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言っちゃった

 カレンダーを一枚めくって、私は今日の日付を指でつついた。


(ポン吉さん今日はなんの日かご存じ?)


《昨日が10月唯一の祝日だからなぁ。特に何にもないけど、強いてあげるなら今日は先勝だから何かするなら午前中が良いぞ》


(ちがうよ!)


《じゃあなんだよ》


(前の世界で母さんが魔物になった日! そして今の世界で母さんは魔物になってない)


《と言うことは》


(そう、何度も確認はしてたけど、完全に前の世界線とは別の歴史になってる)


《良いことじゃねぇか》


(そうだよ。ほんとにいいこと)


 言いながら、胸の奥がじんわり熱くなる。


 前の世界のこの日、私はただの高校生として、何も知らないで家に帰って、地獄を開けた。

 今はここで、私は昴さん室の椅子に座って紙のカレンダーをつんつんしてる。母さんは、普通に暮らしている。魔物じゃなくて、人間として。


(……だいぶ、勝ってるよね、これだけで)


《そりゃそうだろ。世界救う前にまずお前んち救われてんだから》


 たしかに。

 この世界は前の世界とは別物だ。


(そうだよ。そして皆んなちゃんと集合した。と言うか引っ張ってきた)


 視線を窓の外に向ける。


 訓練場の上空を、誇の影が横切っていく。ドラゴン形態で飛ぶのがだいぶ板についてきた。

 グラウンドの端では、烈志と灯がいつものように騒音レベルで喧嘩しながらランニングしている。

 庁舎のガラス越しには、書類を抱えた根倉きゅんと、その陰から様子を伺ういろはさん。

 中庭では、乙葉と依里が、お弁当の新作について真剣な顔で相談していた。

 その少し離れたベンチで、珠洲がブランケットにくるまって、ジュースを飲んでいる。

 竜司さんと紅葉さんは、どうせどこかでコーヒーを飲みながらダベってる。


 みんなちゃんと揃ってる。


(うん、これは祝うしかないでしょ)


《何をだよ》


(決まってるじゃん。私の自己満足記念を!)


《堂々と言うな》


 私はくるっと椅子を回して、端末を引き寄せた。


 全員一斉連絡用のチャンネルを開く。

 緊急のフラグを付けるか一瞬迷って――やめた。さすがに怒られそう。


(うーん。昴さんより全員へ、今すぐ食堂に集合してくださーい……とかでいいかな?)


《用件は? って絶対聞かれるやつ》


(聞かれたらそのとき考える。ノリが大事)


《世界の歴史塗り替えてる奴の発言とは思えねぇ軽さだな》


(うるさいなぁ)


 送信ボタンを押す。

 メッセージは一瞬で全館に飛んでいった。


 数分後には、食堂にぞろぞろと人が集まり始めた。


「……で、昴さん。何の集まりなんですか、これは」


 一番最初に口を開いたのは根倉きゅんだった。

 トレイを片手に、半眼で私を見つめている。手元のカップにはコーヒー。安定のブラック。


「いやだなぁ、そんな警戒しないでよ。今日は戦闘の話じゃないから。多分。きっと。おそらく」


「信用ならない言い回しをフルコンボにするな」


 周りをざっと見渡す。


 誇と依里は並んで座っている。誇は「何か面白いことが始まる」とワクワクした顔、依里は「嫌な予感しかしない」と言いたげな引き攣った笑み。

 

 烈志と灯は、ちょっと離れた席でそれぞれジュースと水。烈志はもう早くも騒ぐ準備万端という顔で、灯は「巻き込まれたら負けだ」とでも言いたげに腕を組んでいる。

 

 いろはさんは、メモ帳を広げたまま座っていて、「会議?」と「雑談?」のどっちにも対応できる顔。

 

 乙葉は、テーブルの端っこでお茶を抱えてそわそわしている。

 

 珠洲は私のすぐ近く、いつものようにブランケットにくるまって椅子にちょこんと座っていた。


 竜司さんと紅葉さんは、後方の席でまったりモード。

 

 狩野も一応呼んであるけど、端っこのドア近くで「いつでも逃げられます」みたいな位置取りをしている。


 うん、いい眺めだ。


(ばばーん……)


 心の中でだけ効果音を鳴らす。

 実際に言ったら絶対シラけるからね。学んでるんだよ、これでも。


「えー、皆さん本日はお忙しいところわざわざお集まりいただきありがとうございます」


「仕事中なんですけど?」


 根倉きゅんのツッコミは聞こえなかったことにする。


「いやほら、いつもの会議じゃなくて、今日は昴さんの個人的な記念日です!」


「記念日?」


 あちこちから、小さなざわめきが起きる。


「誰の誕生日でしたっけ……?」


 いろはさんがこっそりメモ帳をめくっている。

 

