可愛いは創れる
地面に沈んでいたピエロマスクが、ゆっくりと立ち上がった。
砕けたコンクリートがぱらぱらと落ちる。白いタキシードは土埃にまみれ、仮面にはひびが入り、さっきまでの気取った優雅さはだいぶ台無しになっている。
なのに。
いや、だからこそか。
仮面の奥から漏れる声は、さっきまでよりもずっと低く、冷たく、粘ついていた。
「ここまでコケにされたのは初めてですよ」
私は工場の割れた床を踏みしめたまま、ヒールの先で小さく石片を弾いた。
「おっ、初体験いただきました」
《言い方》
ピエロマスクが、仮面の割れた口元を歪める。
「ええ、褒めていますとも」
「へぇ。気持ち悪い褒め言葉ランキング堂々の1位更新だね」
「ですが」
空気が変わる。
「悪ふざけはここでおしまいです」
ぶわり、と周囲の景色が歪んだ。
工場地帯の壊れた鉄骨も、オリジンシンたちのうねる気配も、夜の冷たい空気も、全部が鏡面みたいに引き延ばされていく。割れたガラスの断面を無理やり空へ広げたみたいな、嫌にきらきらした世界。
ピエロマスクが両腕を広げた。
「恐怖の鏡映し世界」
その名を告げた瞬間、世界が裏返った。
上も下も分からない。
足元はあるのに、どこまで立っているのか曖昧だ。空間全部が鏡だ。正面を見れば自分がいて、横を見ても自分がいて、斜め上にも斜め下にも、果てのない鏡面だけが広がっている。
ピエロマスクの笑い声が、どこからともなく反響した。
「ふははは! この世界に入ったが最後、自分よりも強いと思う存在が映し出され、永遠と戦うことになるのです!」
私はしばらく黙って、きょろきょろと辺りを見回した。
正面に私。
右にも私。
左にも私。
ちょっと角度の違う私。
横顔が妙に綺麗な私。
脚長っ、な私。
仮面の感じがやたら神秘的な私。
(……)
《……》
(なんも起きんが?)
《なんも起きんが?》
「なんも起きんが?」
私が口に出した瞬間、どこからかピエロマスクの息を呑む気配がした。
「な……!?」
私は両手を広げて、その場でくるっと一回転した。
鏡面世界に無数の私が広がる。
いいねぇ。圧巻だねぇ。どこを見ても私。まるで昴展覧会だ。
「お里が知れるなピエロマスク」
私は笑う。
「さっき言ったろ? 私は超絶天才最強最高美少女だってな」
鏡の向こうの私も、当然のように笑っている。
可愛い。
どの角度でも可愛い。
なんなら背中越しですら可愛い。
「私より強い存在なんていないんだよ!」
沈黙。
それがあまりにも気持ちよかったので、私はぺしぺしと近くの鏡面を手の甲で叩いた。きん、と高く澄んだ音が返る。悪くない。音まで綺麗じゃん。
「鏡映しの世界? 最高かよ」
歩く。
一歩進むたびに、無数の私がついてくる。
「どこを見ても完璧な私がいるぞ?」
前髪の流れまで芸術点高い。
腰のラインもいい。
仮面とドレスの相性、やっぱ天才的だなこれ。
(やばい、自分で自分に見惚れちゃう)
《怖ぇよ》
(でもわかるでしょ?)
《わかるのが腹立つ》
どこか遠くで、ピエロマスクが低く唸った。
「そんな馬鹿な……」
「いやいや、馬鹿なのはそっちでしょ」
私は適当に一枚、鏡を指差した。そこにいた私は口元だけでにやっと笑っている。うーん、悪役感ある。好き。
「なぁ、何を怖がればいいんだピエロマスク?」
問い返してみても、返事はない。
かわりに、鏡面世界の奥で何かがざわめいた。
ぴし、と音がして、正面の鏡に細いひびが入る。
そこから現れたのは、確かに私だった。
でも、微妙に違う。
表情が固い。目が死んでる。動きに遊びがない。やたら真面目そう。
もう一枚、別のひび。
そこからも私。
こっちは無表情。こっちは不機嫌。こっちは妙に気取ってる。
私は思わず眉をひそめた。
「うわ、なにこれ」
《出たな》
「いや、出たけど」
正面の“私”が、無言で剣を構える。
左の“私”が、リフレクトを展開する。
右の“私”が、虚の武器庫を開く。
やることはわかる。
要するに、こいつらはこの世界が作った私より強いと思う存在なんだろう。だけど。
「違う違う違う」
私は両手をぶんぶん振った。
「全然わかってない」
剣を構えた“私”が踏み込んでくる。
私はその一撃を横へずれて避け、そのまま額にでこぴんした。
ぴしん。
たったそれだけで、鏡の“私”はひび割れて崩れた。
「真面目な私とか、もうその時点で偽物なんだよねぇ」
《自分で言ってて悲しくならない?》
(っ……ならないったらならない! 本当だもん!)
