ある魔物の記憶7
――私の名は、神崎 恒一。
子どもの頃から、ずっと思っていた。
自分は「選ばれた側」の人間だ、と。
別に、空から声が降ってきたわけじゃない。神託とか、そんな大げさな話じゃない。もっと単純で、もっと確かな手触りがあった。
周りの子が必死に暗記している漢字を、私は一度見れば覚えた。
算数の文章題も、先生の説明が終わる前に答えが見えた。
運動は得意じゃなかったが、苦手でもなかった。「できない」が理解できなかった。
それが当たり前だと思っていた。
だから、周囲が驚くと、心のどこかで引っかかる。
――なぜ、そこで躓く?
――なぜ、そんな程度で泣く?
――なぜ、こんなに遅い?
その疑問は、成長するほど形を変えた。
高校に入る頃には、答えになっていた。
「人は、導かれなければならない」
私のように、自然に理解できる者が。
私のように、努力を正しく使える者が。
選ばれた者が、道を示すべきだ。
受験は、面倒ではあった。だが苦行ではない。
必要な努力量は、いつも見えていた。どれだけやれば、どの結果に届くか。自分の脳が、そういう計算を勝手に済ませてしまう。
「いいところ」に入ったと、周りは祝った。
当然だ、と私は思った。
そして私は教師になった。
理由は一つだ。導くため。
人々は、導かれるべきだから。
教師という仕事は、思った以上に簡単だった。
授業の内容? 教科書通りにやればいい。
学級運営? 規律を作って、守らせればいい。
問題児? ルールを与えて、従わせればいい。
何より簡単なのは――言葉だ。
子どもは、聞こえのいい言葉に弱い。
保護者は、安心する言葉に弱い。
管理職は、数字と「トラブルなし」という結果に弱い。
つまり、こうだ。
「あなたは特別だね」
「あなたの気持ち、先生は分かってるよ」
「この子の可能性を信じたいんです」
「家庭と連携して見守りましょう」
「学校として適切に対応します」
言葉は、鍵だ。相手の心の形に合わせて削れば、どんな錠前も開く。
私はそれを、初任の一年目で学んだ。
子どもが泣けば、肩に手を置く。
保護者が怒れば、少しだけ頭を下げる。
「すみません」と言いながら、「でも」と続けるための間合いを取る。
誰も気づかない。
私は謝ってなどいない。
私はただ、相手の怒りを処理しているだけだ。
授業参観で、私はゆっくり喋る。
黒板の字を丁寧に書く。
子どもを褒める時は、名前を呼ぶ。
保護者の目が、変わるのが分かる。
「ああ、いい先生だ」
その表情が並ぶ瞬間、教室は私のものになる。
快い。
支配は、快い。
私は、生徒に「夢を持て」と言った。
現実には、夢など最初から限られていると知りながら。
私は、努力を褒めた。
努力が報われない子がいることを知りながら。
私は、「みんな違ってみんないい」と笑った。
心の中では、はっきり順位をつけながら。
それでも、誰も疑わない。
教師は「正しい側」だ。
教師は「導く側」だ。
そう信じたい人間が、あまりにも多い。
私は、その信仰を利用した。
学年主任になって、さらに楽になった。
現場の泥を踏むのは若い教師でいい。私は会議で綺麗な言葉を並べ、書類の体裁を整え、上に「成果」を報告すればいい。
「現場は大変です。しかし、私たちは子どもたちの未来のために――」
この一文を言えば、だいたいの人間は黙る。
反論すると、自分が子どもを軽視しているように見えるからだ。
私は自分の才覚に酔っていった。
私は選ばれている。
私は導く者だ。
私の言葉で、世界は動く。
――動くはずだった。
崩れたのは、ある日の放課後だった。
職員室の空気が、いつもと違った。
妙に静かで、目が合うと逸らされる。
机の上に、封筒が置かれていた。
「神崎先生。少し、校長室へ」
校長の声は柔らかかった。柔らかすぎた。
ああ、これは柔らかい刃だ、と私は理解した。
校長室には、保護者が二人いた。
それだけで、何が始まるかは分かった。だが私は負ける想像をしなかった。
――私が?
