わからせ完了
訓練が始まってから、もう五日目か。
管理局の空気は相変わらず重い。電波ジャック以降、魔物の発生頻度は最低週1回が当たり前になって、しかも深度2が基本。けどみんなそこまで深刻そうじゃない。だって私がいるからね――とか言ったら、また怒られるやつだ。
その日の午前、訓練場はガラガラだった。乙葉ちゃんの特訓に、みんな吸い込まれていったせいで、こっちは私ひとり。いつもなら珠洲ちゃんがブランケット引きずって「見てる」って座り込むのに、それすらない。
私、けっこう真面目に寂しい。
《寂しいとかドイヒー。オレがいるのに》
(うっさい。ポン吉は酸素なの。いて当たり前いなきゃダメなの)
私は、いつもの癖で腕を振る。見た目は普通に腕がある。でも中身は虚構。力は通るし動くし、痛みもある。けど本当の意味で生きた肉じゃないって感覚が、たまに急に心に触る。
手足がない。胴体だけ。――不老不治の代償。
前の世界で、乙葉ちゃんと珠洲ちゃんが私を好きになってくれた。私はその記憶を、宝物みたいに握りしめている。新しい世界線でも、同じように、って願ってしまう。
でも現実は。
乙葉ちゃんは、私を尊敬してくれる。よく頑張ってくれる。目も合わせてくれる。だけどそれは局長としてだ。距離がある。近づこうとすると、私の方が怖くなる。
珠洲ちゃんは、私のことが大好きだと毎日言う。抱きついてくる。腕に絡む。けど――母親みたいだ。第2の母。依存は嬉しいのに、恋愛の温度じゃない気がしてしまう。
そんなことを考えてると、腰の端末が震えた。発生アラート。深度2。場所は市街地の外れ、工事中の高架下。避難は間に合ってる。
(行くか)
《暇つぶしみてぇに言うな》
(実際、前の世界と比べたら――)
《はいはい。比較でしか心が保てねぇ女》
ゲートを抜けると、空気がねっとり重い。眠気が皮膚にまとわりつく感じ。怠惰だ。
コンクリの陰で、半透明の粘液がもぞもぞ蠢いていた。スライム。人型のパーツが眠そうに浮いている。深度2らしく、広範囲にだるさを撒いてる。
「おはよー。寝てていいよ。永眠して」
私は指を鳴らす。
「反射」
透明な壁を半球状に張って、眠気の波を遮断する。次に。
「虚な複製品」
虚の剣を一本。深度が上がるほど、コアはいやらしい位置に隠れる。だから可能な限り高速でやたらめったら切り付ける。粘液がぷるんと震えた瞬間、奥で硬いものが砕ける手応え。
スライムが、音もなく崩れた。
「はい解散」
《雑》
(雑でいいんだよ。これが私の仕事)
帰り道、私は空を見上げた。雲が薄い。今日の夕方は、たぶん綺麗だ。綺麗なものを見ると、願いが顔を出して心が痛む。
管理局に戻ると、廊下の奥が賑やかだった。誰かが笑って、誰かが真面目な声で指示している。
私はそこに混ざれない。いや。混ざれないというより、混ざらない方がいい。局長がいたら騒げるものも騒げなくなる。
そのとき、ちょうど乙葉ちゃんの部屋の前の廊下に、珠洲ちゃんがいた。
ブランケットを肩にかけて、髪が少しだけ乱れている。顔は無表情。だけど頬がほんのり赤い。乙葉ちゃんの部屋のドアが少し開いていて、内側から乙葉ちゃんの笑い声が漏れた。
珠洲ちゃんが小さく手を振って、ドアが閉まる。
私は、そこに立ち尽くした。
(……あー、察し)
《あーね。ただ、そうと決まったわけじゃねーぞ?》
(夜遅くまで一緒で、髪が乱れて、頬赤くて、笑い声がして――)
《訓練かもしれないだろ?》
(部屋で? 訓練で頬赤くして髪乱すのって何の訓練?)
