元数学者、異世界を数学で書き換える 第30話
元数学者、異世界を数字で書き換える
第30話「勝率、四十七パーセント」
ガイウスとの決戦を翌日に控えた夜、俺は机に向かって、勝率を計算していた。
感傷ではない。実務だ。
前世で、俺は「勝てそうな気がする」という言葉を信用しない人間だった。気がする、は情報量がゼロだ。数字にならないものは、検証できない。
だから俺は、三人との戦いで得たデータを、全部並べた。
【前提条件】
・敵:ガイウス・レイフォード ランクA 剣士
・観測機会:過去三年間の同行時、および直近三戦の間接観測
・自分:ランクB レベル68 演算展開Lv.15
まず、剣速。
三年間、俺は補助役として彼の戦闘を数え切れないほど見てきた。当時のノートには、彼の一撃が敵に届くまでの拍数を記録してある。「三」で振りかぶり、「四」で当たる。この世界の兵士が使う数え歌の拍で、およそ〇・四秒。
ただし、それは三年前の数字だ。
昇格したAランクの剣士は、王国の記録によれば、平均して年に八パーセント程度、実戦速度を伸ばす。三年で、およそ一・二六倍。
推定剣速、〇・三二秒。
対して、俺の反応。
演算加速を使えば、体感で二・五倍の余裕が生まれる。体感〇・八秒。
「――余裕じゃないか」
一瞬、そう思った。
だが、俺はすぐにペンで線を引いて、その数字を消した。
罠だ。
演算加速が引き伸ばすのは、思考であって、肉体ではない。
見えている時間が二・五倍になっても、腕の動く速さは変わらない。
これは、前世の学生が延々と間違え続けた種類のミスだった。「分かる」と「できる」を、同じ軸に置いてしまう間違い。
俺は書き直した。
【実効値】
・知覚可能時間:〇・八秒(体感)
・実際の可動時間:〇・三二秒(現実)
・つまり:見えているのに、間に合わない
「……これが、答えか」
俺はペンを置き、天井を見上げた。
三人との戦いで、俺が勝ってきた理由は、実は速度ではなかった。
ダグには、三年分の癖のデータで勝った。
セリアは、戦わなかった。
ボルドには、彼の理論の同期誤差、〇・三秒の隙間を突いた。
全部、「相手の構造の穴」を突いている。
では、ガイウスの構造の穴は、どこにある。
俺は、ノートを新しいページに開いた。
一時間かけて、俺は思いつく限りの手を書き出した。
座標移動で背後を取る――過去三戦で使用済み。読まれる。
物体構築の多重投擲――ボルド戦で使用済み。読まれる。
境界設定で足止め――ボルド戦で使用済み。
質量変換で剣速を上げる――ダグ戦で使用済み。
全部、使ってしまっていた。
そして、ガイウスは三戦とも、間接的に情報を集められる立場にいた。
「……手札が、全部開いてる」
俺は、乾いた笑いを漏らした。
前世で、俺はよく学生に言っていた。「証明とは、相手に手の内を全部見せて、それでも反論できない状態を作ることだ」と。
数学ではそれが美徳だ。
戦闘では、致命傷だ。
俺は、シミュレーションを回し始めた。
演算加速+座標移動で背後へ。読まれて迎撃、被弾。
境界設定で防御し、多重投擲。二本命中、致命傷にならず。反撃を受ける。
質量変換で速度を上げ、正面から。力量差で押し負ける。
何度回しても、同じところで詰まった。
五十回ほど回して、俺は数字を出した。
勝率、四十七パーセント。
「……微妙だな」
五割を、わずかに切っている。
コインを投げるのと、ほとんど変わらない。
いや――コインより悪い。負けたときに、俺は死ぬ。
前世なら、この期待値の賭けは絶対に打たない。〇・四七の勝率に、命という無限大の損失を賭けるのは、期待値の計算として成立しない。
だが、俺は明日、行く。
それは、既に決まっていた。
◇◇◇
ペンを置き、俺は窓を開けた。
夜風が入ってきた。王都の空は、今夜も晴れていた。
「……足りないんだ、何かが」
俺は呟いた。
四十七パーセントを、五割の壁の向こうへ押し上げる何かが、まだ一つ足りない。
それは、力の強化ではない。レベルを一つ上げたところで、勝率は一パーセントも動かない。もう検証済みだ。
必要なのは、新しい「軸」だ。
座標、質量、演算速度、境界。
俺が扱えるのは、この四つ。
では――この四つに、共通しているものは何だ。
座標は、位置を示す数だ。
質量は、量を示す数だ。
演算速度は、処理量を示す数だ。
境界は、範囲を示す数だ。
全部、「何かの大きさ」を表している。
「……じゃあ、大きさじゃないものは」
俺は、その先を考えようとして、頭が止まった。
疲れていた。魔力も、思考も、底が見えている。
ここから先は、たぶん、机の上では出ない。
前世でも、そうだった。行き詰まった証明の最後の一手は、いつも机以外の場所で降りてきた。風呂とか、寝る直前とか、あるいは――追い詰められた瞬間に。
「……明日、出るといいがな」
俺は苦笑して、窓を閉めようとした。
その時、外から声がした。
「――まだ起きてんのか」
見下ろすと、庭先にレンが立っていた。
(第31話へ続く)