椅子に座ると、保護者が切り出した。
「先生。うちの子が、先生の前で……言葉が出なくなりました」
私は笑いそうになった。
またか。繊細な子が、何かを勝手に傷つけただけだろう。
「お子さんは真面目ですからね。緊張が――」
「違います」
遮られた。
保護者の目が、まっすぐ私を刺す。
「先生は、みんなの前で言いました。『努力しても、できない子はいる』って」
――言った。
言ったが、それは事実だ。
事実を言って何が悪い。
「先生は続けてこうも言いました。『できない子が足を引っ張ると、できる子が損をする』って」
私は、口の中が乾いた。
職員室の静けさが、脳裏に蘇る。
誰かが録音したのか。
生徒か。保護者か。若い教師か。あるいは――。
校長が、封筒の中身を私の前に滑らせた。
そこには、文字が並んでいた。要約。証言。複数。
私は、笑えなくなった。
「誤解です」
私は言った。
いつもの鍵だ。いつもの型だ。
謝って、安心させて、落としどころを作る。
「誤解ではありません」
保護者が言う。
「先生の言葉で、子どもたちは順位をつけられました。うちの子は、家で『自分は足を引っ張る側だ』と泣きました」
――泣いた?
それが何だ。泣くのが悪い。弱いのが悪い。
私は導く側だ。現実を教える側だ。
そう言い返そうとして、私は気づいた。
この場は、私が正しい側ではない。
この場のルールが、私を守らない。
頭の中で、何かが音を立てて折れた。
私が――裁かれる?
私が――下に置かれる?
私が――凡人と同列に?
そんなはずがない。
私は選ばれている。
私は導く者だ。
世界は、私に従うべきだ。
視界が狭くなった。
呼吸が熱い。
校長の机が、やけに小さく見える。人間が、みんな下に見える。
「……あなたたちは、分かっていない」
声が、勝手に出た。
低く、硬い声だった。
「私は、子どもの未来のために――」
保護者が首を振る。
校長が、沈痛な顔をする。
その瞬間、私は理解した。
誰も、私の言葉を信じていない。
私の鍵が効かない。
私が支配できない。
怒りが、胸の奥から噴き上がった。
――なぜ?
――なぜ、従わない?
――なぜ、私を認めない?
認めないなら、認めさせればいい。
屈服させればいい。
そう考えた瞬間、部屋の空気が震えた。
椅子の脚が、きしんだ。
ガラスが、細かく鳴った。
保護者が息を呑み、校長が顔色を変える。
私は、立ち上がった。
背が伸びた気がした。
肩が広がった気がした。
皮膚の内側で、硬いものがせり上がる感覚がした。
私は笑った。
やっと、正しい形になれると思った。
「ほら。分かるだろう」
私が選ばれていると。
私が上だと。
私が導く者だと。
視界の端で、保護者が後ずさる。
校長が、震える手で何かを押そうとする。非常ベルか、電話か。
私はそれを許せなかった。
許せるはずがなかった。
――私に逆らうな。
その言葉が、胸の奥で絶対になった瞬間。
世界は、私を中心に折れ曲がった。
人間の形は、いらない。
弱い器は、いらない。
私はもっと、ふさわしい姿であるべきだ。
骨が鳴り、肉が熱を持ち、何かが背中から広がっていく。
影が、床の上で大きく膨らむ。翼のように。
私は最後に、人間だった自分の声で呟いた。
「……教師は簡単だった」
聞こえのいいことを言えば、みんな従った。
従わせた。従うべきだった。
今はもっと簡単だ、言葉はいらない。
私は威圧だけでいい。
選ばれた者として。
上に立つ者として。
そして――
私は、二度と「同じ目線」には戻らなかった。
起きて早々顔のニヤケが止まらない。だってねえ?
乙葉ちゃんと珠洲ちゃんのハーレムですよ。ポン吉さん
(ふへへ)
《良かったな、永遠とされるとウザいが》
(ふひ、くひひひ)
《鏡見たほうがいいぞ》
(ふふふ、あははは、はーはっはっは!)
《なんか悪役感出してきたな》
(我無敵也)
《良かったな》




