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わからせの為に

 電波ジャックのあの日から、世界が、少しだけ変わった。


 ――と、満服乙葉は感じていた。


 管理局の出撃ログを見れば、数値としてもそれははっきりしている。以前は、深度1の魔物が月に一回出るかどうか、そんな感じだった。

 今は、違う。


 週に一回は必ず、深度2が出る。

 多い週だと、ほとんど毎日、警報が鳴る。


 しかも、簡単な相手なんてほとんどいない。


 それなのに――昴さんは、休まない。


 乙葉は、モニターの端に映る出撃記録を見つめながら、胸の中で小さく呟いた。


 誰が討伐に出るときでも、そこには必ず鏡昴の名前がある。

 誇と依里の時も、烈志と灯の時も、いろはや根倉が現場に向かう時ですら。


 局長であるはずの昴が、必ず付き添う。

 そして、少しでも危ないと判断したら、真っ先に前に出て、あっさりと片を付けてしまう。


 そんな日々が、もう当たり前になりつつあった。


 本当は、当たり前じゃないのに。


 モニターを閉じると、会議室の空気が戻ってきた。


 今日は緊急会議ではなく、ただの定例ミーティングのはずだった。

 魔物発生状況の共有。各班の活動報告。それから、今後のシフト調整。


 ……の、予定だった。


「はーい、皆さん。ここで局長から特訓合宿のお知らせです」


 昴が、軽い調子で手を叩いたのは、その議題がひと通り終わったあとだった。


 会議室の空気が、少し変わる。


 昴はいつもの局長用の制服姿で、テーブルの端に腰をかけるようにして座っている。足をぶらぶらさせながら、悪戯っぽく笑った。


「これより一週間。――まぁ、ものにできるなら、早く終わってもいいんだけどさ」


 昴がひとりを指さす。


「乙葉ちゃんに、深化(アビス)または昇化(レイズ)を覚えてもらいます!」


「……へ?」


 さすがの乙葉も、間抜けな声が漏れた。


 隣で珠洲が、目をぱちぱちさせて乙葉の顔を見る。

 周りのメンバーも、一斉に視線を向けてきた。


「なので、皆さんにはそのサポートをお願いしまーす」


 昴は両手を広げて、全員を見渡した。


「魔物の対応は、この! 局長が! 全部やっちゃうから」


 ひとつひとつの言葉に合わせて、自分の胸を親指で指す。


「乙葉ちゃんは、任せたよ」


 軽い。それが本気の声だということは、皆知っている。


 誇が半分立ち上がりかけた。


「局長、それは――」


「はいはい。危ないから反対って言うでしょ? ダーメ」


 昴が指を左右に振る。


「どのみちオリジンシンが動き出してる以上、暴食の半魔である乙葉ちゃんが、今のままってわけにはいかないからね。どうせやるなら、ちゃんと時間取って一気にやった方が効率がいいわけよ」


