第二十八話
ひとを殺すと決心した次の日にだって、日常というものは存在するのだ。
講堂で、私たちは演劇部の朝練をやっていた。たまたま私が出るシーンではなかったので、私は椅子に座り、ぼんやりと舞台の上を見つめていた。稽古は、滞りなく進んでいるらしい。
こんな、平和な日常にも。
もうすぐ私は、いや、私たちは、別れを告げなければならないのか……。
そんなことを考え、だれにも悟られてはいけない胸の重みを感じているときだった。
「やーよいっ」
景子がやって来て、するりと右隣の席に座った。私の顔をまじまじと覗き込んで、言う。
「なんか難しい顔してるにゃー」
「……そう、かな」
「なんでだ? 中野先輩とは、仲直りしたもんね?」
「仲直り、っていうか……それより。なんで知ってるの?」
「そんなの見てればわかるぞー」
景子は、けらけらと笑う。
この友人は、へらへらとしているようでいて、意外と、ちゃんと見ているんだから――。
私はしかし、なにも言わない。いま、なにかを喋ってしまえば、すべてぶちまけてしまいそうで、こわかった。
景子は真顔になって、私を見つめている。
「弥生はなー、いつもそうなー」
「えっ?」
「んーん、私にはよくわからないけどさっ。ねえねえー、むっちゃんー!」
いつのまにか休憩に入っていたらしい舞台上に、景子は手を振る。むっちゃんは、なあにー、と言いながらこちらに歩いてくる。
「弥生がこんなんだからさー。弥生と私と、元気なことしよっ」
むっちゃんは、回り道をして、私の左隣に座った。
「こんなん、って? 弥生、どうしたの?」
「弥生の景気がわるいのだよー」
「そうなの? 弥生、だいじょうぶ?」
「元気なことすれば元気になるぞよっ」
私は、親切なこのふたりの友人の狭間で。
気持ちわるかった。
友人を思いやれるほどの余裕に溢れたこの子たちが、なんだか、憎くって――。
「……ごめん、ちょっと」
呟くように言った私の声は、とても小さかった。
「ちょっと、いいかな……」
なにが、いいかな、なのかはじぶんでさえわからなかった。ただ、席を立ちたいのは、事実だ。
「弥生? ほんとに顔色よくないねー?」
「無理しないで、つらかったら保健室に行ったほうがいいよ」
ただごとじゃないようすを察したのか、陸くんまでやって来た。
「どうしたんだよー? らしくねえぞ、だいじょぶか?」
ああ、優しい。
ひとを殺すことを決心したという私の本性なんか知らずに、この子たちは、ほんとうに優しい――。
私は、こころのなかだけでその名を呼ぶ。
……武。
後ろを、振り向く。稽古に参加することも佐藤くんや志乃ちゃんと戯れることもなく、きょうの武は、いちばん後ろの席でじっと腕を組んでいる。
「ごめん、ちょっと、私」
私は立ち上がり、景子の脚をまたいで、その場から抜け出した。
景子とむっちゃんと陸くんは、心配そうな視線を私に送ってきたけれど、私は、ふっ、と目を逸らした。
そして、俯き加減に、赤い床を踏みしめ向かう。
武のもとに。
私の、ゆいいつの共犯者のもとに――。
武は物憂げに顔を上げて、しかし、小さく頷いた。
「ここじゃ、ないかも」
伝わるかどうかわからないけれど、私は、言う。
「私が、いま、いたいの」
「……やよちゃん。俺も、考えてたことがあった」
武は、静かに立ち上がった。
「行こう」
背後では賑やかにみんなお喋りしていたけれど、私たちは、きょうだけはふたりで講堂を抜け出してもからかわれなかった。




