第100話
翌日の朝を迎えた。
今日はフランスキー伯爵が屋敷に戻る日だ。俺は朝食を摂るなりラピアの侍女に頼んで髪を切ってもらった。
頭が軽い。
世界が明るい。
数年かぶりっぱなしのフードを外したような解放感。今まで髪を切ろうとしなかった自分が信じられない。
身なりを整えた頃合いになって馬車が到着した。ドアのノックに遅れて使用人がフランスキー伯爵の帰宅を告げた。
俺は部屋を出て階段を下りた。一階の廊下を歩いて客室で待機する。
程なくしてフランスキー伯爵が客室を訪れた。
俺はソファーから腰を上げて迎える。
「お久しぶりですフランスキー伯爵。カムル・ニーゲライテですが、覚えていらっしゃいますでしょうか」
「おお、カムル君か! 大きくなったなぁ、何年ぶりだね」
フランスキー伯爵が笑みを浮かべて歩み寄る。
俺たちは軽くハグを交わして、センターテーブル越しに向かい合った。
給仕が茶と菓子を用意して客室を後にした。
ラピアとレベッカが客室を訪れる気配はない。彼女らなりに気を使ってくれたんだろうか。
「元気そうで安心したよ。最近は大変だったと聞いていたから心配していたんだ」
「ご心配をかけてすみません。審問で無罪が確定しましたからもう大丈夫です」
「それは何よりだ。しかし君が闇属性魔法の研究開発をしていたとはね。小さい頃から片鱗はのぞかせていたが、君の才には本当に驚かされるよ。よかったら放浪中の話を聞かせてくれないか」
「ええ、もちろん」
俺は茶と菓子を口にしながら多少脚色した旅の話を語る。
フランスキー伯爵も俺の旅路に興味津々だった。驚いたり笑ったりと感情表現豊かで語り甲斐がある。
こういうのも貴族のテクか。
そう思う俺はやはり穢れているのかもしれない。
「話してくれてありがとう。実に聞き甲斐のある話だった」
「ご満足いただけて何よりです。こちらも申し上げた甲斐がありました」
「ところで君の話には女っ気がなかった気がするが、旅路の途中で女性とそういう関係にはならなかったのかね」
「はい」
意図して伏せた魔王国ではそれっぽいことがあった。竜者の中でうかつなことをしてどぎまぎした。
もう終わったことだ。彼女に恨まれこそすれ、好かれているなんてあり得ない。
フランスキー伯爵がずいっと身を乗り出す。
「カムル君、ラピアには会ったかい?」
「はい。審問にかけられた時はお世話になりました」
「きれいになったろう」
「そうですね。見違えました」
フランスキー伯爵がうんうんとうなずく。
「そうだろうそうだろう。君に逃げられてからラピアは自分磨きに励んだからね。舞い込んだ縁談は全て断ったし、全ては君を想ってのことだ」
「あ、あはははは……」
苦笑いでごまかす。
逃げるって、父娘そろってそういう認識か。せめてもう少しオブラートに包んでほしい。
そんなに薄情に映ったのか。
置き手紙、残したんだけどなぁ。
「魔法の方もずいぶんと上達してね、昨年上級魔法師の資格を取ったんだ。君の前では霞むかもしれないが、あの年での取得はすごいことだ」
「その話はラピアからも聞きました。以前は私が教える側だったのに追い抜かれてしまいましたね」
「君に見劣りしないために邁進した結果だよ。ずいぶんとまあ健気なことじゃないか。我が娘のことながら涙腺が緩んでしまうよ」
話が妙な流れに傾いている気がする。
元いた世界でも父親は娘に甘い生き物だった。フランスキー伯爵も例にもれずその類か。
称賛を聞くのもいいけど、程々にしておかないと後でラピアの素行を告げにくくなる。
ここは強引にねじ込むしかない。
「あの、フランスキー伯爵。ラピアの件でお話したいことがございます」
「ん、何だい。縁談の話なら歓迎するよ」
「いやそうじゃなくて、ラピアの素行の話です。少々異性に対して大胆な気がします」
「はて。ずっとラピアと同じ屋敷で暮らしているが、異性に大胆な子とは思ったことはないぞ」
「そうなんですか」
「無論だ。先程も言った通り縁談は全て蹴ったし、学園を休学する前は言い寄ってきた男子をノータイムで振ったと聞く。君の懸念は的外れだよ。娘を誤解しないでほしい」
