第99話
俺は食事を終えて自分の部屋に戻った。
ベッドの上に身を投げて天井を眺める。
「楽しかったなぁ」
自然と言葉が口を突いた。
久々に笑顔のある食卓を囲んだ気がする。
独りでの食事は慣れたものだけど、にぎやかな食事でしか得られない娯楽は確かにあった。
楽しい時間はひとまず区切りだ。これからどうするかを真剣に考えないと。
目下の課題だった異端審問は乗り越えた。
その一方で全部が全部元通りとはいかない。これからは教会の目を気にする日々が待っている。
懸念はそれだけじゃない。俺は闇属性魔法に関する研究資料を提出しなければならなくなった。
資料を提出した後には、俺の知らないところで闇属性魔法の研究が進められるだろう。
人類領にもロッテンハイター伯爵を始めとした優秀な研究者がいる。いずれは惑星魔法の基礎に到達することが想定される。
研究開発でサテライトブレイザーが再現されるのは時間の問題だ。俺のついた嘘がばれるまでそう年月はかからない。
それまでに俺の存在感を強める、あるいはセグランデ王国と敵対している国に亡命する必要がある。
まだまだやるべきことは山積みだ。先行きの見えない未来にため息をつきそうになる。
コンコンコンとドアがノックされた。
「どうぞ」
廊下に面したドアが開かれる。
ラピアだった。
「カムル様。少しお話したいのですが、今お時間よろしいでしょうか?」
「ああ。構わないけど」
口がこわばりそうになった。
ラピアと二人きり。否応なしに浴場でのできごとが想起される。
今もシュミーズの上に上着を羽織っただけという大胆な装い。思わず視線を奪われるほど煽情的な光景だが、微かな恐怖を覚えずにはいられない。
俺はベッドから腰を浮かせてチェアに座り直した。
勧めたチェアにラピアも腰かけた。
「それで話って?」
「カムル様は今後どうするのかと思いまして」
「そういうことか。今のところは大学に戻ろうと思ってるよ」
「セグランデ王立魔法大学ですね。同い年なのにもう大学生だなんて、カムル様はすごいですね」
「ラピアたちは魔法学園を卒業したんじゃないのか?」
「私とレベッカは休学しているんです。学園の寮にいるとニーゲライテ領の危機に駆けつけることはできませんから」
「なるほどな」
この世界の全員が魔法を使えるわけじゃない。強力な魔法をあつかえる術者となればさらに絞られる。
レベッカとラピアは上級魔法師。生半可な部隊よりも制圧力がある。
以前からニーゲライテ領付近は物騒だったと聞くし、オイデイン兄さんからしてもありがたい申し出だったに違いない。
「大変だったんだな」
「そうですね。長い間学校から離れましたし、授業の内容はうろ覚えです」
「法衣貴族は大変だな」
「他人事じゃありませんよ? カムル様もいずれは領土を持つことになるんですから」
くすくすとした笑い声を上げて、ラピアが思いついたように手の平を合わせる。
「そうだ、よかったら私にお勉強を教えてくれませんか?」
「お安いごようだ。それくらいの礼はさせてもらうよ」
「やった!」
ラピアが嬉しそうに笑む。
勉強を教える約束をしただけなのに、ここまで喜んでもらえると俺まで嬉しくなる。氷魔法を教えた当時を思い出して口元がゆるむ。
ラピアが手元に手を当てた。
ふぁ~~っと無防備なあくびが行われる。
「眠くなってきましたね」
「ずっと馬車に揺られてたもんな。ベッドの上じゃないと疲れも取れないか」
「そうですね。今日はぐっすり眠れそうです」
「一人で部屋まで戻れるか?」
「はい。でも私は、もう少しカムル様とお話したいです」
「明日も話せるじゃないか」
「今がいいんです。カムル様は、またいなくなるかもしれませんし」
俺は苦笑いを禁じ得なかった。
「どこにも行かないよ。勉強を教える約束もしたし、大学に復帰するまではフランスキー領から出ないと約束する」
「本当ですか?」
「本当だって」
ずいぶんと信用がない。まあ前科があるから仕方ないけども。
ラピアがチェアから腰を浮かせた。
「やっぱり不安なのでここにいます。しばらく仮眠を取らせてください」
「仮眠って、もう遅いんだから自分の部屋で」
「えいっ」
ラピアが俺のベッドに飛び込んだ。衣服のすそがめくれて形のいい太ももが露わになる。
俺はとっさに背を向けた。
「カムル様もこちらに来てください」
