いやいやいやいや、ってなる話
自分は、文法に厳しいってほうじゃない。
言葉の乱れが!と、目くじらをたてるほうでもない。
いわゆる若者言葉だって、残っていくものと消えていくものがあるわけで。
残っていくものってのは、なにかしら意味があると思うんだよな。
使い勝手がいいとか、男女性別に関わらないような汎用性とか。
結局、需要がなければ消えてくし、食われてしまう言葉ってのもある。
たとえば有名どころで言えば「新しい」って言葉。
元は「あらたしい」だったのが、今じゃ「あたらしい」となってる。
言いにくさとかで、誤用のほうが主流になった結果だな。
言葉ってのは、そういうもんだと思う。
思うが、しかし。
現状、まだ主流になってないものは、誤用だ。
主流になってからにしてくれって感じなんだよな。
最初に書いたけど、さほど文法に詳しくもない。
だから、完璧だとは言わんよ。
自分なんかは「すいません」ってのを使うことはある。
キャラクターの個性として、あえて「すみません」ではなく「すいません」
そう言わせていたりする。
けど、そういうことではなく。
いくつかは、耳にするだけで「いやいや」となるものがある。
それが、活字となると「いやいやいやいや」ってなってしまうんだよな。
間違えをしてはならんのだ!
え? ぇええ? いやいやいやいやいやいやいや。
なりませんか? ならない?
自分は、めちゃくちゃ、なる。びっくりする。
間違いをしてはならんのだ!
間違えてはならんのだ!
いや、もう、このどっちかだと思うんだが。
なんじゃ「間違えをする」って、ってなる。
これね、テレビとか見てるとアナウンサーもコメンテーターも使うのさ。
聞くと、ついテレビに向かって「いやいやいや」って突っ込んでしまうのさ。
でも、まだ音声だから流れていくし、聞き流せる部分もある。
これが、活字となるともう。
しかも、繰り返し、そういう台詞とか地の文が出て来るともう。
何回「いやいやいやいや」って言えばいいのか、と。
読み流せと言われても、それは無理だ。
どうしても、つっかえてしまう。突っ込まずにはいられない。
なぜに、明らかに途中切れ感のある「間違え」を名詞扱いする?
文法とか意識しなくても、気持ち悪い感じしないのかと不思議になる。
「間違えがあったら言ってください」とかさぁ。
「間違いがあったら言ってください」
「間違えていたら、言ってください」
どっちかにしてよう。
「間違え」は他動詞「間違える」の連用形だとか。
そういう文法の話は、この際、どうでもいい。
でも、言ったり書いたりしている時に「なんか違う?」と感じてほしい!
据わりが悪い、くらいに思ってくれ、頼む!
これ、本当に、毎回、突っ込んでるからね。
いやいやいやいやいやいやいやって。
いくら言葉が変化していくものだとしても、微妙なものってあるんだよ。
単に、若者言葉だとか、新しい言い回しだとかでスルーできないものが。
それでも、突っ込まずに、無理やりなんとか我慢してるものもある。
「ひとだんらく」だ。
もお……「ひとやすみ」と、ごっちゃになってるじゃーん。
「一段落」って書いてあったら「いちだんらく」って読むよなぁ。
「ひと段落目の始めに書いてあります」なんて言う? 言わんでしょ。
段落を数えるなら、いち、に、さんって数えるでしょ。
※「一段落ついたので、一休みしよう」これ、どう読む?
「ひとだんらくついたので、ひとやすみする」微妙じゃないか?
「いちだんらくついたので、ひとやすみする」据わり良くない?
けど、もう、これはいいよ……突っ込まないでおくよ。我慢するよ。
わざわざ「ひと段落」って書いてる小説もあるくらいだし。(プロ作家の本)
てなわけで、なるべく自分は、間違えをしないようにしよう。
いやいやいやいや。




