第一章「少年は、涙の下で。少女は、志の下で。」2話
この部屋に凪の意識が戻った時、呆れた声が響き渡った。
「凪さん、この任務の目的、分かっていますか?」
「いえ」
「この任務は、貴方のためなんですよ?」
「⋯⋯俺の?」
「ええ」
淡々とした口調で、弥来は肯定を示す。
「貴方は私達の組織に、数多くの功績を残してきました。ですが――」
そこで言葉を切った弥来。
彼女の真剣な面持ちに、僅かに迷いが走ったのを、凪は見逃さなかった。
「貴方は、何も残せてない」
「⋯⋯えっと?」
先程とは矛盾した発言に、凪は首を傾げる。
功績を残してきたのに、何も残せてない。
そのとんちのような問いに、凪は困惑を隠さなかった。
「私達の組織は、企業ではありません。あくまで、組織。その人が何をしようと、そこまで制限するつもりはありません」
「⋯⋯⋯」
「どちらかと言えば、積極的な就職や進学を推奨しています。ですので、凪さんにも、未来を描いてほしいのです」
「⋯⋯未来を?」
「その方が、我々にとって好都合ですので、ね?」
茶目っ気たっぷりにウインクをしながら、器用に含み笑いを浮かべる弥来は、あまり危険な人物には見えない。
どちらかと言えば、いい上司だろう。だが――。
「それは、組織にとっての、ですか?それとも――」
「さあ?ご自身で考えてみてください。もし、教えてほしいのであれば――」
急に表情が消えた彼女を前に、凪の首筋に悪寒が走る。
周囲の空気は冷えていき、冬の夜の外と同じく、吐く息が白く濁る。
「――当主の座とともに、勝ち取りなさい」
極寒の呟きとともに、凪を白い冷気が包み込んでいくが、逃れるすべはない。
瞬きをすれば、部屋の壁を霜が覆い、完全なる銀世界と化した室内。
そして、その幻想的な空間に浮かぶ、4本の氷の剣。
「最も――」
時間が経つに連れ、その剣は少しずつ強固なものに変わっていく。
その中心に佇む姿はまるで、吹雪を纏う餓狼そのもの。
赤い双眸には、獲物を弄ぶ、残忍な光が怪しく輝いていた。
「私に勝てたら、の話ですが」
直後、一気に緊張が和らぎ、温度が上昇する。
「ヒントはあげます。今回の任務は、半永久的なものです」
「半永久的⋯⋯?」
「私が認めれば、任務は終了となります。ですが、貴方には、その命を賭けて、達成してもらいたいことがあるんです」
「達成したいこと?」
「教えません。そう言いましたよね?」
既に、純白の霜と透き通った剣は、虚無へと分解されていた。
技の主の瞳は、どこか悲しそうな、申し訳なさそうな、慈愛に満ちた色に揺れている。
「――了解しました。〈空紅〉、只今より、任務を遂行させていただきます」
「⋯⋯はぁ⋯⋯もう少し、肩の力を抜いて下さい。力み過ぎで――」
「用が済んだのであれば、これにて失礼します」
言うが早いか、凪はそのまま扉の向こう側へと姿を消す。
「弥来様、追いましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
咲夜の言葉に首を振り、傍から見れば疲れたように、背もたれに身を預ける。
「彼がこの先、道を切り開く要となるらしいのですが⋯⋯彼らの言葉を信用して良いのでしょうか?」
「⋯⋯彼ら?」
「いえ、こちらの話です。咲夜さん、今回の件に関しては、貴方は一切関わらないでくださいね?」
「⋯⋯何故、とお聞きしても?」
「ええ。彼が、社会に戻るために、です。そうすることで、私達に⋯⋯いえ、全ての人間に利があります」
空中に透明な剣を浮かべ、その冷えた塊を掴む。
「私自身が、ただの飾りである筋合いはありません。ですので、今回は私自ら、動いてみようと思うんです」
氷が砕け散り、欠片が儚く消えていく。
「護衛は――」
「必要ありません!私より強い人間が居ると思いますか!?集団戦において、私より能力が高い人間が?」
「⋯⋯私達は、人間じゃありません」
「いえ、人間ですよ。少し、力があるだけの」
空間そのものが凍りつき、周囲の光景が歪み割れる。
「大変不服ですが、私自ら、拒む邪魔者を刈り取るとしましょう」
残念そうに言いつつも、口元が歪み、その目で虚無を睨みつける弥来。
「異能者の底力、見せてあげましょうか!」
その姿は正しく、残忍で、醜くも美しく嗤う餓狼。
血に飢えた獣が見据える先は、未来か地獄か。
その道の果てを知っている者は、今この世界に居なかった。




