あつまれ原罪の森
深度3とはいえ、所詮はこの程度だ。
他の人には脅威でも、私からしたら少し強い雑魚でしかない。
工場地帯の夜空を裂くように、黒い影が吠えた。傲慢のドラゴンが翼を広げ、憤怒のイフリートが熱を撒き散らし、憂鬱のバンシーが耳障りな泣き声を響かせる。怠惰のスライムが地面を侵食し、強欲のゴーレムが金属の腕を振り上げ、暴食のオークが鉄骨を噛み砕く。色欲のサキュバスが甘ったるい気配をまき散らし、虚飾のミラージュが工場の壁面に何重もの幻を重ねていた。
うん、盛りだくさん。
サービス精神旺盛だねぇ、敵さん。
(これさぁ、普通に嫌がらせの盛り合わせだよね)
《普通の奴なら泣いて帰るレベルだな》
(でも私は、完璧超絶天才美少女なので問題なし?)
《美少女? 70過ぎの?》
(え?)
《え?》
(え?)
私はひょいと指を鳴らした。
反射
透明な壁が幾何学模様みたいに空中へ並ぶ。飛んできた炎弾を弾き、泣き声の衝撃を散らし、サキュバスの吐息みたいな瘴気を遮断する。そのまま足場にして、私は工場の屋根から屋根へ跳んだ。
ドラゴンが爪を振り下ろす。
大きい。速い。重い。
だからどうした。
空
私の輪郭が一瞬だけ薄れる。爪がすり抜ける、そのわずかな隙間に身体を滑り込ませ、至近距離で剣を生み出す。
虚な複製品
白い剣が、ドラゴンの喉元から脳天へ突き抜けた。
巨体が硬直し、次の瞬間には光の粒になって崩れる。
その横から、イフリートが咆哮しながら突っ込んできた。拳じゃなくてほぼ隕石だ。熱で空気が歪み、コンクリートが溶ける。私はリフレクトを斜めに展開し、その勢いを受け流しながら、逆の手で拳銃を作る。
撃ち抜いたのは胸の奥。熱の核。
火柱がぶわっと逆流して、イフリートは自分の炎に呑まれるみたいに消えていった。
バンシーが泣く。
スライムが広がる。
ゴーレムが踏み込む。
だから全部まとめて処理する。
虚の武器庫
空間に並んだ剣、槍、斧、銃器が一斉に射出される。泣き声を上げる口を貫き、核の位置を固定し、ぬめった肉を裂き、重い体を粉砕する。崩れたスライムの一部が足元から這い上がってきたけれど、リフレクトの足場を展開して押し潰した。
最後に残ったミラージュが、私の姿を何十体にも増やして工場の壁面を埋め尽くした。
「わぁ、私がいっぱい。どこをみても美少女だらけ。楽園じゃん」
《そうか? うざさが倍増してるだけだろ》
「ひどいなぁ。そうだ、もっと増やしちゃえ!」
私は笑って、手を広げた。
虚
私の幻影が増える。幻と幻が入り乱れて、工場地帯そのものが鏡の箱みたいになる。どれが本物か分からなくなったミラージュの仮面が、焦れたみたいに震えた瞬間、私はその真後ろにいた。
「はい、残念でした」
剣を横薙ぎ。
仮面が砕けて、最後の虚飾も夜気に溶けた。
静かになった工場地帯で、私は一度肩を回した。
崩れた鉄骨の音だけが、遠くでぱらぱらと続いている。
(ふむ)
《ふむ、じゃねぇよ。無駄な動き多すぎ》
(まあマンネリは離婚の原因ですし)
《奥さん夜がお盛んですもんね》
(いやあ、珠州と乙葉が寝かせてくれなくって、デュフフ)
《笑い方不細工すぎん?》
私は夜空を見上げる。風向きが変わって、遠くで別の熱や圧が揺れているのが分かる。みんなそれぞれ戦っている。分かってる。分かってるんだけど。
「他の人は大丈夫かなあ?」
ぽつりと漏れた本音に、ポン吉が鼻で笑った。
《お前が配置したんだけどな》
(いやそうなんだけどさぁ)
《大丈夫だと思ったからの配置だろ?》
返事をしようとした、そのときだった。
ぱち、ぱち、ぱち、ぱち。
乾いた拍手が、工場地帯の奥から響いた。
壊れた煙突の上。
いつの間にか、そこに白い影が立っていた。
白いタキシード。白いシルクハット。白い仮面。
月明かりすら舞台照明みたいに見せてしまう、あの嫌になるほど見慣れたシルエット。
「流石ですね」
ピエロマスクは、仮面の下の口元だけで笑った。
「あの状況から逃げ出しただけありますね」
その言葉が、軽く喉の奥を引っかく。
でも、今はそんなのに付き合ってる暇はない。
「逃げ出した、ねぇ」
私は肩をすくめた。
