元数学者、異世界を数字で書き換える 第24話
元数学者、異世界を数字で書き換える
第24話「知性の代償」
セリアの一件から数日後、俺はボルドの動向を探るため、彼が拠点にしている工房を訪れていた。
王都の一角にある、古びた石造りの建物。かつて彼が学院を追われた後、私費で研究を続けているという場所だった。
「……ライか」
扉を開けると、片眼鏡をかけたボルドが、驚いたような表情でこちらを見た。
「何の用だ」
「話がある」
「ダグとセリアのことなら、もう聞いている」
ボルドは、静かに椅子から立ち上がった。その表情に、動揺の色はなかった。むしろ、どこか達観したような、静かな眼差しだった。
「お前が来ることは、予想していた」
「そうか」
俺は工房の中を見回した。散らかった書物、複雑な魔法陣の描かれた羊皮紙。学者らしい、雑然とした空間だった。
「見ていくか?」
ボルドが、静かに一冊の研究ノートを手に取った。
「俺が、かつて学院で研究していたものだ」
差し出されたノートを、俺は受け取った。
ページをめくると、そこには――見覚えのある数式が、びっしりと書き込まれていた。
「これは……」
「魔法陣の数式化理論だ。魔法という現象を、すべて数値で表現できるはずだという仮説を、俺は若い頃、本気で信じていた」
ボルドは、静かに続けた。
「だが、実技試験で結果を出せず、俺はその道を諦めた。理論より、目に見える結果――戦闘力の数値こそが正義だと、自分に言い聞かせるようになった」
「……それが、俺を見下した理由か」
「そうだ」
ボルドは、静かに頷いた。
「お前が、俺の諦めた理論の世界に、事もなげに足を踏み入れているのを見て――正直、恐ろしかった。同時に、どうしようもなく、嫉妬した」
その告白に、俺は静かに目を細めた。
「なぜ、今更それを話す」
「終わりにするなら、正直に話しておきたかった」
ボルドは、静かに眼鏡を外した。
「俺は、お前を見下すことでしか、自分のプライドを保てなかった。ダグやセリアも、似たようなものだろう。あの日、お前を追放した理由は、それぞれ違うようで、根っこは同じだ」
「根っこ?」
「自分の中にある、劣等感さ」
ボルドは、自嘲めいた笑みを浮かべた。
「戦闘力の数値でしか、人を測れなかった俺。家名のために、数字に固執していたセリア。学がないことに、コンプレックスを抱えていたダグ。……全員、お前という存在を通して、自分の弱さを見せつけられた気分だったんだろうな」
その分析は、驚くほど的確だった。
俺は、静かに研究ノートを見つめた。
「このノート、俺にとってお前の力を知る、大きな手がかりになった」
「知ってる。だから、渡した」
ボルドは、静かに言った。
「俺の理論が正しかったのか、確かめてほしい。お前の力で」
「……お前は、それで満足なのか」
「満足も何も、俺はもう長くない」
その言葉に、俺は思わず眉をひそめた。
「どういうことだ」
「灰色商会だ」
ボルドは、静かにため息をついた。
「セリアが逃げようとしていることに、奴らはもう気づいている。俺も、いずれ同じように処分される側の人間だ」
「……」
「お前が来なくても、遅かれ早かれ、俺は消される運命だったのさ」
その言葉には、諦めと、どこか安堵にも似た響きがあった。
◇◇◇
それから数日、俺はボルドの研究ノートを読み込みながら、演算展開のさらなる応用について検証を続けていた。
「――魔法陣の数式化、か」
ボルドの理論と、俺の演算展開の力を組み合わせれば、これまで以上に精密な演算が可能になるかもしれない。
「演算展開・境界設定、応用」
検証用の広場で、俺はボルドの理論をベースにした、新しい結界の構築を試みた。
頭の中で、複雑な数式が組み上がっていく。ボルドが長年かけて磨いてきた理論体系は、想像以上に精緻なものだった。
「……なるほどな」
やがて、完成した結界を見つめながら、俺は静かに息を吐いた。
単純な境界設定よりも、遥かに強固で、複雑な効果を持つ結界が出来上がっていた。
「これなら、灰色商会相手にも通用するかもしれない」
静かにそう呟くと、俺は次の準備に取り掛かった。
ボルドとの決着は、避けられない。だが、それは同時に――彼の理論を、正しく受け継ぐ機会でもあった。
(第25話へ続く)




