第二章「衝動は、その身を焦がす」18話
「ここにもいない」
悲鳴と恐怖、衝動に塗れた廊下を走り抜け、ある人物の姿を探すが、どこにも見当たらない。
彼女を、ここで殺すわけには行かない。殺されてはならない。
この騒動の首謀者、狼人たちの長の狙いは、秋宮理事長と日高雫の殺害。そうなれば、“ノヴァ”に関する、それもかなり重要な異能者関連の事件だ。
秋宮理事長は、“ノヴァ”研究の第一人者。最近知ったが、俺と同じく、“ノヴァ”による生物の変化を研究対象としているらしい。それこそ、世界的にも著名人であり、“ノヴァ”と共存しようとする上では、大きな結果を残していく人間となるであろう。
日高雫は、巨大財閥の令嬢であり、いや、正確には令孫なのだが。その実権を現在握っている彼女の祖父が、“ノヴァ”の穏健派であり、理事長を支援する立場の1人でもあるので、彼の存在も“ノヴァ”研究においては重要だろう。その彼が溺愛する孫である彼女は、彼を崩すにはもってこいの存在でもあった。
2人を殺せば、“ノヴァ”研究を妨げることが出来る。
“ノヴァ”過激派にとって、彼らの存在は目障りなのだから。
「チッ、ダウンさせるので精一杯か⋯⋯」
飛びかかってきた狼人を回避して、腹を蹴り飛ばす。
この状況で戦えるのは、異能者と武術を経験してきた人間のみ。
それでも、どちらも両立いる場合じゃなければ、狩られる側であることには違いない。
「まだ生きてると良いが⋯⋯」
そう言って、階段を上った先、襲われている生徒たちを見かけた。あれは確か――
考える先より、身体が動く。
今にも飛びかからんと足に力を込めていた狼人を、能力を使わずに真横から押し、窓際でよろめかせる。
とはいっても、能力なしの俺では、こいつ相手を投げ飛ばすことはできないだろう。
周囲にも敵は多数動いている。
なら、殺してしまったほうが速い。
思考が辿り着くが早いか、腕を噛まれる前に、隠し持っていたバールを振り下ろす。
頭の頂点、1番筋肉が薄いその場所に落とされたバールの爪は、いとも簡単に血飛沫を立てながら食い込み、脳の組織を損傷させるにはあまりにも十分で、十分すぎるぐらいで、周囲から見れば、あまりにも残酷な行為で。
錆びていたこともあってか、そのバールは途中で折れてしまい、使い物にこそならなくなったが、目の前の対象を葬ることには成功していた。
生物として頭をやられたその狼人は、しばらくふらついた後、白目を剥く。
しばらくすれば、元通りの状態まで回復するだろう。再生能力も恐ろしいことながら、完全に殺す方法がこの場にないことも、この場で俺を追い詰める要因となりうる。
せめて、味方さえいれば。
⋯⋯梶木や理事長、美夢や朝奈達は大丈夫だろうか?
無事であることを願いつつ、意識が朦朧としている狼人を窓下へ投げ捨てた後、目の前で恐怖のあまり腰を抜かしてしまった生徒に向き直る。
「聖女を見なかったか?」
「せ、聖女様を?⋯⋯悪いが」
この反応からすると、本当にどこにいるのか分からない様子みたいだ。周囲の取り巻きでも、一部の人間しか知らないのかもしれない。
「出来る限り遠くに逃げろ。室内より、室外のほうが良い。もうすぐ応援も来るはずだ」
この調子では、街中は狼人で溢れかえっているのは間違いない。
そして、食い殺された人間が狼人として蘇るので、ゾンビ映画もびっくりのパンデミックだ。四肢がどれだけ欠損しても、死ななければ周囲の“ノヴァ”を吸収して、また再生してしまうのだから。
「あ、あの」
「ん?何だ」
「えっと、その⋯⋯助けていただいて、ありがとうございました」
「わ、私からも。ありがとうございました」
「⋯⋯⋯さっさと行け」
別に誰かのために動いたわけではなくて。
自分の利で動いたことを感謝されるのは、何とも調子が狂ってしまう。
だから、感謝に対する言葉は浮かんでこなかった。
先端が折れてしまったバールの柄を捨て、彼らに背を向けて走り出す。
恐らく、彼らと再び出会うことはないだろう。
戦場に身を置かない者にとって、この状況で生き残ることは奇跡に近い。
訓練された兵士であっても命を落とすのが、戦場だ。
勝利の裏には、犠牲がある。
そして、様々な思いも。
「グルシャアアア゙ア゙ア゙ア゙!」
「し、死にたくない――」
階段の下から叫び声が聞こえ、急いで駆け下りる。
だが、その時には既に女子生徒は惨殺されていて、代わりに奥の部屋の扉が破壊されていた。
「すまない、借りていく」
女子生徒の死体が握っていた包丁を手に取り、壊れた扉へと、一歩ずつ歩みを進めていった。