「そりゃもう命からがらよ。手足無くしてだるまになりながら逃げたんだから」
《達磨からちゃんと手足生えてたけどな》
(黙ってて)
ピエロマスクは、まるで旧知の友人にでも再会したみたいに、楽しそうに両手を広げた。
「もはや私が直接相手をしなければいけませんか」
「光栄だねぇ。ラスボス直々のお出迎えってわけだ」
「ええ。あなたはそれだけの価値がある」
価値、か。厄介な障害物くらいにしか思ってないくせに。
だがそんなもの、私はどうでもいい。
あんたをここで潰せるなら、万々歳だ。
私は一歩前に出た。壊れた地面の上に、透明な足場をひとつ。
「じゃあ始めよっか、ピエロマスク」
ピエロマスクは指先を軽く上げた。
「その前に、ひとつ教えて差し上げましょう。ただの深度3はここだけです」
私は目を細める。
「他はオリジンシンを配置しました」
胸の奥で、嫌な音がした。
でも顔には出さない。
「あなたのお仲間は、もうダメでしょうね?」
「それはどうかな」
「ふふふ。相変わらず強がりがお好きですね」
次の瞬間、ピエロマスクの背後から無数のナイフが飛んだ。
私はリフレクトを3枚重ねて受ける。金属音が弾けるより早く、私は横へ踏み込んでいた。
虚の武器庫
剣群が空を埋める。
ピエロマスクは軽やかに避ける。白い残像がいくつも尾を引いた。
(虚飾同士の戦い、めんどくさ)
《でもこう言うシチュエーション、嫌いじゃねぇだろ?》
(まあね)
私は空中に足場を並べ、斜め上から一気に距離を詰める。
ピエロマスクの背後に回り込み、剣、槍、鎖、斧を立て続けに生み出した。全部が全部、急所だけを狙う。
ピエロマスクがマントを翻す。
白い幻が裂け、入れ替わるように別の位置へ。
でも、遅い。
深昇化
世界が少しだけ、軋んだ。
より豪奢に、より魅力的に服装が変化していく。
ポン吉が時間を騙し、私は空間を騙す。
足場との距離が消える。剣先と相手の喉の間の空白が、なくなる。
ピエロマスクの仮面に、初めてかすかな驚きが走った。
遅延した相手の動きの中を、私は滑るみたいに駆け抜ける。
肩口に一閃。
脇腹に二撃。
膝裏を抉って、蹴りで仮面の真ん中を殴り抜く。
ピエロマスクが大きく後退した。
白い仮面にひびが走る。
「弱いねぇピエロマスク?」
つい口元が吊り上がる。
だって本当に、弱い。少なくとも、私が想定してたよりずっと。
「このままあんた諸共オリジンシンを消滅させておしまいだ!」
私が踏み込もうとした、その瞬間だった。
ピエロマスクが、ふ、と笑った。
「ここで出す予定ではなかったのですが」
背筋に冷たいものが走る。
工場地帯のあちこち、割れた地面の裂け目、崩れた倉庫の影、壊れた高架の上、夜空そのものから零れ落ちるみたいに、気配が増えた。
1つや2つじゃない。
8つでも、10でも、そんな生易しい数じゃない。
ドラゴンの翼が風を鳴らす。
バンシーの泣き声が重なる。
イフリートの熱が膨れ上がる。
スライムが地面を覆い、ゴーレムの群れが鈍く軋み、オークが唸り、サキュバスが嗤う。
枢要罪、全部。
しかも1体ずつじゃない。
ピエロマスクは、割れかけた仮面を押さえながら、舞台の上の役者みたいに一礼した。
「オリジンシンは変えが効くんですよ。1体かければこの中から適当に補充すればね」
ぞわ、と空気が歪む。
それぞれが、ただの深度3以上の圧を持っている。
似ているけど違う。個体差がある。全部が別個体コピーじゃない。
つまり、全部が元人間。
《……笑えねぇな、こりゃ》
(ほんとにね)
周囲を見回す。
前も後ろも上も下も、全部敵だ。
ピエロマスクが、優雅に手を広げる。
「貴女の仲間は来れない。オリジンシンに倒されてね。これ全員を1人で相手できますか?」
数がさらに増える。
闇の中から、また新しい影が立ち上がる。
ドラゴンの後ろにまたドラゴン。イフリートの熱の奥からまた別のイフリート。どこまでいるのか分からない。数えきれない。工場地帯がもう敵の輪郭で埋まり始めている。
普通なら、ここで絶望するんだろう。
でも私は、ゆっくり息を吐いた。
仮面の奥で、目を細める。
ピエロマスクの問いだけが、耳の奥に残る。
「1人で?」




