第一章「少年は、涙の下で。少女は、志の下で。」1話
「――生きたいか、少年」
雨が降りしきる中、俺は懐かしい声を聞いた。
でも、夢にしてはあまりにも残酷で。
現実にしては、あまりに無情だ。
俺は、この結末を知っている。
「ああ、俺は――」
「なら、任せた」
俺が言い切る前に、彼女は腰を落として剣を抜く。
「―――」
咄嗟に、手を伸ばした。
まだ走り出した直後、距離は、開いていない。
だから、届くと思った。
しかし、雨の滴を視認できるほど遅くなった世界の中で、俺の手は、虚空を掴んだだけだった。
彼女は、そのまま走り出す。
俺は呆然と、何かを掴んだ手を見つめていた。
掌が赤く濡れている。
雨の中でも、はっきりとその紅は存在を放っていた。
そして、俺はもう一度彼女の背中を見つめる。
彼女の左腕は、肘から先がなかった。
「起きたか、坊主」
意識が覚醒したと同時に、聞き慣れた声が鼓膜を揺らす。
暗闇の中でも殺意を感じさせないその声音は、長い間近くに居ただけあって、不思議と耳に馴染んだ。
「着いたのか?」
「ああ、誰かさんが爆睡している間に、な?」
瞼を開くと、見慣れた車内が目に飛び込んで来る。
その窓の外には、これまた見慣れた建物が映っていた。
雲も星もない、真っ黒な夜空が広がる現世は、自分たちの仕事場。
闇こそが、勇気を与えてくれる。
そう信じて、ゆっくりと息を吐いた。
「⋯⋯⋯」
「どうした、何か嫌な夢でも見たか?」
「⋯⋯また、夢を見た」
「夢って、例の?もう何回目だ?」
「数えてない」
あの時から何度も見る鮮明な夢など、数えていたらきりが無い。
そして、あの夢を見る度、自分の無力さを呪う。
毎日は、その繰り返しだった。
「はぁ⋯⋯まあ良い。さっさと降りろ」
こちらに背を向けた男を前に、俺は地面に降り立つ。
冷え切った旋風が首筋を撫で、背中にぞわりと電流が走った。
「本部の室長室で良いんでしたっけ?」
「いや、俺が案内する」
予想外の展開に、思わず思考が固まりそうになるが、黙って追従し、建物に入る。
山林に位置する雑居ビル、本部の最上階――ではなく、向かうのは地下最深部。
警備は厳重だが、その地下ゆえの圧迫感と、音が消えていく不気味さゆえに、誰も近付く者は居ない。
その部屋の主以外は。
「〈魄雷〉様。彼を連れてきました」
「よく連れて来てくれました〈熾燕〉。下がっていいですよ?」
一見ただの作業室に見える殺風景な部屋の中に、特有の威圧感を放つ異質な存在が佇んでいた。
〈SDK〉2代目当主、コードネームは〈魄雷〉。本名は、黒沢弥来。
年齢不詳の美女で、一見優しそうな見た目をしている。
だが、その実力と性格は侮れないもので、初代当主を力尽くで引きずり下ろし、その座を奪ったという噂もある程だ。
こちらに敵意がないと分かっていても、どこか緊張が抜け切らない。
喋り方こそ上品だが、その奥底には、誰もを凍りつかせる残忍な笑みが宿っているのだろう。
「凪さん、でしたね?よくぞ、おいでくださいました」
「私は〈空紅〉です。今日は、何の要件で?」
白々しい言葉を投げかけてきた相手に、俺――柊凪は、冷ややかな目線を返した。
「⋯⋯もう、連れませんね?咲夜さんは、しっかりと乗ってくれますのに」
〈SDK〉第零番隊精鋭部隊――通称〈武天鷺〉の部隊長、〈熾燕〉。
名は、八剣咲夜。
まだ若いが(とはいっても、凪より歳上だ)、階級は格段に上だ。
「生憎、そのような会話をしに来たわけではありませんので」
「はぁ⋯⋯⋯しょうがないですね。本題に入りましょうか」
いつも通り凪に一瞥され、渋々と言った様子で本題に入ろうとする弥来。
「この書類を、隅まで読んでください。それが、今回の任務内容です」
渡された紙の束に目を通し、思わず目を丸くする。
「敵対組織、ですか?」
「ええ。正確には、過激派の非合法組織ですね。反社会勢力に属しているとも言われています」
〈SDK〉は、同じ非合法組織でありながら、穏健派。武力行使に出ることもあるが、それはあくまで、必要最低限に応じて、だ。
表立って、犯罪的な行動は起こしていない。
だからといって、自分たちが社会に認められるわけではないが。
「その四大幹部が一人――〈黒狐〉というのは、あの男のことで間違えありませんか?」
同時に、凪は鋭い眼差しで弥来の瞳を覗き込む。
その有無を言わせぬ視線に気圧されたのか、弥来は渋々と言った感じで口を開いた。
「⋯⋯ええ。多分、きっと、恐らく――」
「間違いないか?」
茶を濁すような発言をする弥来に対して、一切の感情が消えた声音で、凪は確認を取る。
だが、握りしめられた拳は、わなわなと震えていた。
「⋯⋯分かっています。誤魔化しませんよ」
その言葉に観念したのか、どこか影を落とした瞳で弥来は語る。
「今回の任務内容は2つ。1つ目は、ある人物の監視及び護衛。この人物については、後日情報を提供します。そして、2つ目は――」
「⋯⋯⋯」
「――2年前の調査対象〈黒狐〉の、無力化及び、抹消です」
誰も喋らない。
いや、喋れない。
誰かが喋っていれば、この小さな声は聞こえなかっただろう。
でも、この空間で口を開くことができる程、肝が座っている人間は、この場にいなかった。
たった一人を除いて。
「師匠、俺――」




