第二章「衝動は、その身を焦がす」30話
気がつくと、俺は見知らぬ白い空間にいた。
先程まで川底に沈んでいたのに、である。
「目が覚めましたか?」
周囲に人影はないが、声が聞こえてきた。
透き通る、淡い残響。
鈴を転がしたような声音に何処か既視感のようなものを持ちつつ、俺は立ち上がった。
「ここはどこだ?お前は――」
「お前って呼ばないで下さい。これでも、神と同じような身分なんですよ?」
「いや、姿見えないやつに言われてもな⋯⋯というか、神とか信じてないし」
ムキになって反論してきた神を僭称する女だったが、俺の言葉で気付いたらしい。
慌てたように淡い光が集合し、人の形へと化した。
「初めまして、柊凪さん」
セミロングの銀髪、その頭上にヴェールを被った、可憐な少女。
その顔立ちはまだ幼いが、どこか威厳すらも感じられ、表情によっては凛々しい女性に見えることもあるだろう。
鏡のような瞳に光が瞬き、周囲の光がより一層強くなったところで、彼女は名乗り始めた。
「私は、ルナと言います。こんな外見ですけど、もう何千年も生きてるんですよ?」
要するに、年下扱いするなということなのだろう。
どこか子犬のような雰囲気を纏う少女だったが、その言葉には不思議と説得力があった。
「ここは、現世と隔離された、謂わば、精神の世界です」
「精神世界?なら、俺は――」
「別に、凪さんが死んだわけではありません。現実で私が救命措置を施しておりますので、その途中で目覚めないように、と」
「⋯⋯えっと?」
救命措置、ということは、命が危ないのは間違いないだろう。
だが、俺はどうやって水中を脱することが出来た?あの河の水深は意外と深い。その川底に沈んでいた俺を見つけることは、普通であれば不可能だ。
「ただいま、ご自宅をお借りしておりますが、よろしかったでしょうか?」
「別にいいが――いや、待て。何で俺の家を知ってる?」
「どうでもいいじゃないですか。神なんですから」
どうでも良くないが、そろそろ頭が痛くなってきた。話を戻そう。
「で、俺はいつ帰れるんだ?」
「私の気が向けば、とでも言っておきましょうか。身体の損傷こそ少ないですが、“ノヴァ”の拒絶が激しいんですよ?」
「拒絶?」
「どうでもいいじゃないですか、助かるんですから」
それこそ良くないだろう。また同じことになるかもしれないのだ、命の危機を看過することは流石に出来ない。
「教え――」
「そういえば」
いきなり真剣な顔をした少女に言葉が遮られ、何事かと彼女の顔を注視する。
「凪さんの恋人って、今どうしてるんですか?」
「⋯⋯⋯」
「え、あれ?どうしてそんな顔するんですか?ちょっとした疑問で⋯⋯あ、何故知ってるのかは、私が神様――」
「⋯⋯⋯は?」
突然の発言に、俺の思考は完全に止まった。
この際、神だとかそんなことはどうでもいい。
問題は、こいつが何でこんなことを言ってるのか、だ。
「え、ちょ、怒らないで下さいよ!?私だって、人の心配ぐらい――」
「いや、待て。別に怒ってない。というか、何で、俺に恋人がいると?」
「ですから、それは――」
「存在しない存在を、どうやって知るんだ?」
「⋯⋯⋯え?」
俺の質問の意味が分からないのか、目を瞬かせる少女。
その目には完全なる疑問が宿っており、本当に俺に恋人がいると信じて疑っていなかった様子だった。
数瞬静止していた彼女だったが、何かを察したのか、口元を手で覆った。
そして、何を思ったのか分からないが、急に泣き出した。
「ちょ、泣くなよ!?俺に恋人がいないことが、そんなにショック――」
「やっちゃった!?私!また!やらかしちゃいました!?」
「ちょ、耳元で騒ぐな」
とうとう泣き崩れてしまった彼女に慌てて駆け寄り、その背中を撫でる。
華奢で、小さな、それいて、膨大な力を秘める、少女のそれは、とても何千年も生きてきた威厳は感じられないが、今の泣きじゃくる彼女からは、何故かそれが感じられてきた。
それは、色々な経験を積んできた証で――。
「ルナ、大丈夫かい?」