《知らねぇよ! 筋トレだろ!》
私は自分の部屋に戻って、ベッドに倒れ込んだ。天井がやけに白い。ポン吉の声だけが、部屋に響く。
(2人は、できてるのね)
《断定が早い》
(珠洲ちゃんが私の部屋に来なくなって、乙葉ちゃんの部屋に行く。二人で笑ってる。……あ、はい、カップル成立)
《まだ確定じゃないだろ?お前の脳内での推測だろ》
(その言い方ポン吉も半分以上そうだと思ってるじゃん? でも、もしそうならさ……良いよね)
口に出した瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。良いよね、なんて、嘘だ。良くない。寂しい。苦しい。2人の間に挟まりたい。
でも、私は不老で、手足が虚構で、胴体だけの――不気味な上司だ。乙葉ちゃんが恋愛で見るはずがない。珠洲ちゃんは依存してくれてるけど、母親みたいなものだ。
前の世界で両思いだった認識は、私の中に確かにある。だから余計に、今の距離が刺さる。あの頃の私は、ちゃんと人間だった。今の私は、何かが欠けてる。
(……みんなが幸せなら2人が幸せなら、それでいい)
《……》
(だって、それが一番確実じゃん。私は眺めるだけでいい。守って、整えて、みんなが笑ってるのを確認できれば――)
《お前の幸せは?》
(笑ってるのを見れれば、少しは)
次の日も、その次の日も、珠洲ちゃんは来なかった。乙葉ちゃんの部屋の灯りは、夜遅くまで点いていた。廊下に出るたび、私は見ないふりをした。気を使ったつもりだった。
五日目の夜。私は意を決して、廊下で二人に声をかけた。ちょうど乙葉ちゃんの部屋から出てきたところだった。
「おつかれさま。……あのさ2人ってそういう仲だったんだねー」
二人が揃ってこちらを見る。珠洲ちゃんは無表情。乙葉ちゃんは少し緊張した笑顔。
私は、軽い声を作った。
「よかった。二人が幸せなら、私、それで満足だよ」
次の瞬間。
空気が凍った。
乙葉ちゃんの目が丸くなる。珠洲ちゃんの眉が、ほんの少しだけ動く。いや、怒ってる。分かる。分かりやすい怒り。
「……昴さん?」
乙葉ちゃんの声が低い。珍しい。
「な、なに?」
「今の、どういう意味ですか?」
「え? どういうって……え、ほら、その……」
珠洲ちゃんが一歩、近づいた。ブランケットが床を擦る音が、やけに大きい。
「昴。……ばか」
「えっ」
《あーそういう》
(え? どういう??)
私は慌てて笑った。冗談にしたかった。
「いやいや、だってさ、最近二人ずっと一緒だし、夜も――」
「違います!」
乙葉ちゃんが遮った。頬が赤い。怒りと、別の熱が混ざってる。
「私と珠洲ちゃんが、そういう関係だって思ったんですか?」
「え、いや……違ったの?」
言った瞬間、二人の表情が同時に険しくなった。
そのとき、私は気づいた。地雷を踏んだ。しかも全力で。
珠洲ちゃんが、ぽつりと呟く。
「……お仕置き、決定」
「え?」
乙葉ちゃんが一度だけ深呼吸して、私を見上げた。
「今から空いてますよね?」
「え、なにそれ怖い」
「停滞」
「え? ちょ」
珠洲ちゃんのつぶやきと同時に私の虚構の四肢が消失する。そして床に落ちる前に乙葉ちゃんに抱き止められ、そのまま乙葉ちゃんの部屋へ連れていかれる。
???
手足が作り出せない。なんで? あ、珠洲ちゃんの能力で封じられてるのか。なんで?
《お前……良かったな》
(いや良かったなって。どういうこと? お仕置きって……冗談だよね?)
