第94話
「レベッ、カ?」
俺は思わず目を見張る。
少女が名乗った名前には心当たりがある。
俺がまだニーゲライテの屋敷にいた頃の許嫁。ライデリット兄さんになびいたと思ったら、俺が叙爵したのを機によりを戻そうと頼み込んできたロールレイン家の令嬢。
ロールレイン伯爵領の兵士が増援に来ている話は耳にしていたけど、まさか子女のレベッカまでこの戦場に出ていたとは。
一礼したレベッカが上体を起こす。
勇者がひとまずと言った様子で警戒を解いた。
「俺は王認勇者ヴァラン・アストレイカーだ。それで、ロールレインの令嬢がここに何の用だ?」
「私の持ち場はこの付近なのです。魔法と思われる光と爆発を確認したため、ここに参じました」
レベッカの言葉は嘘ではないのだろう。靴音に遅れて武装した人員が駆けつける。
勇者が横目を振ってからレベッカに視線を戻した。
「そちらの事情は把握した。しかし何故貴方は俺の前に立っている」
「同胞が同士討ちをしようとしているのです。私でなくても止めに入るのは自然な成り行きと存じますが」
「確かにそうだな、では事情を説明しよう。そこの少年は魔族と通じている疑いがある。現に闇属性魔法の行使を確認した。故、王認勇者の権限で処断を試みたところだ」
レベッカが振り向いて俺を見る。
顔立ちは大人びている一方で、まだ残っているあどけなさには許嫁だった当時の面影もある。エメラルドのような瞳は眺めていると吸い込まれてしまいそうだ。
レベッカが勇者に向き直る。
「事情は承知しました。ではこの少年の移送は私にお任せください」
「何?」
勇者が目を細める。
俺からレベッカの表情は見えないものの、微かに丸められた指が緊張を物語る。
「どうして移送する必要がある。俺は先程処断と言ったはずだが」
「お言葉ですが、今の王認勇者は冷静さを欠いているように見受けられます。そこの少年からも事情を聴かなければなりませんし、処断するにしてもここは場を変えるべきだと愚考いたします」
「カムル・ニーゲライテは魔族を逃がした。それどころか闇属性の魔法を行使して俺の魔法を防いだ。魔族と通じていることは明白だし、後者に至っては完全に異端だ。異端者として裁くことの何が間違っていると言う」
「王認勇者の権限は把握しております。しかしここで手を下すのは、いささか性急に過ぎるのではないでしょうか」
「性急なものか。そこの少年は魔族をかばったのだぞ」
「それは賢明なことですね」
一瞬沈黙が訪れた。
勇者が眉根を寄せる。
「賢明だと?」
「生きた魔族を捕らえる機会に恵まれたのでしょう? それなら捕らえて情報を引き出した方がいいに決まっています」
「それは教会の方針と異なる。魔族と通じている者は見つけ次第断罪が鉄則だ」
「本気でおっしゃっているのですか? 王認勇者ともあろう方が、ずいぶんと固いことをおっしゃいますのね」
「何が言いたい」
「魔族と通じている裏切り者が、本当に一人だけだとお思いなのか問うているのです。一人いれば十人、いやそれ以上潜んでいてもおかしくない。聞き出せば一斉摘発できるかもしれないのに、ここでその芽を摘むおつもりなのですか?」
勇者が口をつぐむ。
俺たちが元いた世界では、捕らえた敵兵から敵国の情報を引き出すのが常套手段だった。
物騒な国で軍属を経験した勇者が、尋問の意義を理解できないはずはない。
「そもそも現時点では、この少年が魔族と通じているかどうかすら定かではないのです。真偽を確かめないまま処断なんてあんまりではございませんか。まさか殺めてしまえば冤罪でも構わないと?」
そんなことはございませんよね? 問いかける言葉に挑戦的な声色が混じる。
俺は闇属性の魔法を使用した。そこは疑いようのない事実だ。
それでも真っ黒じゃない。人類の裏切り者という汚名だけは確定していない。
認めよう、王認勇者はまぎれもなく人格者だ。人間に対してだけは聖人じみた振る舞いができる英傑だ。
何より王認勇者はその生き様ゆえに、濡れ衣をかぶせられる苦しさを知っている。
俺にはこの先の流れが手に取るように分かった。