「俺はここでいいよ」
「せっかくまた会えたんです。小さい頃のようにまた手を握ってください」
「誰だそいつは。その記憶俺の中に存在しないんだけど」
「細かいことはいいじゃないですか。私たちは幼馴染なんですから」
言うほど幼馴染か? ラピアと一緒にいた期間なんて半年にも満たないのに。
とにかくベッドに近づくのは駄目だ。今のラピアには俺をベッドに引きずり込んできそうな危うさがある。
「ラピアは異性に対して遠慮がなさすぎだ。またレベッカに叱られるぞ」
「はい。叱られると思います」
予想しなかった肯定を聞いて思わず振り向く。
ベッドの上には、それが何か? と言わんばかりにきょとんとした顔がある。
反省はするけど改善はしないということか。
「フランスキー伯爵とレベッカの苦労がしのばれるな」
「ひどいこと言わないでください。私だって分別はつけています」
「そのわりに俺と二人きりじゃないか。それも夜中になんて、貴族のマナー的にアウトだろ」
「カムル様なら大丈夫です。私信じていますから」
いい笑顔で言われたら何も返せない。
信じてくれるのは嬉しいけどやっぱり駄目だ。
俺はチェアから腰を浮かせた。
「外を歩いてくるよ。ゆっくり寝ててくれ」
「どこにも行かないって言ったじゃないですか」
「そういう意味で言ったわけじゃない」
ラピアが不満げにほおをふくらませる。
「また逃げるんですか?」
すねたような声色を耳にして息が詰まる。
「逃げるって何だ、人聞きの悪い」
「だって逃げたじゃないですか。私寂しかったんですよ?」
「それは確かに俺が悪いけど」
「じゃあ謝ってください」
「えと、ごめんなさい」
何で俺謝ってるんだろう。少なくともこの場においてマナー違反をしているのはラピアなのに。
上目づかいだったラピアがにこっと笑む。
「はい、よくできました。仲直りの証としてここで横になる権利を与えます」
繊細な手がペッドのシーツをぽんぽんと叩いて促す。
おどけた雰囲気が親しみやすさを演出する一方で、無防備な曲線美がかもし出す色香は健在だ。歩み寄ったらのみ込まれそうな迫力がある。
廊下へ逃げようにも罪悪感が後ろ髪を引く。俺はどうするのが正解なんだ。
コンコンコンとドアがノックされた。
「カムル、夜中にごめんなさい。部屋にラピアがいないのだけれど見てないかしら」
レベッカの声だ。
俺はそっとラピアに視線を戻す。
ラピアが片目を閉じた。いたずらっぽく曲線を描いた口元に人差し指が添えられる。
俺はとっさに息を吸い込む。
「ここにいるぞ」
「あっ、カムル様いじわるです!」
抗議の声をよそにドアが開いた。
レベッカがラピアを見て目を細める。
「やっぱりここにいたのね」
ラピアが微笑んでひらひらと手を振った。
「ごきげんようレベッカさん」
「ごきげんようじゃないわよ。こんな時間にカムルの部屋で何をしているの」
「お話です。祝いの席の興奮がまだ冷めないもので」
「ラピアが添い寝してほしいんだって」
「カムル様ぁっ!」
泣きつくような声は無視だ。
レベッカがずんずんと歩み寄ってラピアの手首を握った。
「ラピア、部屋に戻るわよ」
「そうだ! レベッカさんも添い寝しませんか? 幼馴染三人で語らうのも楽しいと思います」
「私が寝た後に何をするか分かったものじゃないわね。もう強引に連れてくから」
レベッカがラピアの腕を引っ張る。
ラピアの足がベッドのシーツを離れて床についた。
剣士の腕力に対抗できるはずもなくラピアが引きずられる。
「痛い痛いです自分で歩けますから! カムル様、また明日お話しましょうね」
「ああ、二人ともお休み」
「おやすみカムル」
ぱたんとドアが閉められて室内が静まり返った。
「俺、無事にフランスキー領を出れるのかな」
ラピアに勉強を教える約束をした。
一度は不義理を働いた身だ。恩人相手に二度目なんて俺自身が自分を許せない。約束した通り、しばらくはフランスキー領にとどまるつもりだ。
しかしこれからも誘惑されると思ったら気が気じゃない。
「やっぱり伯爵に進言するか」
告げ口は褒められたことじゃないけど仕方ない。これはラピアのためでもあるんだ。
明日やるべきことは決まった。俺は消灯してベッドの上であお向けになる。
眠りにつくまで、俺はシーツに残ったぬくもりとフローラルな香りに悩まされた。