「ですが昨晩は私の部屋に入ってきました。薄着で目のやり場に困りましたし、貴族のマナー的によろしくないのでは」
「再会できたのが嬉しくて積極的になっているのだろう。幼馴染のよしみで許してあげてくれたまえ」
「俺は教会ににらまれています。ラピアのためを想うなら、他の優良物件を募った方が良いと思います」
これだ、これを言いたかった。
ラピアからの好意は認識している。そこに無自覚でありたくはない。
でも法衣貴族になるつもりはない。
貴族の令嬢が幸せをつかむなら法衣貴族との婚約は絶対だ。
俺は将来的に亡命を考えなきゃいけない身の上だ。俺が背負うにはラピアの人生は重すぎる。
「君は無罪を勝ち取ったんだろう? なら問題はないじゃないか」
「それはそうですが、教会がおとなしく引き下がるとは思えません」
「君は教会に不信感を抱いているんだな。冤罪をかけられたのだから無理もないが、彼らだって大人だ。最低限の分別はつけるさ」
「大人も人です。暴走しないとは限らないでしょう」
フランスキー伯爵が小さく笑う。
「君は用心深いな。ちなみに他の優良物件とは具体的に誰を指すんだ」
「そう言われると今は挙げられませんが」
「将来的には現れると? すでに男爵の位を得て、飛び級で魔法大学に入って、その才を魔法の権威に見出されて、独自に闇属性魔法の研究開発を手掛けて、おまけに世界で二人しかいない光属性魔法の使い手ときた。そんな人物よりも優良だと言うならぜひ紹介してもらいたいなぁ」
俺は思わず口をつぐんだ。
フランスキー伯爵がティーカップを口に運んで傾ける。
声色が微かに冷たい。ひょっとして嫌味が入ってるのか?
さすがに嫌われてはいないとは思うけど、正直心あたりが多すぎる。
伯爵がティーカップを受け皿の上に置いた。
「自己評価が低いことを悪いとは言わない。君が今日まで生きてこられたのも、その気質に起因するのだろうからね。だが周りはどうなる? 君に憧れを向ける者は悲しい思いをするし、努力してきた者の嫉妬や挫折だって招き得る。賢い君なら分かるだろう」
「それは」
分かっているつもりだ。
自分が常軌を逸して恵まれていることも、それを疎む人がこの世に存在することも。
俺は知った上で見て見ぬふりをしてきた。
行動がともなっていないから、それを伯爵の前で口にするのは憚られる。
「君が貴族社会を苦手としていることは知っている。しかし君も子供のままではいられないんだ。十数年も生きれば価値を見出したものが一つや二つあるだろう。自身が守りたいものは何なのか、それを守るにはどうすべきなのか、屋敷にいる内によく考えてみるといい」
伯爵の発する言葉の一つ一つがしみる。
俺は今日まで自分の思うがままに生きてきた。貴族として生まれた責任なんて考えたこともない。
それでも周りは俺をニーゲライテの三男として見る。俺の意思にかかわらず多くが寄ってくる。
それらは必ずしもいい者ばかりじゃない。大事なものを奪われないためには足元を固める必要がある。
事実、俺が賢く立ち回っていれば異端審問になんて掛けられなかった。
光属性の魔法を使えることで重用されて、今頃はしかるべき立場で手腕を振るっていたに違いない。
いい加減自覚を持て。
伯爵にそう告げられた気がして、俺はひざ元に視線を落とす。
パンッと軽快な音が鳴り響いた。
顔を上げると、フランスキー伯爵が体の前で手の平を合わせていた。
「せっかく屋敷に来てくれたんだ、小難しい話はここまでにしよう。カムル君はこれからの予定を決めたかな?」
「はい。闇属性魔法の研究資料を提出するまでは、ラピアたちに勉強を教えるつもりでいます」
「そうか。ならば寝泊まりには昨晩泊まった部屋を使うといい。家庭教師として働いた分の給金も出そう」
「いただけませんよ。ラピアには審問の件でお世話になりましたし、その恩返しのつもりで決めたんですから」
「それならその恩は別の形で返してくれ。例えばラピアのお願いを聞くとかね」
フランスキー伯爵がウインクする。
親子だなぁと思いつつ、俺は苦笑いで応じた。