武器庫を開いた“私”が無数の剣を撃ち出してくる。
私はそれを避けもせず、正面からマシュマロみたいなピンクの壁を出して全部受けた。ぼす、ぼす、ぼすっと間抜けな音が響く。
「そうそう。こういうの、これくらい馬鹿じゃないと私じゃないの」
壁ごと押し出してぶつける。
また一体、砕ける。
残った“私”たちが、同時に仕掛けてきた。
空間を歪めて距離を消すもの。
時間差で足場を作るもの。
雷になって滑るように走るもの。
強い。
たぶん普通に見れば、かなり強い。
でも全部、綺麗すぎた。
整いすぎてる。
正しすぎる。
遊びがない。
「だから違うってば!」
私は跳ねる靴で上へ飛び、途中でくるんと体をひねり、そのまま逆さまになって足場を蹴った。進む方向? 知らん。今決めた。
結果、予想外の角度から“私”たちの群れのど真ん中へ飛び込む形になる。
完璧。
拳。
膝。
ハリセン。
巨大なハート型の盾。
突然出てくるスロープ。
何故か床から生えてくるトランポリン。
勢いで出した長すぎるフォーク。
よく分からんけど可愛いからヨシ!で作ったリボン付き爆弾。
ノリで生み出して、ノリで叩き込む。
鏡の“私”たちは、たぶん一手一手を計算してる。
でも私は計算しない。
思いついた瞬間に世界を騙す。
だから、私相手に私っぽさだけ真似ても無理なんだよねぇ。
(ふっふっふ)
《嬉しそうだな》
(だって、自分の偽物ボコるの気持ちよくない?)
《趣味悪だな》
最後の一体が、真正面から私そっくりの拳を放ってくる。
私はにやっと笑って、その拳に自分の拳をぶつけた。
鏡が砕ける。
“私”が砕ける。
ついでに鏡面世界全体にひびが広がっていく。
ぱき、ぱき、ぱきん。
響いた音は、どこか癇に障るくらい綺麗だった。
「さて」
私はそのまま前へ歩く。
鏡の世界が崩れ始める。
鏡面の向こうで、ピエロマスクの輪郭が見えた。
仮面越しでも分かる。
あれ、たぶん焦ってる。
「ホラー演出、向いてないよ」
世界が完全に割れた。
元の工場地帯へ戻る。
砕けたコンクリート、熱気、夜風、オリジンシンの群れ。全部そのまま。だけどピエロマスクだけが一歩、いや半歩だけ後ずさっていた。
「どうして……」
「ん?」
「どうして貴女は、恐怖しない」
私は首を傾げる。
「したじゃん?」
「なに?」
「真面目な私とか、無愛想な私とか、すました私とか見せられて、ぞわってしたよ?」
《そこかよ》
「でもさぁ」
私は笑う。
「私より強い存在じゃなかったんだよね、あいつら」
強いだけじゃダメなんだよ。
可愛くて、勢いがあって、面倒くさくて、変で、最高で、どうしようもなく私であること。
そこまで込みで、ようやく私なんだから。
ピエロマスクが黙る。
私はその沈黙に、ゆっくりと口元を吊り上げた。
「倒す前に、足りないもの教えてやろうか?」
空気が止まる。
「それは、情熱!」
指を一本立てる。
「思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ!」
七本目。
「そして何よりもおおお!」
私は両手をいっぱいに広げて、夜空に向かって叫んだ。
「可愛さが足りない!!」
数瞬の沈黙。
オリジンシンの群れすら、なんとなく引いた気がする。
気のせいかもしれないけど。
ピエロマスクのこめかみがぴくりと動いた。
「……は?」
「可愛い私、出ておいで!」
私は両手をぱんっと打ち合わせた。
