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第二十九話

 私たちは、沈黙を保ったまま特別棟の屋上に向かった。朝練をしている野球部のかけ声が、やけに大きく聞こえた。

 屋上の扉を開けると、夏の生ぬるい風が頬を撫でる。吹いてくる風が、気持ちわるい。屋上には、私たちのほかにだれもいなかった。いまはまだ始業前で、朝練をする部活熱心なひとたちだけが学校に集まっているのだし、そもそもこの季節の時間にわざわざ生ぬるい風を浴びに来るもの好きなんか、いないのだ。

 私は、フェンスから両腕を出して、校庭を見下ろすような姿勢を取る。武はフェンスに背中を預けているから、私たちはべつべつのところを見ているということになる。

 ふう、と息を吐く。この生ぬるい風と私の吐き出す息の温度は、およそおなじくらいだと思った。

 空は、白とも青ともつかずぼやけている。

「なあ、やよちゃん」

「んー?」

「ちょっとは、すっきりしたかー?」

 講堂を抜け出してきて、ということだろう。

「……んー」

「やよちゃんが、あんなに感情的になるなんて、珍しいよな」

「そっか」

 私は、感情的になっていたのか。

 じぶんでも、じぶんを、抑えられなくなる。

 そういうことが、感情的になる、ということなのか――。

 武は、言う。

「やっぱりさ」

「うん」

「親父さん、殺さないと、駄目だよ。やよちゃんはずっと、苦しみ続けることになる」

 ひやっ、とした。

 私が悩んでるのは、それじたいじゃなくって。

 それをやってしまっていいのかという、ところなのに。

「……でも」

「でも、じゃなくってさ。やよちゃん」

 武のひとみは、どこまでもまっすぐで――。

「やよちゃんは、やよちゃんの親父さんを殺さないと、駄目だ」

「どうしても、かな」

「どうしてもだよ。具体的な計画がないから、やよちゃんも怖じ気ついちゃうのかな……。よし、やよちゃん、こうしよう」

 武は、言う。

「計画を、立てるんだ」

「計画?」

「そう。やよちゃん、親父さんを殺せそうなチャンスって、いつ?」

 私は、考え込む――ふりを、する。

 そんなの、とっくに、うかがってあった。だってあの親がいなければいいというのは、私の夢でありひとつの妄想だったのだから。

 しかし、はたして、言っていいのか。

 言ってしまったら、すべてがはじまりそして終わるのではないか――。

 そう思いながらも、私は。

 たっぷりの間を置いてから、決心して、答える。

「……うん。今月の旅行のときだと、思う。お母さんとふたりで、一泊二日で行くんだって」

「なるほどな。どこへ?」

「県内の、山へ。山奥に、小さな別荘があるから、そこに泊まるんだ」

「山奥、か」

 武は、含みのある言いかたをした。

「たしかにそれは、絶好の場所かもな。なにかしても、ばれにくい。すぐに助けが来ることとか、なさそうだな」

 助け――。

 その、生々しい響きに、私はまた怖気づきそうになったけれど。

 首を横に振って、その気持ちを追い出そうとする。

 こわいよ、それは。こわい。でも、あの男はほんとうに最低じゃないか。子どもを守るという最低限に義務すら果たさないあの男は、死んで、当然なんだから――。

 武は、そんな私に、言った。

「やよちゃん。その別荘って、木造?」

「え、うん、木造の二階建てだけど」

「……火だな」

「えっ?」

「放火だ。火をつけて、その家を燃やすんだ。やよちゃんにそんなことしたやつには、そのくらいがお似合いだろう――なあ?」

 私は、とっさに想像した。

 あの男が、業火に焼かれているところを。

 そんなことを思った瞬間に、すこしでも、罪悪感とか恐怖とかをおおえればいい、と思ったけれど。

 そんな気持ちは、正直なところ、微塵も湧いてこなくって。

 私は、むしろ戦慄した。

 じぶんはこんなにも、あの男を憎悪していたのか、と――。

 武をはそんな私の気持ちを見抜いたかのように、言う。

「やろう」

 私が武のほうを向くと、武は手を差し伸べてきた。

「だいじょうぶだ。俺たちなら、やれる」

 私は、その手を取って――。

 ああ、いよいよ、取り返しがつかない、と思った。

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