「ロールレイン嬢。貴方なら真実を突き止められると言うのか」
「真実の究明は私のなすところではありません。全ては審問の場にて明かされることでしょう」
勇者とレベッカが見つめ合う。
永遠かに思えた静寂を経て、勇者が目を閉じた。
「了解した。カムル・ニーゲライテの身柄は貴方に預けよう」
「賢明な判断痛み入ります」
一礼するレベッカの前で勇者が身をひるがえした。
危機はまだ去っていない。
闇属性魔法の行使、魔族と通じている疑惑。それらが無実であることを証明しないと俺は教会によって処刑される。
それでも幼馴染のおかげで、今この場で勇者に叩き斬られる未来だけは回避された。
「お嬢様、何て無茶を!」
視界の隅で待機していた兵士がレベッカの元に駆け寄った。その内の何人かが俺に異物を見るような視線を送る。
無理もない。王認勇者から敵認定を受けた男なんて子供でも薄気味が悪いだろう。
苦笑いする気力も起きない。全てはレベッカの裁量次第だ。
「これからの予定を変更して拠点まで戻るわよ」
「その少年を移送するのはいいとして、どの馬車に乗せるおつもりなのですか?」
「私の馬車に乗せるわ」
周囲の兵士がぎょっとした。
「危険です。ご再考ください」
「いいえ、これは決定事項よ」
「嫁入り前の大事なお体なのですよ? お嬢様の身にもしものことがあったら旦那様にどう顔向けすればいいのですか」
「私は王認勇者から直々に依頼されたのよ。彼の移送はロールレインの名において確実に行いたいの。私の同行は外せないわ」
「それならお供をお付けください」
「やめておきなさい。彼は王認勇者とやり合って生き延びた男よ。どんな手で脱出を図るか分からない以上、何かあったら私が辺り一帯を焼き払う。巻き添えになってもいいなら止めはしないけれど」
兵士たちが息をのむ。
答えは出たみたいだ。二人の男性が腰を落として俺をがっちりホールドした。
お嬢様に手を出したら許さん。
耳元でそんなことをささやかれたのち後ろ手に縛られた。無理やり立たされて荒れ果てた地面を歩く。
歩いた末に馬車が映った。
俺は馬車の座席に座らされた。その斜め前にレベッカが乗り込む。
花の香りが漂ったのもつかの間、ドアが閉められて馬車が揺れた。嘲笑する小宇宙を持つ兵士が目じりに消える。
「何とか乗り切ったわね」
レベッカがため息混じりにつぶやいて脱力する。
つぶやきに遅れてエメラルドのような瞳が俺を見すえた。
「カムル、でいいのよね」
「ああ。俺はニーゲライテ三男のカムルだよ」
「すごく様変わりしたわね。でもカムルが行方をくらませてから十年近く経つし、そんなものかしら」
俺の髪は腰付近まで伸びた。しゃべり方も後悔の念に引きずられてダウナー寄りだ。
様変わりなんてもんじゃない。俺がカムルだと見抜いたレベッカに驚嘆すら覚える。
「よく俺がカムルだと分かったな」
「他にあの特徴的な杖を持つ人を知らないから」
「ああ、なるほど」
俺が成長しても嘲笑する小宇宙は変わらない。
元々が闇属性魔法の研究に明け暮れた異端者の特注品だ。俺以外にあの杖を持つ人がいるはずもない。さらに年の近い男性ときたら十中八九カムル・ニーゲライテだ。
俺は闇属性魔法の使用が禁忌と知るまで杖を隠さなかった。
それを後で後悔したものだけど、まさかこんなところで役に立つとは。
「カムル、あれから何をしていましたの?」
「何、か。本当に何をしてたんだろうな」
俺は自分のひざに視線を落とす。
屋敷を出た後は放浪して、中立国家ジマルベスの陥落を目の当たりにした。それで人類を見損なったから魔王国に行った。
かと思えば魔族にも嫌気がさしてまた放浪だ。あげくエルフの村に置いてほしいという願いを却下されて人類領にたどり着いた。
何とみじめな。
貴族に染まりたくないと思って屋敷を出た結果がこれか。恥ずかしくて消えたくなる。
「助けてくれたことには感謝するよ。でも結果は変わらない。移送が終わったら俺のことは忘れてくれ」
「魔族と通じている疑いは本当だってこと?」