 誇は「昴さんの誕生日って春じゃなかったっけ?」と隣の依里に耳打ちされている。

 

 烈志は「記念日=肉だろ」とか訳の分からない計算をしていて、灯に肘で小突かれていた。


《何の記念日って説明すんだよ。まさか前の世界で母ちゃんが魔物になった記念日でした。とは言えねぇだろ》


(言うわけないでしょ。そこはほら、昴さんスマイルで誤魔化す)


《誤魔化すなよ大事なやつ》


(大事だから言わないの)


 私は、わざと大袈裟に胸に手を当てた。


「えー、本日、この日をもちまして!」


 ひゅっと全員の視線が集まる。

 

 少しだけ、息が詰まりそうになる。それでも笑顔は崩さない。


「皆んなが、ちゃんとここに揃ってくれていることを、改めて祝いたいなーという、昴さんのワガママ記念日です!」


「……は?」


 誇が素で変な声を出した。


「え、えっと……つまり?」


 乙葉がおずおずと手を挙げる。

 

 その隣で、珠洲がじっと私を見上げている。目が細くて、何を考えてるのか分かりにくいけど――多分、全部分かってる顔だ。


「つまりだねぇ」


 私は、食堂の奥に掲げてある局のロゴマークを指さした。


「ここ。八罪管理局の半魔ってさ」


(ぶっちゃけ私が、全ての魔物対応してれば死んでない半魔いっぱいいたんだよね)


《まぁ、それはな。この時点での発生頻度なら可能だっただろうな》


(でも、それをしたらこの光景は多分見られなかった。ほんと私って時空を股にかけた悪女だね)


《前の世界でだって死んでた命なんだ。気にすんなよ》


「……今まで色んなことがあって、いろんな人が出たり入ったり、死にかけたり死んだり半魔になったり色々あったでしょ?」


「さらっと重いこと言うな」


 竜司さんが笑う。


「でもさ。今こうして見渡したときに、全員いる、って言える瞬間って案外少ないんだよ」


 私は、ひとりひとりの顔を順番に見る。


「誇くんも、依里ちゃんも」


「は、はい!」


「……うん」


「烈志くんも灯ちゃんも」


「おう!」


「……別に、呼ばれなくてもいるけど」


「いろはさん」


「は、はい」


「竜司さん、紅葉さん」


「はいよ」


「はーい」


「根倉きゅん」


「……はいはい。どうも。そのきゅんってこの歳だとかなりきついんですが」


「聞こえなーい。狩野くん」


「なんでしょう」


「そして乙葉ちゃんと――」


 私は、一拍置いてから、そっと隣の小さな影に目を向ける。


「珠洲ちゃん」


「……うん」


 珠洲が、ほんの少しだけ口角を上げた。

 その仕草だけで、何十年分かの積み重ねが胸を突く。


「全員そろってる。生きてる。ここにいる。これって、私的にはめちゃくちゃおめでたいことなんだよね」


 最後だけ、ちょっとだけ真面目な声になった。


 沈黙が落ちる。

 重くはない。けれど、どこかしんとした空気。


「……そりゃ、まぁ」


 竜司さんが頭を掻いた。


「昴さんがそう言うなら、悪い気はしねぇけどよ」


「そういうの、ちゃんと言葉にしてくれるの、いいと思います」


 いろはさんが柔らかく笑う。

 乙葉は、胸に手をあてて笑っている。

 依里は、誇の袖をぎゅっと掴んでいる。誇は照れ隠しにそっぽを向いた。


《良かったじゃねぇか。ちゃんと伝わってんぞ》


(でしょ? 昴さん、言語化上手だから)


《自分で言うな》


 私は、だん、と手を叩いた。


「というわけで!」


 みんなの肩がぴくっと跳ねる。条件反射だね、実力テストのせいだね。


「本日の議題は以上です! 皆んながいてくれて嬉しい記念日です! 解散!」


「軽っ!」


 烈志のツッコミが食堂に響いた。


「え、え、もう終わり?」


「他に何かあるのかと思ってたんだけど……」


「……仕事、戻っていい?」


 ざわざわ。

 あちこちから文句とも苦笑ともつかない声が上がる。


 でも、誰も本気で怒ってはいない。

 呆れ半分、でもちょっとだけ顔が緩んでいるのが分かる。


「ちょ、ちょっと待ってください昴さん」


 根倉きゅんが手を上げた。


「え、なに。やっぱり感謝の辞とか必要?」


「いえ違います。今のは今ので良かったんですけどね? 一応、業務連絡的な何かは……?」


「あー」


 そう言われればそうか。

 何かついでに言っておくべきことあったかなと三秒だけ考えて――普通にないや。


(こういう日は、余計なフラグ立てない方がいい)