次の瞬間、私の足元の影から、ぽこぽこと何かが湧いた。
1体。
2体。
3体。
4体。
5体。
まだ増える。
ちんまい二等身の私だ。
雌狸の仮面も、タキシード風のドレスもそのままに、全身だけがまるっと2頭身になったミニ昴ちゃんたちが、工場の床に次々生えてくる。ててててっと走る。ぴょこぴょこ跳ねる。ちっちゃいくせにポーズだけはいちいちキマってる。
(かわいい)
《かわいいけど怖ぇよ》
(100体くらい欲しいな)
《もう15はいるぞ》
ミニ昴ちゃん1号が、びしっとピエロマスクを指差す。
2号が頷く。
3号が何故か腰に手を当ててふんぞり返る。
4号と5号は勝手にくるくる回ってる。
ピエロマスクが完全に固まっていた。
「……何、ですか、それは」
「知らないの? 可愛さの暴力だよ」
私は胸を張る。
ミニ昴ちゃんたちが、いっせいに跳ねた。
ぴょん。
ぴょんぴょん。
ぴょこーん。
そしてそのまま、オリジンシンの群れへ突撃していく。
見た目はちんまい。
でも中身は私の虚飾だ。
しかも私は今、ものすごく気分がいい。つまり、出力もめちゃくちゃだ。
ミニ昴ちゃんたちが、ぺちんとオークの脛を叩く。
その瞬間、オークが吹っ飛ぶ。
別の子がドラゴンの鼻先を蹴る。
ドラゴンが横転する。
2体がかりでゴーレムに体当たり。
ゴーレムがひっくり返る。
ちっちゃいくせに全部火力がおかしい。
しかも可愛い。
(いいなこれ)
《いいのか?》
(可愛いは正義だからね)
そのどさくさで、私は一気に距離を詰めた。
ピエロマスクがようやく動く。
熱線を放つ。
ナイフを撒く。
盾を回す。
でも、もう遅い。
ミニ昴ちゃんたちが、ぴょこぴょこ跳ねながらその攻撃を受けては消え、消えたかと思えばまた別の場所から湧く。盾に張り付いてぺちぺち叩く。ナイフを抱えて一緒に飛ぶ。熱線の前に立ってハートのポーズをする。
カオスだ。
でも、ピエロマスクのリズムは完全に崩れた。
「ふざ、けるな……!」
「悪ふざけはここでおしまいなんじゃなかったの?」
私は笑って、その懐へ拳を差し込む。
鈍い衝撃。
ピエロマスクの身体がくの字に折れる。
さらにもう一発。
膝。
肘。
ヒールの踵で蹴り上げる。
ピエロマスクが吹き飛び、盾を無理やり足場にして立て直したところへ、私は空間をずらして先回りした。
「はい、捕まえた」
そのまま頭上に、巨大なリフレクトを落とす。
透明な圧力板が、上から叩き潰すように降りる。
ピエロマスクが熱線で相殺しようとしたその瞬間、ミニ昴ちゃんたちがわらわらと盾に群がって、追加の重みをかけた。
めり、と地面が沈む。
ピエロマスクの仮面のひびが、さらに深くなる。
(うわ、楽しい)
《楽しそうでなにより》
私は着地して、血のついた口元をぺろりと舐めた。
傷は痛い。
まだ苦しい。
でも、もうさっきまでみたいに押される感じはない。
ピエロマスクは、私を上回る方法を見つけたかったんだろうけど。
残念だったね。
私の強さって、綺麗に整理できる種類のものじゃないんだよ。
可愛さも、ノリも、勢いも、思いつきも、全部まとめて私だから。
私はひび割れた仮面を見下ろして、にやっと笑った。
「ねぇピエロマスク」
周囲ではミニ昴ちゃんたちが、まだぴょこぴょこ走り回っている。
オリジンシンの足元をちょろちょろしてるの、だいぶ鬱陶しそうでいい。
「ほら。まだ続ける?」
ピエロマスクはすぐに答えなかった。