「人類を裏切ったつもりはない。でも今回の件で教会ににらまれるし、逃げたところで行くあてもないんだ。だからいさぎよく異端審問にかけられるよ」
息をのむ音に遅れてレベッカが声を張り上げた。
「どうして抗おうとしないの! 異端審問の意味分かってる? このままじゃカムルは処刑されるのよ⁉」
「そうだな、俺は死ぬ。そうしなきゃいけない気がするんだ」
「どうして?」
寂しそうな響きを耳にして俺はひざ元から視線を上げる。
不本意だったとはいえレベッカは俺を救った。どうしての問いかけに応えるくらいはするべきか。
魔王国にいたことを告げるわけにもいかない。俺は要点だけ伝わるように事実を捻じ曲げておのれの罪業を伝える。
静かに聞き入っていたレベッカが口を開いた。
「カムル、あなたは私たちが許嫁だった頃を覚えてる?」
いきなり話題を逸らされてむっとする。
俺は今罪の告白をしたばかりなのに。
「何だ突然、覚えてるよ。レベッカがライデリット兄さんと結ばれるために俺との婚約を破棄した話だろ」
むっとしたせいで余計なことまで口走った。
レベッカは次男のライデリット兄さんにあこがれていた。俺はライデリット兄さんに話をつけて許嫁の関係を白紙に戻した。
ずいぶん懐かしい話を思い出したものだ。
「そうよ。私は一時期の感情でひどいことをしたのにあなたは許してくれた。それどころか置き手紙でフォローまでしてくれた」
「そうしないと面倒事になるのは分かってたからな。他意はないよ」
「あなたにとってはそれが当たり前だったかもしれない。でも私はあの件があったから苦手な習いごともがんばろうと思えた。作法だって身につけたし、魔法や剣も一生懸命勉強して胸を張れる自分になれた。全部カムルが私を赦してくれたからよ」
「がんばったんだな。それで、君は結局何が言いたいんだ」
「どうして自分のことは赦さないの? カムルが大変なことをしたのは分かった。あなたに非があるかどうかはともかく、すごく悔いていることも理解はした。だからって死を選ぶのは間違っているわ」
「物事には程度があるんだよ!」
やっぱり全然分かってない。その苛立ちが張り上がった声として発露した。
エメラルドのような瞳は揺らぎもしない。それがまた俺に言葉を募らせる。
「君の過ちは謝ればすむ程度だった。でも俺がおかした過ちは取り返しがつかないんだ! どれだけ悔やんでも悔やみきれない。その絶望と後悔の深さが君に分かるものか!」
「だったらふさわしい償いをしなさいよ! 謝罪が足りないならお詫びの印を、それでも駄目なら償いの方法を死ぬまで考えなさいよ! 生きることから逃げるな!」
細い腕に両肩をがしっとつかまれた。
紅い美貌に真正面から見据えられて、俺は思わず目を見張る。
この少女は、誰だ。本当にあのレベッカなのか?
俺は好意でレベッカを助けたわけじゃない。
精神年齢が上だから、当時のレベッカが年端もいかない少女だったから大人の対応を意識しただけだ。
あの決断があったからレベッカは成長した。
今俺は俺がそのレベッカに叱られている。他意のない善意がこんな形で返ってくるとは思わなかった。
「そう、だな」
俺は取り返しのつかないことをした。今でもそう思っている。
俺が大金をはたいたところでリティアの両親や他の魔族は生き返らない。何をすれば償えるのか、そもそもそんな方法があるのかすら分からない。
でもたった今自覚した。俺は罪から目を逸らそうとしていたんだ。
俺にとっての自殺は逃げだ。悩まなくても思いつく、自分を納得させるだけの自己中心的な行動に他ならない。
そんな保身に走るくらいなら、答えのない贖罪の形を考え抜いた方がよほど苦しい道のりになる。
それは生きていなければできないことだ。
だったら生きるしかないだろう。
「ありがとうレベッカ。自分のやるべきことがようやく見えてきた気がするよ」
わずかに口角が浮き上がる感覚。
最後に笑ったのはいつだったっけ。久しく笑ってなかった気がする。
「わ、分かればよろしい」
紅い美貌がそっぽを向く。
雪のように白い肌がほのかに赤みを帯びた。




