度も味わったことのない感覚だった。
(第38話へ続く)
ーーー
元数学者、異世界を数字で書き換える
第38話「試行錯誤」
「――というわけには、いかなかった」
俺は、目の前に建った"それ"を眺めながら、静かにそう呟いた。
一階部分は、なぜか完璧な立方体になっている。窓の位置は左右非対称、屋根に至っては、傾斜角の計算を間違えたのか、片側だけが異様に反り返っていた。
「クゥ、クゥン……」
ゼロが、若干引き気味の表情(のように見えた)で、その建造物を見上げている。
「いや、分かってる。俺も分かってる」
俺は額を押さえながら、深くため息をついた。
前世で数学は得意だった。だが、建築工学の実践、しかもそれを演算展開という未知の力で再現するとなると、話は別だった。理論と実践の間には、想像以上に深い溝がある。
「まず、屋根の傾斜角の計算式が根本的に間違っていたな」
俺はノートを取り出し、再計算を始めた。
「積雪荷重を考慮していなかった。この世界、冬に雪が降るかどうかも確認していない」
俺は資料集めのため一度王都へと足を運んだ。
◇◇◇
「――というわけで、王都近郊の年間降雪量について、知りたいんですが」
ギルドの資料室で、俺は司書らしき老人に尋ねていた。
「おや、珍しい質問じゃな。冒険者が、なぜそんなことを?」
「家を建てていまして」
「ほう、自分で?」
「はい」
老人は、興味深そうに俺を見つめた。
「近頃、噂の演算展開の使い手か。なるほど、家まで建てられるとは」
「まだ、完璧には程遠いですけどね」
苦笑しながら答えると、老人は資料棚から一冊の本を取り出した。
「これに、過去五十年の気象記録がまとめてある。参考にするといい」
「ありがとうございます」
資料を受け取り、俺は改めて感謝した。前世でも痛感していたことだが、良質なデータほど、この世界でも貴重なものはない。
◇◇◇
資料を基に再計算を行い、俺は改めて家の建築に取り掛かった。
「演算展開・物体構築」
今度は、慎重に、丁寧に。基礎の強度計算、柱の配置バランス、屋根の傾斜角――すべてを、緻密な数値として組み上げていく。
「……よし」
数時間後、完成した建物を見て、俺は静かに満足の息を吐いた。
今度は、まともな家の形をしていた。木造の、シンプルながらも温かみのある平屋。窓の位置も左右対称、屋根の傾斜も、適切な角度に収まっている。
「クゥン!」
ゼロが、嬉しそうに家の周りを走り回った。
「気に入ったか」
俺は、ゼロの頭を撫でながら、静かに家を見上げた。
「……悪くないな」
前世で四十年、賃貸暮らしを続けてきた俺にとって、自分の手で建てた家というのは、初めての経験だった。数字の力で作り上げたとはいえ、この達成感は、また格別なものがあった。
◇◇◇
家の中を整えながら、俺はふと、これまでのことを振り返っていた。
追放され、力に目覚め、四人と決着をつけ――そして今、こうして新しい生活の基盤を、自分の手で作り上げている。
「……前世の俺が見たら、なんて言うだろうな」
俺は苦笑した。
大学で数学を教えていた頃の自分が、まさか異世界で、数字の力を使って家を建てることになるとは、想像もしていなかっただろう。
「まあ、悪くない人生だ。二周目にしては、な」
静かにそう呟くと、俺は窓の外を見た。
夕暮れの空が、オレンジ色に染まっている。ゼロは、庭で楽しそうに走り回っていた。
「さて、次は――」
俺は、家の中を見回した。
まだ、家具も何もない、がらんとした空間。だが、これから少しずつ、ここに"生活"を積み重ねていく。
「やることは、まだまだ多いな」
静かにそう呟くと、俺は次の作業に取り掛かることにした。
(第39話へ続く)




