第93話
「子供を離すな!」
俺は叫んで即座に魔法を発動した。舞い上がった砂ぼこりが視界内を濁らせる。
俺は記憶を頼りに身をひるがえして腕を伸ばした。魔族のものであろう腕を握りしめて、足元を起点に風の魔法を最大出力で行使する。
ぐいーっと慣性に遅れて視界がクリアになった。
「おわああああああああああああああああ――⁉
きゃああああああああああああああああ――⁉」
後方で魔族が悲鳴を上げる。
無理もない。窮地から脱したと思ったら上空にいるんだ。見下ろせば木々の緑が広がっている。
ひゅんとする光景だけど目を閉じてはいられない。
「俺が勇者の相手をします。その間にその子を連れて逃げてください」
「わ、私たちを助けてくれるのか?」
「二度は言いません」
言ってるひまはない。どうせ勇者は追いかけてくるんだろうから。
予想した直後だった。俺たちが飛んできた方角から黄金が発せられる。
二本の輝線が素通りした直後に魔喰いが発動した。
威力を殺した一方で衝撃までは消せなかった。飛行軌道がずれて地面が迫る。
俺は二人と地面の間に体を入れた。
万能反射装甲のおかげで怪我はない。俺はすぐに立ち上がって魔族に逃げる方角を指し示す。
魔族が礼を告げて走り去る。
俺は嘲笑する小宇宙を構えて気を引きしめる。
靴音が迫る。
その数は一つ。誰のものかなんてもはや見るまでもない。
「珍妙な魔法だな」
威圧的な声に違わず勇者が現れた。両手に剣をたずさえながら土の地面に靴裏を刻む。
すごい追跡スピードだ。こっちは魔法で飛んできたっていうのに。
「俺の魔法に備えていたようには見えなかったが、それも魔族と通じたことで得た魔法か?」
「違いますと言ってもどうせ信じないでしょう」
勝てるなんてみじんも思わない。だったら俺がやるべきことは一つだけだ。
可能な限り戦闘を長引かせて、あの魔族たちが逃げる時間を稼ぐ。
「魔族はどうした」
「さあ? あなたに落とされた時にはぐれたので分かりません」
「シラを切るか。まあいい、貴様はここで斬ると決めている」
貴様か。
本当に敵認定されたみたいだ。その事実を目の当たりにして胸の奥がチクッとする。
俺は胸のうずきをこらえて魔法を発動した。氷の砲弾が列を作って勇者へ向かう。
全部砕かれたが想定通りだ。
本命はすでに空高く打ち上げてある。俺が勇者に抗えるとしたらあの魔法しかない。後は時間稼ぎに徹して起動を待つだけだ。
勇者の手元がピカッと光る。
俺は地面を蹴った。一瞬遅れて背後の地面が爆ぜる。
雷じみた性質を持つ一方で、雷と違って物に引き寄せられない。エイムは完全に勇者依存だ。
その勇者が元軍人なのも笑えない。魔法で身体能力を強化して走っているのに魔喰いが連続発動する。
万能反応装甲がなかったら何回絶命していることか。
「一応聞いておこう。何故人類を裏切った」
「どうして闇属性の魔法を使うことが人類を裏切ったことになるんですか? 魔法は技術です。実体は科学と何ら変わらないというのに」
闇属性の魔法を元をただせば術式から生まれる。
存在が邪悪というわけじゃない。
魔族が使っている。その一点でのみ闇属性の魔法は禁忌とされている。俺から見れば実にバカバカしい。
「学がある人間は屁理屈も上手いな。ならば言い換えよう、何故我らが神を裏切った」
「結局そこですか。逆に聞きますけど、あなたはどうしてあんなのを信仰できるんですか? 自分の都合で殺しておいて、バツが悪いから望んでもない転生を押しつけてくる奴ですよ」
勇者の体がヌッと迫る。
衝撃がきて俺の靴裏が地面から離れた。
何度か空と地面が入れ替わってから視界内の輪郭が戻る。
「万能反応装甲があってもこれか」
俺は愚痴りながら上体を起こす。
衝撃緩和の爆発はしっかりと起こった。
それでも吹っ飛んだってことは、万能反応装甲でも消し切れない威力で攻撃されたってことだ。
あの人やっぱり人間じゃない。
「物理的な攻撃に対しては緩和上限があるようだな」
土煙から現れた勇者の額からは赤い液体が流れ出ている。
反応装甲の爆発を間近で受けたんだから当たり前だけど、その程度で済んでいることがもう異常だ。
