32.バレエ4
その日はやけに涼しい朝だった。エイミーの様子を見に行った小間使いからライゾン様に知らせが届く。
「折檻を受けているようだ」
ライゾン様が苦しそうに呟く。そうだ、この人の好きな点は人に優しいところだと気づく。
「そんな」
こういうとき頭をフル回転させるが、ライゾン様のほうが早い。
「誰かを中に潜らせて状況確認をするか」
メイドが手っ取り早いけど募集しているとも限らない。食品を買うのは絶対だから御用聞きを行かせる。エイミーの夫は商人らしいからライゾン様も仕事関係を当たる。
探りを入れつつ私もメイドとして潜入。それだけでも大変なのよ。ミランに大人っぽいメイクをしてもらって、尚且つ派手な顔を地味に。
「なんで私がエイミーのために」
髪をひっつめるのが苦手なのよ。痛いし、おでこが狭いのがバレる。
「頼むぞ」
とライゾン様に言われたらしょうがない。
金持ち商人ということはライゾン様と同じかと思っていたが屋敷がめちゃくちゃ広い。商人でも大金持ちになる人がいるのね。ライゾン様もこうなりたいのかしら。庭師までいる。邸宅というより豪邸。ライゾン様の家の倍はありそう。
大邸宅とまではいかないから、そうなると使用人たちは皆顔見知りだろう。動きに気をつけなくちゃ。あんまりいい働きをすると仕事が辞めづらいし、働かなすぎるといじめられる。一番やりづらい予感がする。こんな感じになるのも今までの経験のおかげね。
エイミーは普通に屋敷で過ごしているようで、その姿を見て私はほっとした。しかし確実に痩せた。目がとろんとして焦点が合わない。それでも私には気づいた。
「大丈夫?」
人がいないときにこっそり耳打ちした。エイミーは肩をめくって痣を見せた。
「ひどい」
「『バレエをしていた割に体が硬いな』って殴るの」
と涙を流した。
「なんとか逃げ出す方法を探すわ」
「離縁はされたくない」
エイミーは必至な形相で言った。命のほうが大事だろうに。
この状況をライゾン様に話したら夫を殺すのではないだろうか。そうでしか救える方法がない。爵位があると資産は男しか相続できないらしいが商人の場合はどうなのかしら。未亡人でもお金があれば好きに生きられるわ。
エイミーの話によるとお酒を飲むと暴力を振るわれるらしい。だったら飲まさなければいいのだ。
しかしながら社交場に顔を出さないわけにもいかない。それも仕事。エイミーを同伴することは少ないようだった。ライゾン様の調べではポーカーなどをする場所に足繁く通い、負けた日に酒量が増えるらしい。だとすれば、エイミーをストレスのはけ口にしているってことよね。
私は真実をエイミーに伝えた。商売もうまくいっていないこと、ギャンブルで借金があること。
「旦那様、かわいそう」
エイミーは夫を哀れむが、
「違うよ」
と私は言った。ストレスは自動自得。
「そう。そんなに火の車なのね。私もやってみたい商売があって、でもそれを言ったら女が口を出すことじゃないって。でもそれがうまくいったら自立できるわ」
希望を口にしている割にエイミーの目の奥は濁っていた。私は彼女の服の下の傷を想像するだけで鳥肌が立つ。私なら逃げてる。殴られるのは痛いし苦しい。
その家でエイミーの夫に私が遭遇することはなかった。メイドたちは年齢高め、執事もいた。新人の私は夜には個室で眠れて、職場としては悪くない。が、それはみんなで主の愚行を隠しているからかもしれない。家主が捕まれば職を失う人も出てくる。口裏を合わされたらエイミーの身が危ないかもしれない。
一度だけライゾン様が配達員に扮装して来た。
「いつもの人と違うだね」
と執事に不審がられる。
「このエリアの担当が腹痛で」
なんて言い訳、数日しか使えないだろう。
私だったらエイミーをどうにか逃がす。現状から解放すれば彼女の思考だって元に戻るかもしれない。自分に危害を加える人間をかわいそうなんて思わなくていい。
ライゾン様が動かないから、私がエイミーを助けたいと思う気持ちが変なのかなとさえ考えてしまう。ライゾン様はエイミーの夫が同業に近いことを裏でやっていることを知り、潰したいようだった。そのためにはエイミーを暴行しているところをタイミングよく私が騒ぐ必要がある。
人が殴られるのを待つなんて嫌だ。でも、こうまでしないとエイミーも目を覚まさない。あなたの夫がかわいそうなのではない。私にはあなたがかわいそう。そのことに気づいて。
ライゾン様も裏で手を回すのが大変だっただろう。ポーカーで負けさせ、酒を飲ませる。家に帰れば私の出番。
「夜、たまたま目を覚ました私は奥様の悲鳴に気づいて部屋に入りました。旦那様が奥様に手を上げていたのを止めようと、つい」
花瓶で頭を殴ってしまったという設定。半泣きで、体を震えさせる。旦那さんの暴力についてはこれまでもあったと別のメイドも警察に証言した。
私はショックで心を病んだと言い張って仕事を辞められた。エイミーは離婚し、財産分与もあるようだった。帰る家のない彼女にとってお金は大事だ。てっきりライゾン様の家に身を寄せるかと思ったが、過去の自分を知っている我々とはもう関わりたくないのか別の地に定住するらしい。
「終わった終わった」
ライゾン様も胸を撫でおろす。
私もお屋敷に戻って来て安堵する。
「たまには一緒に寝る?」
私は言った。
「いいよ」
いいのか。ライゾン様のベッドはライゾン様の匂い。
私は自分のこの気持ちがきれいでないことを知っている。巷の恋は美しいのにね。私の恋心は薄汚れている。あなたの温かさがそうさせる。