正解(イグザクトリィ)


「特にないです!」


「ないんだ……」


 根倉きゅんが心底からのため息をついた。


「ま、昴さんらしいっちゃらしいけどさ」


 竜司さんが笑って立ち上がる。

 紅葉さんも「解散解散」と言いながら、空になったカップを片付け始めた。


 誇や烈志たち若手組も、口々に文句を言いながらも席を立つ。


「……でも、ちょっと嬉しかった」


 ぽつりと乙葉が言った。


「こうやって、皆で集まって、いるねって確認できるの。なんか、安心する」


「乙葉ちゃん、そういうとこほんと……」


 思わず本音が漏れそうになって、私は慌てて咳払いで誤魔化した。


《漏れ出る好意がイタイぞ……》


(ギリセーフ、ギリ)


 珠洲はというと、ずっと黙ったまま私の隣に座っている。


「珠洲ちゃんは?」


「……なに」


「こういうの、嫌だった?」


「別に。昴が嬉しいなら、いい」


 即答。

 あー、ずるいなこの子、ほんと。


《顔に出てる顔に出てる》


(出してるの。こういうときくらいは)


 そんなこんなで、ぞろぞろとみんなが散っていく。

 誰かが「じゃあ後で訓練場な」「今日は飲み会しよーぜ」とか言っていて、食堂はいつもの雑多なざわめきに戻りつつあった。

 

 最後の一人が出ていったあと、私は大きく息を吐いた。


「ふー。よし、自己満足完遂」


《お疲れ昴さん。世界線の自己採点は何点よ》


(今日だけで言うなら、百点満点中、八百点くらい)


《盛りすぎ》


 気が抜けて、テーブルの上に頬杖をつく。

 窓の外では、さっきより少し傾いた陽の光が庁舎を照らしていた。


(……ほんと、全員いて嬉しいな)


 何回も何回も確かめて、それでもまだ足りなくて、今日みたいなことをやってしまう。

 自分でも面倒くさい性格だなと思う。


《しゃーねぇだろ。お前、一回全部失ってんだから》


(だからさぁ、そこで急に昔のこと言うのやめて?)


《はいはい》


 立ち上がって、片付けでも手伝おうかと歩き出したところで。


 袖が、ちょん、と引かれた。


「……昴」


 振り返らなくても分かる。

 この、柔らかいのにやけにしがみつきの強い感触は、珠洲の手だ。


「ん?」


 振り向くと、やっぱりいた。

 ブランケットを引きずりながら、少しだけ上目遣いで私を見上げている。


 さっきまでみんなに混ざっていたのに、いつの間にか姿を消したと思ったら、背後にワープしていたらしい。

 

 忍者か。


「どうしたの? まだ何か言いたいことあった?」


「……あのね」


 珠洲は、きゅっと私の袖を握ったまま、きょろきょろと周りを見回した。


 食堂には、もう私たちしかいない。

 奥のカウンターで、調理班の人たちが黙々と片付けをしているけれど、ここまでは聞こえない距離だ。


「きて」


「はいはい」


 手を引かれて、私は食堂の外へ連れ出された。


 廊下を抜けて、窓の多い渡り廊下に出る。

 夕方の光がガラスに反射して、床に長い影を落としていた。


 珠洲は、人気の少ない角を選んで、ぴたりと立ち止まる。


「ここなら、聞こえない」


「何が? 告白?」


「そういうのは……また今度」


「今度してくれるんだ嬉し」


 ほぼ毎日大好き攻撃を受けてるが、耐性はつきそうもない。


《毎回毎回心の声うるさいのなんとかしろし》


(最近は前の珠洲と同じ見た目になって破壊力がやばいんだよ)


 珠洲が、ぐっと私の方に一歩近づく。

 身長差のせいで、自然と見下ろす形になる。

 近い。

 いつものことだけど。


「……昴」


「うん」


「耳、貸して」


「はいはい」


 私は少し身を屈める。

 珠洲は、つま先立ちになって、そっと私の耳元へ顔を寄せた。


 すこし甘いジュースの匂い。

 ブランケットの端が、私の腕にふわっと触れる。


 珠洲の唇が、耳のすぐそばで、ゆっくりと動いた。


「あのね、その……ね。あの、怒らないで、聞いて……ね?」


 いつになく前置きが長い。

 そして――。


「珠洲、言っちゃったの」


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