「理屈は分かりますが」


 根倉が眉間を押さえる。


「魔物の対応は全部自分でやるという前提が、既に理屈から外れてるんですよねぇ……」


「そこはほら。私強いし? このくらいなら余裕余裕」


 昴は、心底楽しそうに笑った。


「というわけで。特訓期間中、乙葉ちゃんは通常任務は免除。授業と訓練と食事と睡眠以外、全部特訓にぶっこみます」


 乙葉は、思わず両手を膝の上で握りしめた。


 私一人のために、こんな大掛かりなことをするなんて。

 言葉にされてしまうと、その重さが怖いくらいだ。


 それなのに、当の本人は。


「あと、細かいスケジュールとか指導担当の割り振りは、根倉きゅんに丸投げするので、よろしくね!」


「丸投げって言っちゃったよこの人」


 根倉が、小さくため息をつく。


「では解散でーす!」


 昴は椅子から立ち上がると、本当にそのまま会議室を出ていこうとした。


「あ、局長」


 いろはが呼び止めかける。


 昴は振り向きもせず、片手だけひらひらと振って見せた。


「大丈夫。ちゃんと無理ぜずやるから。ね、乙葉ちゃん」


 扉の向こうに消える直前、ふとこっちを見て、片目だけでウインクする。


 乙葉は、なにも返せなかった。


 ぱたん、と扉が閉まる。


 会議室には、昴の残していった言葉だけが、まだ空気の中に漂っていた。


「……ねぇ」


 ぽつりと、その空気を破ったのは、珠洲の声だった。


 さっきまで昴のすぐ隣に座っていた少女が、ブランケットをぎゅっと抱えながら、顔を上げる。


「皆んな、珠洲と乙葉に……協力して」


 その目は、本気だった。


「昴、頑張りすぎ。これじゃ、昴の言ってたハッピーエンド、昴抜きになっちゃう」


 その言葉は、会議室の床に重く落ちた。


 誰も、すぐには否定できなかった。


 竜司が、頭を掻きながら口を開く。


「……まぁ、局長の覚悟が半端じゃねぇのは分かっちゃいたけどよ」


 隣で紅葉が頷く。


「最近の出撃ログ、見たら一目瞭然だもんね。無茶っていうか……嫌な予感しかしない感じ」


 烈志は腕を組み、難しい顔をしている。


「局長が一番前に出てる時点で、なんか違うっつーか。俺らが前張るために強くなってんのにさ」


 灯は黙っていたが、その横顔は僅かに強張っていた。


 誇は唇を噛み、依里はその袖をぎゅっと掴んでいる。


 根倉はいったん目を閉じてから、静かに言った。


「正直な話、今の状況で局長が出撃を完全にやめるのは現実的じゃないんだけどねー」


 少しだけ目を細めて、続ける。


「昴さん抜きのハッピーエンドっていう未来図には、僕も賛成できないよねぇ」


「……はい」


 いろはが、胸に手を当てるようにして小さく頷いた。


「皆さんの記録を書いてきて、昴さんのこともずっと見てきましたけど……今のまま進んだら、どこかで、取り返しのつかないところまで行ってしまいそうで」


 その場の全員が、それぞれの形で同じ不安を抱えていることだけは、乙葉にも分かった。


 珠洲が、一歩前に出る。


「珠洲と乙葉……昴と、おんなじ時を生きられるようになりたい」


 その言葉に、全員の視線が集まった。


「昴、永遠の命――みんな、知ってるよね」


 昴は明言しないが、みんななんとなく理解していた。


 珠洲から、それを聞いたときの自分の胸のざわめきを、乙葉は思い出した。


「だから……珠洲たちも、そうなりたい」


 珠洲は、ブランケットをさらに強く握りしめる。


「昴が、自分を犠牲に、なんて。そんなの、ぜったい、やだ」


 その言葉に、乙葉の胸の奥でも、何かがはっきりと形を持った。


 自分でも、驚くほどにはっきりと。


「……私も」


 乙葉は立ち上がった。


 自分でも知らない声が出た気がした。


「私も……昴さんと、同じ時を生きられるようになりたいです」


 言ってから、顔が熱くなる。