「しゃべっている最中に攻撃するなんてひどいですね」
俺は告げながら腰を浮かせる。
勇者は体中の骨を砕かれても魔法で強引に動いてくる。このまま体力のチキンレースに持ち込まれたら身がもたない。
俺は方針を変えて口を開いた。
「そんなにあの神が大好きなんですか。恩義があるのは分かりましたけど、あなたはあいつに利用されてるだけだと思いますよ」
「一向に構わん。あの方は我ら人類をおもんぱかっていらっしゃる。俺の目指すところはあの方とともにあるのだ。わずかな懐疑心で立ち止まる理由がどこにある」
「筋金入りの信者ですね」
「そうやって他者の信じるものを踏みにじるところは魔族そっくりだな。これは話し合うだけ無駄か」
わけも聞かず俺の処断を決めたくせによく言うものだ。
勇者が握る剣に金の光が宿る。
「どのみち俺は、この人生を民草に捧げると決めている。ゆえに覚悟しろカムル・ニーゲライテ。例え同郷の徒だろうと、我らの前に立ちふさがるなら容赦はせん」
それはこちらのセリフだ。長々と話につき合ってくれたおかげで十分時間は稼げた。
周囲の景色が明るみを増す。
勇者も異常に気づいて仰ぐがもう遅い。莫大な光が偽りの雲をつらぬいて地上を目指す。
狙いは勇者――ではなく少し離れた地面だ。
直接狙ってもビューレの火球のごとく両断されるかもしれない。
でも地面に惑星魔法を撃てば多段の攻撃ができる。
衝撃波で駄目なら熱線が。
熱線で駄目なら樹木や土の津波が押し寄せる。
剣を振るにも数コンマの時間を要する。勇者の迎撃は間に合わない。後は濁った景観を活かして逃げおおせれば俺の勝ちだ。
勇者が身をひるがえして両手の剣を掲げた。黄金を帯びた剣身がそのまばゆさを爆発的に向上させる。
光の柱が地面を打って衝撃波をまき散らす。
「オオオオオオオオオオ――ッ!」
雄たけびとともに剣が振り下ろされる。
まばゆさが俺の視界内を金一色に染め上げた。
俺はたまらずぎゅっと目を閉じる。それでも足りずに腕を上げて目を守る。
すぐ近くで爆発音が連続する。万能反射装甲の高出力発動で保有魔力がゴリゴリ削られるのを肌で感じる。
勇者は俺と爆心地の間に立っている。破壊の大半は勇者が受けているはずだ。
なのにこの強烈な反応。聴覚を絶えず刺激する爆音が、森にもたらされた破壊のすさまじさを物語っている。
爆発が止んだ。俺は腕にかかっていた圧力の喪失を感じ取って腕を下げる。
直後強い衝撃が来た。視界内で再び上と下がごちゃ混ぜになる。
背中に硬質な物がぶつかってかはっ、と息がもれた。
万能反応装甲が発動しない。今日までの戦闘が災いして魔力切れを起こしたのか。
俺が魔力切れを起こしても勇者は健在。剣身を染め上げる黄金の光に陰りは見られない。
逃げ、ないと。
そう思っても足は動かない。身体能力を補強する魔法も魔力切れを起こしたらそれまでだ。
だからこれで詰み。俺は人生の終わりを自覚した。
不思議と恐怖はない。
わき上がるのは穏やかな安堵の情のみ。エルフの村周辺で果たせなかった悲願が、今ようやく果たされようとしている。
そう思えば眼前の理不尽も悪くないか。
「何故笑っている」
「さあ。どうして、でしょうね」
体中が痛いのに笑いが込み上げる。
殺し合いには負けたけど、この心持ちはきっと勇者には分からない。この心理的な優位性が可笑しくてたまらない。
だからこれで満足だ。俺はそっと目を閉じる。
軍靴の音が迫る。
後は断罪の剣をこの身に受けるだけだ。
「お待ちください!」
通った声が張り上げられて俺は目を開ける。
女性の声だ。どうしてこんなところに。
声が上がった方角に振り向くより早く、俺の視界内に華奢な背中が映る。
さらっとした長髪が揺れた。
ルビーを溶かして固めたような髪に白磁のような肌。籠手などの防具や鞘に収まった剣が見られるものの、お嬢様然とした品の良さを隠し切れていない。
美しい。人間相手にそんなことを思うのはいつぶりだろう。
「誰だ君は」
勇者が足を止めて少女を見すえる。
下手なことを言ったら斬り伏せられそうなプレッシャーを前に、少女が物怖じせず声を発した。
「名乗りが遅れました失礼を。私はロールレイン伯爵家嫡女、レベッカと申します」




