元数学者、異世界を数学で書き換える 第16話
元数学者、異世界を数字で書き換える
第16話「ダグとの決着」
夜明け前の採石場跡地は、静寂に包まれていた。
岩肌がむき出しになった広大な空間。俺は指定された場所で、ダグの到着を待っていた。
やがて、東の空が白み始める頃、剣を携えたダグの姿が見えた。
「待たせたか」
「いや、時間通りだ」
俺たちは、数メートルの距離を置いて対峙した。
「なあ、ライ」
「なんだ」
「本気で来いよ。手加減なんて、いらねえ」
ダグの目には、覚悟の色が宿っていた。以前、俺を「役立たず」と切り捨てた時の、あの見下すような目とは、明らかに違う。
「ああ、望むところだ」
俺は静かに、演算展開に意識を集中させた。
「演算展開・物体構築」
手のひらに、鋭い長剣が生成される。以前の即席の武器とは比較にならない、精密で洗練された一振りだった。
「……なるほどな。それが、お前の力かよ」
ダグは剣を構えながら、感嘆したように呟いた。
「行くぞ」
その言葉を合図に、ダグが地を蹴った。
圧倒的な速度での接近。剣士としての実力は、以前とは比較にならないほど向上している。俺は瞬時に判断を下した。
「演算展開・座標設定」
座標をずらし、初撃をかわす。だが、ダグの反応も早かった。
「そう簡単に、いくかよ!」
予測していたかのように、ダグは剣を翻し、俺がずれた先へと追撃を仕掛けてきた。
「――速い」
俺は即座に長剣を構え、その一撃を受け止めた。金属同士がぶつかり合う甲高い音が、採石場に響き渡る。
「くっ……!」
想像以上の重さだった。単純な力比べでは、明らかにダグの方が上回っている。
(だが――)
俺は冷静に頭を働かせた。
ダグの剣速、力の向き、間合いの取り方。すべてを数値として捉え、次の一手を予測する。
「演算展開・演算加速」
意識を集中させると、視界がわずかにスローになった。ダグの動きが、まるでコマ送りのように見える。
(今だ)
俺は最小限の動きで、ダグの剣を受け流した。体勢を崩したダグに向かって、即座に反撃を仕掛ける。
「なっ……!?」
ダグは驚愕の表情を浮かべながらも、なんとか体勢を立て直した。
「今の動き……なんだ、それは」
「思考の速度を、上げているだけだ」
「思考の、速度……」
ダグは信じられないといった様子で、俺を見つめていた。
「相変わらず、意味の分からねえ理屈使ってきやがる」
「数字は、嘘をつかない。それだけだ」
俺は静かにそう告げた。
演算加速の負荷は大きい。長くは維持できない。だが、この一瞬の優位を、確実に活かす必要がある。
「演算展開・座標設定」
再び座標をずらし、ダグの死角へと回り込む。
「くそっ、どこだ……!」
ダグが焦った様子で周囲を見回す。その隙を、俺は見逃さなかった。
「――終わりだ」
剣を振り上げ、ダグの背後から一閃を放つ。
だが――。
「――甘い!」
予想外の速さで、ダグが振り返った。俺の剣を、紙一重で受け止める。
「なっ……」
「言っただろ、正々堂々受けて立つってな。俺だって、伊達に剣を振ってきたわけじゃねえ!」
ダグは渾身の力で俺の剣を弾き返すと、そのまま反撃に転じた。
想像以上の粘り強さだった。演算展開の優位性だけでは、簡単には決着がつかない。
(なるほど、な)
俺は内心で舌を巻きながらも、冷静に次の手を考えた。
単純な戦闘技術の応酬では、まだダグに一日の長がある。だが――俺には、数字を操る力がある。
「演算展開・質量変換」
俺は自分が握る長剣の質量を、瞬時に軽量化した。剣速が一気に上がる。
「なっ……速くなった!?」
ダグが驚愕の表情を浮かべる。
予測不能な速度の変化に、ダグの反応がわずかに遅れた。その一瞬の隙を、俺は逃さなかった。
「そこだ」
剣先が、ダグの喉元寸前で止まる。
「……くそ、参った」
ダグは、静かに剣を下ろした。
「俺の、負けだ」
「ああ」
俺は剣を引き、静かに息を吐いた。
決着は、ついた。
だが――俺の中で固まった決意は、揺らがなかった。
「……なあ、ライ」
ダグが、静かに口を開いた。
「もし機会があったら、もう一回、お前とちゃんと話してみてえと思ってた。あの頃の、俺の態度について」
その言葉に、俺は一瞬、目を閉じた。
昨夜見た覚悟。今日の戦いで見せた、彼なりの誠実さ。それらが、俺の中の何かを、確かに揺さぶったのは事実だった。
だが――と、俺は思う。
情に流されて、誓いを曲げるつもりはなかった。あの日、俺を「役立たず」と切り捨てたのは、紛れもない事実だ。今更どれだけ悔いていようと、失われた時間と誇りは戻らない。
数字の世界に、情状酌量はない。ゼロはどこまでいってもゼロだ。
「……悪いな、ダグ」
「あ?」
「話す機会は、もうない」
俺は静かに、長剣を握り直した。
「――なっ……」
ダグの顔に、初めて明確な恐怖が浮かんだ。
「待て、俺は負けを認めただろ……!」
「ああ、認めた。だが、俺が求めているのは、決闘の勝敗じゃない」
俺は静かに言葉を続けた。
「あの日、パーティーを追放された俺が、お前たちに何を思ったか――それを、今から教えてやる」
「ライ、待ってくれ……!」
ダグが剣を構え直そうとするが、既に演算加速で加速された俺の速度に、反応が追いつかない。
「演算展開・座標設定」
一瞬で間合いを詰め、剣を振り抜く。
「――ッ」
短い呻き声が、採石場に響いた。
ダグは、糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。
「……あの安全ルート、感謝してたのは、本当だった……」
消え入るような声で、そう呟く。
「……お前の力……もっと早く、認めてやれてたら……」
それが、最期の言葉だった。
俺は、静かにその場に立ち尽くしていた。
朝日が昇り始めた採石場跡地に、静寂が広がる。
ダグの遺体のそばに、ボロボロになった紙切れが落ちていた。俺はそれを拾い上げた。
見覚えのある形式――俺が作った、安全ルート表だった。何度も折り畳まれ、擦り切れるほど使い込まれている。裏面には、几帳面な字で、彼なりの注釈まで書き足されていた。
「……そうかよ」
俺は静かに、その紙を懐にしまった。
これで、一人目。
まだ、三人残っている。
「――セリア、ボルド、ガイウス」
俺は静かに、残る三人の名を呟いた。
決意は、揺らがない。
ただ、胸の奥に残る、小さな痛みだけが――消えることなく、そこに在り続けていた。
(第17話へ続く)