 でも、止まらなかった。


「昴さんは、不老……かもしれない。それで、今みたいに、私たちのことを守ろうとしてくれてる。でも……」


 喉が震える。


「昴さんだけが、居ない未来ないんて、嫌です」


 それは、半分以上、勝手なわがままだ。


 それでも、言わずにはいられなかった。


「だから、私……暴食の力を、もっと、ちゃんと使えるようになりたい」


 自分の手を見下ろす。


 何度も自分を傷つけかけてきた、この力を。


「食べれば食べるほど、自分の体を最適な状態に戻せるように。傷や病気を、全部……食べ直せるように」


 ゆっくりと、言葉を繋ぐ。


「それが、できるようになれば――」


「不老、ってことになる」


 珠洲が小さく補う。


 暴食と停滞。二つの方向から、「長く生きる」ことに手を伸ばす。


 そんな計画を、ここで初めて、乙葉ははっきりと自覚した。


「……面白いじゃないか」


 竜司が、口の端を上げる。


「不老の半魔、局長に。不老予備軍、二人。オリジンシン連中からしたら、悪夢みたいな布陣だな」


「僕らからしたら心強いねぇ」


 根倉が眼鏡を押し上げた。


「もちろん、簡単な話ではありませんけどね」


 いろはが、そっと口を開いた。


「昴さんに、全部黙ってるわけには……」


「最初から全部は、言えないと思います」


 乙葉は、首を振った。


「でも、昴さんにわからせたいのは、本当です」


 自分の言葉に、自分で頷く。


「自分がどれだけ大事か、どれだけ……私たちが一緒にいたいと思ってるか」


「不老になって、強制的に……わからせる」


 珠洲が繰り返した。


 その夜までに決まったのは――特訓の内容だけじゃない。


 「昴にわからせる」という、珠洲と乙葉の、共犯の約束だった。


 特訓一日目。


 午前十時の訓練場に、乙葉は立っていた。


 いつもの制服ではなく、動きやすいジャージ姿。

 髪は高い位置でまとめ、いつでも動けるようにスニーカーを履いている。


 訓練場の中央には、簡易的に並べられた机。

 その上には、皿がずらりと並び――その全てに、食べ物が乗っていた。


 カロリーバー、プロテインゼリー、サンドイッチ。野菜スティックにスープ。高カロリーの差し入れでおなじみのお菓子まで。


「……多くないですか?」


 乙葉が恐る恐る問いかけると、向かい側で腕を組んでいた誇が、真面目な顔で頷いた。


「必要量だ」


「いや、誇くん。その言い方だとなんか別の訓練っぽいから」


 横で根倉が苦笑する。


「今回の目的は、量を食べることそのものではなく、食べたものをどう自分に取り込むかの再構築ですからね」


 訓練場の隅には、竜司と紅葉、いろはが控えている。

 珠洲はいつものブランケット姿で、その隣に座っていた。


「乙葉」


 珠洲が呼ぶ。


 その声に、乙葉は自然と背筋を伸ばす。


「食べるの、こわい?」


「1人だけで食べるのはこわいけど、みんなが居るから」


 昴さんが、そうさせてくれた。


「……よし」


 乙葉は、テーブルに向き直る。


「はじめます」


 最初の一口を口に運ぶ。


 暴食の能力を力に向けていたときとは違う。

 自分の内側に、その力の向きを変える。


 食べたものが、喉を通り、胃に落ちていく。


 意識を、内側に向ける。


 体のどこが疲れているか。

 どこに傷があって、どんなふうに痛むのか。


 細かく、細かく、感じ取っていく。


 その全部を、食べたものが埋めていくイメージを持つ。


 カロリーバーひとつで、擦り傷がひとつ。

 スープ一杯で、筋肉痛が一箇所。


 最初は、まるで上手くいかなかった。


「こんなんじゃ全部脂肪になっちゃう」


「そうか、じゃあ危機感高める為にも高カロリーな物用意しようかね」


 根倉が意地悪そうな顔で呟く。

 

