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元数学者、異世界を数字で書き換える  作者: godrenkon
第一章 復讐編

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元数学者、異世界を数字で書き換える 第13話

元数学者、異世界を数字で書き換える


第13話「農村の記憶」



ダグとの決着を二日後に控えた夜、当のダグの方から、話がしたいという伝言が届いた。


場所は、王都の外れの寂れた食堂。指定されたのは、店じまい間際の時間だった。


「命乞いなら、聞かないぞ」


席に着くなり、俺はそう言った。


「するかよ、そんなもん」


ダグは、木のジョッキを両手で包んだまま、一度も口をつけなかった。


「ただ――お前に、数えてもらいたいものがある」


「数える?」


「ああ」


ダグは、懐から擦り切れた紙束を取り出し、卓に置いた。


見覚えのある形式だった。俺が作った安全ルート表。ただし、俺が渡したときより、遥かに分厚い。


「……何だ、これは」


「裏を見てくれ」


めくると、裏面が、拙い字でびっしりと埋まっていた。


『ここ、雨の日は使えねえ』

『この道、思ったより早い』

『三番の沢、春先だけ水が出る』

『あいつの計算、だいたい合ってる』


一枚や二枚ではなかった。三年分の書き込みだった。


「……読み書きは、まともに教わってねえって言ってたな」


「ああ」


ダグは、恥ずかしそうに首の後ろを掻いた。


「文字は、宿の女将に一つずつ教わった。夜中に、三年かけて」


俺は、顔を上げられなかった。


「なんで」


「お前の書いたもんを、読めるようになりてえと思った」


ダグは、ぽつりと言った。


「……なのに、お前に言えなかった。言ったら、『こいつ、俺の書いたものを頼りにしてるんだ』って、お前が思うだろ。それが、なんか、悔しくてよ」


「……」


「俺は東の外れの、貧しい村の生まれでな」


唐突に、話が飛んだ。


「畑仕事しか知らねえ家だった。字が読める奴は、村に三人しかいなかった。神父と、村長と、村長の息子だ」


ジョッキの中身が、揺れた。


「そいつら三人が、税の計算をやってた。俺の親父は、毎年、言われた通りの量を納めてた。ある年、俺が十二の時に、うちの畑が不作でな。それでも、去年と同じ量を持ってけって言われた」


「……」


「親父は、おかしいと思わなかった。計算ができねえからだ。俺も思わなかった。同じだからだ」


ダグは、初めてジョッキに口をつけた。


「その冬、妹が死んだ。食うもんがなくてな」


食堂の隅で、店主が椅子を積む音がした。


「あとで知ったんだが、あの年、村長は税を二割上乗せして取ってた。差額は、あいつの懐に入ってた」


俺は、何も言えなかった。


「数字ってのはよ、ライ」


ダグが、顔を上げた。


「持ってる奴が、持ってねえ奴から、いくらでも取れる道具なんだ。俺は、それを十二で知った」


「……だから、俺が嫌いだったのか」


「ああ」


ダグは、あっさりと認めた。


「お前が数字を書いてるのを見るたびに、村長の顔が浮かんだ。こいつも、いつか俺から何かを取っていくんだろうって」


沈黙が落ちた。


俺は、目の前の男を見ていた。


十二歳で妹を失った少年が、剣を握って村を出た。学のなさをコンプレックスにしながら、学のある人間を憎みながら、それでも夜中に文字を覚えていた。


その矛盾の中で、三年間、俺の地図に注釈を書き足していた。


「――ダグ」


「あ?」


「お前は、間違ってない」


「は?」


「数字は、持ってる奴が持ってない奴から取るための道具だ。それは、事実だ」


俺は、卓の上のルート表を、指で叩いた。


「だが、逆もできる」


「……逆?」


「持ってない奴が、取られていることを証明するための道具にもなる」


ダグの目が、わずかに見開かれた。


「あの年、お前の村の誰か一人でも、去年の納税記録を書き留めていたら。誰か一人でも、収穫量と税額の比を計算していたら」


「……」


「村長は、二割を乗せられなかった」


ダグは、長いこと黙っていた。


やがて、笑った。泣きそうな笑い方だった。


「……くそ。それを、十二の時に言ってくれる奴が、村に一人でもいりゃあな」


「いなかったんだろう」


「いなかった」


「じゃあ、お前がなるしかない」


俺は言った。言ってから、自分でも妙なことを言ったと思った。


二日後にこの男を殺すつもりの人間が、言う台詞ではない。


ダグも、同じことを思ったらしい。


「……お前、俺を殺すんだよな」


「ああ」


「なのに、そんな話をするのか」


「する」


俺は、正直に答えた。


「お前を殺すのは、あの日、俺が死ぬのを黙って待っていたからだ。お前が学がないことでも、俺を見下したことでもない」


「……」


「その二つは、別の話だ。混ぜたら、計算が狂う」


ダグは、しばらく俺を見つめていた。


それから、大きく息を吐いた。


「――お前、やっぱりおかしいわ」


「よく言われる」


「あのな、ライ」


ダグは、ルート表を俺の方へ押しやった。


「これ、預かっといてくれ」


「……なんでだ」


「二日後に、俺が死んだら。誰かがこれを見つけて、『ああ、ダグは字が読めたんだな』って思ってくれりゃ、それでいい」


「自分で持っていろ」


俺は押し返した。


「戦って、俺が勝ったら、俺が拾う。お前が勝ったら、お前が持っていけ」


「……ははっ」


ダグは笑って、紙束を懐に戻した。


「そりゃそうだ」



◇◇◇



食堂を出て、俺は一人で夜道を歩いた。


「……厄介だな」


独りごちる。


単純な悪意なら、割り切れた。


だが、あの男は、俺の書いた文字を読むために、三年かけて字を覚えた。


それを知ってしまった今、俺の中の何かが、確かに軋んでいた。


それでも――と、俺は思う。


軋むことと、止まることは、別だ。


あの日、俺が死ぬ確率を、誰も気にかけなかった。ダグは気づいていて、黙っていた。


その事実の重さは、彼の三年の努力では、一グラムも軽くならない。


足し算はできる。だが、引き算はできない。


「……二日後だ」


俺は、夜道を歩き続けた。



(第14話へ続く)


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