43.私の仕事5
目上の人が先に手を付けるまでごはんを食べてはいけない。ティータイムはなく、夜の7時に鐘がなる。国境の門を閉めるのだ。うちの国はそんなことなかった。こうやって守りを固めているのね。
ダンスに楽器のレッスン。ライゾン様の家にいたときと変わらないわ。おっと、いけない。彼の家に暮らしていたことなど忘れなければ。シャーロットさんのスコーンが食べたいが、こっちでも似たものを作ってくれる。
法の違いもある。不倫は罪で、即離縁。そりゃどうしたって王子の妻になりたいわけだ。あとから愛人の座に収まることもできないのだから。
雨の多い国で、特に夕方から夜にかけてまるで熱くなった土を冷ますかのように雨が夜まで降る。朝にはやんで、ちょっと遅くまで降っていると虹が見えた。
「初めて見ました」
と思わず言ってしまった。
「嘘だろう?」
「本当よ」
私が成り代わっている令嬢は婚約者だからここに来たことあったのだろうか。
「そう。これから何度でも見れるよ」
と王子は今日も甘々だ。クロワッサンにシロップをかけて朝食まで甘い。紅茶もうんと甘いので、お砂糖は入れないでもらった。砂糖の原料になる野菜の産地らしい。
「砂糖ってこんな大根みたいなのからできるの? 知らなかった」
「うちの国益の大半を稼いでいる」
と王子が言った。それも知らなかった。
「貿易が盛んなんですね」
自分の国の交易のことなんて知ろうともしなかった。王子様はさすがね。
出かけるとき、彼と腕を組む。ライゾン様と手をつないだことはあった。こうするほうが距離が近いわね。
「代々妃は花を育てるんだ。ここは君の庭だから好きに使って」
王子の住まいの前の一角がならされている。
「どんなのにしましょう」
ローズガーデンくらいしか思い浮かばないが、それは現在の王妃とかぶるからよくないわね。嫁姑問題に発展してしまう。
「なんでもいいよ」
王子は花には興味がなさそうだった。私と歩いていることが嬉しいと言わんばかりに鼻歌。
「それ、何の歌ですの?」
こういう質問がいちいち不安。私が教えたということもある。
「古い歌だ。結婚したら意味を教えてあげる」
この国独自の言葉も残っているそうだ。田舎のほうはそちらでないと話せない人もいるらしい。
大国の属国になって言葉を奪われる場合もある。そうでないようでよかった。
朝食を一緒に取り時間があれば住まいの周りを散歩して、各々の時間を過ごし夕飯をまた共に食べる。その繰り返しを退屈だとは思わない。私が暇そうにしていると音楽隊を呼んでくれたり、私が暮らしていた国から最新の本を取り寄せてくれる。こっちの国の本は悲しい物語が多い。ちょっと怖い民話もある。
「今日は君の国の商人を呼んだよ」
ミランが紛れていてびっくりした。
「ありがとう」
下着などを私が所望したから王子は席を外した。
「うまくやってるようね、よかった」
試着のために人払いをしたときにミランが言った。
「そっちは?」
「令嬢はまだ見つかっていない。ライゾン様は使用人の誰かが裏で手を引いていると考えているみたい」
「もし見つかっても私と入れ替わることは難しいでしょう?」
誰かと時間を過ごすというのはそういうこと。彼女のほうが王子にとって別人になってしまう。私たちは笑い合い、私たちだけの時間を毎日増やしてしまっている。もう覚悟を決めるしかない。
「もう少し待ってて」
とミランが耳打ちする。
「ライゾン様は?」
私は聞いた。
「あんたのために駆けずり回ってるわ。私までキリーナのためになんでこんなところまで…」
ライゾン様、無理しないで。私は大丈夫だから。
行商たちが帰ってびっくりした。私なんぞのために高価なものを王子が幾つも買っていた。首飾り、耳飾り、腕輪。
「受け取れません」
私の瞳よりも大きな宝石がついている。
「君のために選んだのに?」
そりゃそうか。
「じゃあ、結婚まで預かりということで」
ライゾン様の妻になっても買ってもらえない代物。実際に宝石は好きだ。薄いグリーンの石の中には気泡がある。これは私だ。守られている。
「かわいい」
なんて、王子は毎日のように言ってくれるが、そういうものなのかしら。ライゾン様からは一度も聞いたことがない。
「そうだ。リジーの家からの頼みで君が心配だから使用人を送るって。仲良しの侍女でもいたのかい?」
誰が来るのかしら。
「ええ」
「ホームシック?」
王子様、私のおでこで囁かないで。
「大丈夫」
「寂しいなら言って」
言って何になる? ライゾン様が近くにいないだけで心にぽっかり穴が開いたよう。あなたでは埋められない。
「泣かないで、リジー。明日は馬に乗せてあげるよ。海を見たら気が晴れるさ」
馬に乗ってもライゾン様を思い出すだけだわ。あの、私を助けてあなたの体の前に同乗させてくれたあの夜を。
翌日は雨が降って海を見に行くことはできなかった。