 暴食の能力が、まだ力に向こうとしているのだ。

 体が一回り太くなり、変身していないのに筋肉がパンプアップされる。


「そこで、一回止めて」


 根倉の声が、冷静に飛ぶ。


「気持ちを整えて。食べ物の取り込み方を今までは、変えるイメージで」


「変える」


「そう。攻撃のためじゃなく、自分を守るために食べる。それを、暴食の能力にも覚え込ませる」


 いろはが、メモを取りながら補足する。


「今まで乙葉さんは、力が足りないって思ったときほど、たくさん食べてましたよね」


「う……」


 図星だった。


「それを、逆にするんです。自分をちゃんと大事にしたいから食べる方向に」


「……できる、かな」


「できる」


 珠洲が、はっきりと言った。


「乙葉、やさしいから。みんなのこと、だいじにするから。自分のことも、だいじにできる」


 その言葉は、じんわりと胸に染みた。


 自分を大事にするために、食べる。


 乙葉は、もう一度、スプーンを手に取った。


 その日一日、訓練場ではただひたすら「食べて」「感じて」「変化を確かめる」という作業が続いた。


 夕方、お腹いっぱいになって寮に戻った乙葉の耳に、廊下の向こうから慌ただしい足音が聞こえた。


「救護班、通ります!」


 担架が運ばれていく。

 その横を、昴が早足で歩いていた。


 制服にも身体にもチリ一つ付いていない。しかし確実に疲れが見て取れる表情をしていた。


「……局長、また」


 通り過ぎざまに、竜司がぼそりと呟くのが聞こえた。


「さっきの深度2、単独で沈めたらしい」


「流石すぎる……」


 烈志の呆れた声。


 昴は、ふとこちらを見て、笑った。


「あ、乙葉ちゃん。特訓どう? 楽しい?」


 いつもの声だった。


 乙葉は、何も言えずに、その背中が救護室に消えていくのを見送るしかなかった。


 ……やっぱり、早く、間に合わせないと。


 胸の中の焦りが、少しだけ強くなる。


 特訓三日目。


 乙葉は、小さな変化に気づき始めていた。


 朝、起きたときの体の重さが、いつもより軽い。

 訓練でできた細かい打ち身や擦り傷が、一晩でほとんど消えている。


 食べるたびに、体のどこかが最適な状態に近づいていく感覚。


 まだ、不老なんて大げさな言葉には程遠い。

 それでも、確かな手応えがあった。


「いいですね。イメージの方向性は合ってます」


 根倉が、データを見ながら頷く。


「後は、この自己修復の回路を維持の方向にも伸ばしていけるかどうか、かね」


「維持……?」


「そう。傷や疲労を埋めるだけじゃなくて、今の状態を保つというベクトルさ。そこまで行ければ、少なくとも老化の速度を自分でコントロールできるようになるはず。」


 誇が腕を組み、真剣な顔で乙葉を見る。


「その間、現場は局長が全部抱えてる。だから、遠慮はいらない」


「……はい」


 その全部という言葉が、胸に刺さる。


 遠慮せずにやれと言ってくれるのは、嬉しい。


 でも、その分だけ、昴が無茶をしているのも、分かってしまう。


 訓練四日目。


 夕方、訓練場で倒れ込んでいると、珠洲がタオルとスポーツドリンクを持ってきてくれた。


「おつかれ」


「ありがとう」


 乙葉は、汗を拭きながら受け取る。


「珠洲の方はどう?」


「あとちょっとだけ」


 珠洲は自分の胸に手を当てた。


「止めるのは出来る。だから、どれを止めて、どれを

  止めないか。それを、ちゃんと選べたら」


 動きを止める。

 成長を止める。


 そういう方向に、珠洲は自分の能力を伸ばしている。


「乙葉は、進む方。珠洲は、止まる方」


 珠洲が、ふふっと笑った。


「正反対なのに、どっちも、昴の隣にいくため」


 その言葉に、乙葉の頬が熱くなる。


「……ねぇ、珠洲ちゃん」


「なに」


「私、昴さんに好きですって言ったら……ちゃんと、伝わるかな」


 ぽろっと、零れてしまった。


 珠洲は少しだけ首を傾げてから、即答した。


「伝わる。でも多分正確には、伝わらない」


「うん。昴さん、いつも冗談みたいに流しちゃうもんね」


 乙葉の声が、小さく震える。


「みんな大好きだよーって。そう言われちゃうと、私の好きも、その中のひとつになっちゃいそうで」


「……わかる」


 珠洲も、視線を落とした。


「だから、わからせる」


 ぎゅっと、拳を握る。


「これで、わかってよ、って。逃げられないくらいの、好きにする」


 その言葉は、冗談めいているのに、本気だった。


 乙葉は、そんな珠洲の横顔を見ながら、胸の奥でそっと同じ言葉を繰り返した。


 昴さんに、自分の好きが、ただの尊敬や感謝じゃなくて――ちゃんと、恋だってことを。


 わからせる。

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