元数学者、異世界を数学で書き換える 第36話
1期最終話です
元数学者、異世界を数字で書き換える
第36話「静寂の朝」
あの日から、三日間、俺はほとんど眠っていた。
宿の主人が心配して部屋を覗きに来たらしいが、覚えていない。四日目の朝に起きたとき、枕元に水差しとパンが置いてあった。
パンは硬くなっていた。
それを齧りながら、俺は久しぶりに、自分のステータスを開いた。
【ライ・アーデン】
種族:人間
ギルドランク:B
レベル:71
HP:295/295
MP:235/235
筋力:47
敏捷:55
知力:141
──スキル──
演算展開:Lv.16
追放された日、この数字は、レベル3、知力24だった。
三ヶ月半で、ここまで来た。
「……速いな」
独りごちる。
前世で四十年やっても、俺は自分の能力がこれほど伸びる経験をしたことがない。
三十を過ぎたあたりから、人は「伸びる」ではなく「深まる」ようになる。それは悪いことではないが、成長曲線としては、明らかに寝る。
だが、この三ヶ月半は、違った。
理由は分かっている。
命が懸かっていたからだ。
人間は、締め切りがあると恐ろしく速く学ぶ。それが最も残酷な締め切りなら、なおさら。
「……ろくでもない話だな」
俺は、パンの最後の一片を飲み込んだ。
◇◇◇
宿を出ると、王都は普段通りだった。
荷車が石畳を軋ませ、パン屋から湯気が立ち、子供が犬を追いかけている。
四人が死んだことなど、この街は知らない。
いや――正確には、知っている。
「白銀の獅子、全員行方不明」の張り紙は、まだギルドの掲示板に残っている。ただ、端が破れて、上から新しい依頼票が三枚も重ねられていた。
三ヶ月半前は、あのパーティーの名前が掲示板の中央にあった。
人が消えることの意味は、掲示板の上では、たったそれだけだ。
「――ライ・アーデン殿」
声をかけられて、俺は振り返った。
ギルドの調査官だった。以前、聞き取りをした男。
「お久しぶりです」
「……また、あなたか」
「捜索は、打ち切りになりました」
男は、前置きなくそう言った。
「四名とも、失踪扱いです。証拠が、何一つ出ませんでした」
「そうか」
「ええ」
調査官は、手帳を開かなかった。ただ、まっすぐ俺を見ていた。
「私は、納得していません」
「……」
「ですが、納得と証拠は別物です。それは、私の仕事の基本ですので」
男は、少しだけ表情を緩めた。
「ライ殿。一つだけ、申し上げてよろしいですか」
「どうぞ」
「あなたのこの三ヶ月半の行動記録は、驚くほど、空白がありません」
俺は、答えなかった。
「冒険者というのは、普通、もっと記録に残らない時間があるものです。あなたは、まるで――記録に残ることを、選んでいるように見える」
「そういう癖なんです」
「ええ、そう伺いました」
調査官は、頷いた。
「癖というのは、抜けないものですね」
その一言を残して、彼は去っていった。
俺は、しばらくその背中を見送っていた。
皮肉な話だった。
俺の武器は、記録だ。数え、書き留め、並べ直す。それで俺はここまで来た。
そして同じ武器が、いつか俺を指し示す可能性がある。
数字は、誰の味方でもない。使う人間が誰であっても、同じように正確に働く。
それは、俺が信じてきた美点であり――今日初めて、そのまま欠点でもあると気づいた。
◇◇◇
その足で、俺は王都の東門を出た。
目的地は決めていなかった。ただ、歩きたかった。
半刻ほど歩いたところで、道端の切り株にレンが座っていた。
「……なんでここにいる」
「宿の主人に聞いた。東に出たって」
レンは立ち上がり、当然のように隣に並んだ。
「どこ行くんだ」
「決めてない」
「じゃあ、俺も決めてない」
「……ついてくるのか」
「弟子だからな」
「まだ、弟子にした覚えはないぞ」
「じゃあ、今、していいぞ」
レンは、あっさりと言った。
俺は、思わず笑った。三ヶ月半ぶりに、腹の底から笑った気がした。
「クゥン!」
草むらから、ゼロが飛び出してきた。いつの間についてきていたのか。
「お前もか」
「三・二キロは、ついてくる権利がある」
「……なんでその数字を知ってる」
「お前が毎月、ノートに書いてるだろ。覗いた」
「覗くな」
そう言いながら、俺は歩調を緩めなかった。
三人と一匹――いや、二人と一匹。数え間違えた。
数え間違えるのは、久しぶりだった。
◇◇◇
街道の先で、俺たちは丘の上に出た。
眼下に、王都が広がっていた。
三ヶ月半前、俺はこの街から追い出された。所持金は銀貨六十枚、行き先はなく、名前には泥が塗られていた。
今、俺の後ろには、一人と一匹がいる。
「……なあ、ライ」
「なんだ」
「これから、何すんの」
その質問に、俺はしばらく答えられなかった。
復讐は、終わった。目標という名の数字は、ゼロになった。
ゼロになった、ということは――何を足してもいい、ということだ。
前世で四十年、俺は数学以外のものを、ほとんど足さずに生きてきた。それを後悔したことはない。だが、後悔しなかったのは、他の選択肢を計算しなかったからだ。
今度は、計算してみてもいい気がした。
「……家を建てる」
俺は言った。
「は?」
「家だ。屋根と壁と、床のあるやつ」
「いや、意味は分かるけどよ。なんで」
「三ヶ月半、宿を転々としていた。落ち着いて計算できる机が欲しい」
「……机のために家を建てるのか、お前」
「机が要るから家を建てるんだ。順番が逆だと、いい机は手に入らない」
レンは、しばらく黙ってから、腹を抱えて笑い出した。
「――なんだそれ!」
「笑うな」
「いや、笑うだろ。四人殺した男の、次の目標が、机だぞ」
「悪いか」
「いや」
レンは、笑いを収めて、目尻を拭った。
「……いや、いいと思う。すげえいい」
朝日が、丘を越えて、王都の屋根を照らし始めていた。
俺は、その光の中に、三ヶ月半前の自分の姿を、一瞬だけ見た気がした。
ノートを抱えて、誰にも読まれない地図を書いていた、十五歳の少年。
あいつは、死ななかった。
「……行くか」
俺は歩き出した。
復讐編は、これで終わりだ。
だが、俺の物語で一番長い章は、たぶん、ここから始まる。
(第1章・復讐編、完)
(第2章・日常編へ続く)
元数学者、異世界を数字で書き換える 1期 復讐編
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!本話をもちまして、本作の第1期 復讐編がひとまず完結となります。
自分で見てて思うんだけどこれのどこがおもろいん(自分で作った料理は美味いのにな)
本当はもっと復讐と残酷さを描きたかったらしいんですけど、まぁ初めての小説にしては良かったんじゃないですかね。
漫画とか描きたいけど棒人間しか描けなくて悲しい。そんな事する暇あるなら数学勉強しろっていうね
えっと、2期の日常編は少し短くて面白いかは分からないので、2話合わせて6時間ごとに投稿しようかなと思うんですよね。
そういえば3期は2つに分岐するとかだった気がするんですけど、せっかくだから同時並行で出しましょうか
1期も6時間ごとに投稿しててね、ちゃんとペース保ったまま1期完結出来たと、これからも頑張って欲しいと思います。
ちなみに僕は一気に全部見たい派です
言いたい事を適当に言うだけの後書きでした。それでは
元数学者、異世界を数字で書き換える 2期【日常編】
2026/08/13(木) 0:00 UTC+0 連載開始(予定)