《ここまで来てもわからないとか、朴念仁にも程があるわ。我が相棒なれど哀れだ》
(どういうこと??)
そして私はベットに転がされる。起き上がれない。胴体だけの状態で。喉がひゅっと鳴った。
珠洲ちゃんが私の左側、乙葉ちゃんが右側に座る。逃げ道は、ない。
珠洲ちゃんが耳元で囁いた。
「昴。私たちの気持ち、本当にわからないの?」
乙葉ちゃんも、同じ距離で言う。
「昴さん、いや、今は何もできない昴ちゃんですね。ふふふちゃんと私たちの気持ち分からせてあげますからね」
私は息を呑んだ。心臓がうるさい。頭が真っ白になる。
「え、待って、待って待って。私、えっと……その……」
「逃げないの」
珠洲ちゃんの声は静かだった。静かなほど、怖い。
「昴、いつも逃げる。自分1人で勝手に納得して自己完結して悲観して」
「してないよ! 私は――」
「なら」
乙葉ちゃんが、私の頬に指先を添えた。熱い。
「私の目をちゃんとみてください」
私は、そこでやっと理解した。
私が気を使ったと思って言った言葉が、二人にとっては――拒絶だった。
自分の価値を下げて、相手の幸せを祝福したふりをして、恋から逃げた。
そしてそれを、二人は絶対に許さない。
喉が震えた。
「……ごめん。私――」
「ダメ」
珠洲ちゃんが短く言い放つ。
「今日は体に教え込むから」
「え、それって」
乙葉ちゃんが、にこっと笑った。怒ってる笑顔だ。
「2人がかりで、昴ちゃん可愛がってあげますよ?」
《良かったな》
(うん。って言っていいのこれ?)
《良いんじゃね、願い叶ったんだし》
その夜のことは、詳しく話せない。私のプライドが死ぬし、喉がガラガラで声も出ないし。
ただ一つ言えるのは――おっぱいすごい。ふわふわもちもちで最高すぎた。
能力で身動きを封じられ、2人の言葉と、体温と柔らかさが延々と私を追い詰めた。
「私たちを、見て」
「私たちを、愛して」
夜が明ける頃、私はようやく、息の仕方を思い出した。
そして翌朝。
2人は当たり前みたいに2人にサンドされて起きた。
「昴、私達」
珠洲ちゃん。
「永遠に一緒にいるために、頑張ったの」
乙葉ちゃん。
「だから、ちゃんと――私たちを愛してくださいね?」
私は、目を瞬いた。言葉が理解できるまで、数秒かかった。
「え、えいえん……?」
「うん、停滞で肉体の成長止めて不老に」
珠洲ちゃんが頷く。
「もう、置いていかれない」
「私は、最適化で。食べれば肉体を最適な状態に維持できるようになったから不老に」
乙葉ちゃんの声は震えていた。怒りじゃない。怖さと、願いと、覚悟の震え。
「だから昴ちゃん1人になんかさせない」
私は、なんて返せばいいのか分からなくて――でも、口が勝手に動いた。
「え? ……えへへ」
《こいつ、壊れた》
(壊れてないもん! ただ……嬉しすぎて、頭が……)
「ふへ、ふひひ」
私はにやけて止まらない顔で、2人を見る。
「嬉しい。嬉しい。嬉しい。ずっとずーっと一緒にいてね」
珠洲ちゃんの眉が、ほんの少しだけ緩んだ。
乙葉ちゃんが、泣きそうな顔で笑った。
「約束ですよ」
「約束」
私は、腕のない胴体だけで、精一杯の力を込めた声を出した。
「――私のこと、好きでいてくれてありがとう。私も、好き。大好き」
《あーあ。完全にアホになっちまった》
(うるさい。最高の朝だろ)
眺めるだけでいい、なんて嘘だった。
だって今とっても幸せなんだから。
だから――今日からは、ちゃんと全力で幸せになる。
昴よかったね




