第二十三話
電柱で待ち合わせたのは、このときがはじめてだった。
俺は、女の子を夜にひとりで待たせるなんていけない、と思って、駆け足で来た。無事先に到着することができ、弥生は五分くらい経ってやって来た。
ハートの描かれた白いTシャツにジーンズ、そしていつも通りの短い髪に真っ赤なりぼん、というシンプルだが気の強い弥生の私服は、俺の気持ちを煽った。
制服って、やっぱ胸を隠すんだな。発育いいな、ほんとに中一かよ。
『どうしたの武くん、なに見てるの』
『なんでもないよー。行こっか?』
見惚れてた、とはさすがに言えなかった。
川沿いを散歩しよう、とふたりで決めていた。だから、向かうは、駅を越えて俺たちの学校までも越えて烏川――。
並んで歩きながら、とりあえずは他愛ないことを話す。
『けっこう学校まで遠いけどさ、慣れた?』
『とっくに。それに、烏川のほうが遠いじゃん』
『たしかになー、それもそうだ』
『そうだ。武くんに訊こうと思ってた』
『なにー?』
『やっぱりあの学校の子たちって、みんな体育であれやるの?』
『あれって、どれ?』
『観音山のふもとまで走らされるやつ』
『あー、やったなー、やったよ。っていうか毎年やるぜ、あれ』
『そうなんだ』
『弥生ちゃん、体力ありそうじゃん。だいじょぶだよ』
『筋肉質だからね』
『そう?』
『そう』
スリムでいいじゃん、とは言えなかった。
市街地を歩く。花の模様の描かれたコンクリートの道に、音符のかたちをしたモニュメントに、さらさらと流れる用水路。車通りはまあまああるが、人はほとんど歩いていない。ときおり車のライトに照らされて、夜の散歩というのは、いつも不思議な気持ちになる。
『観音山まで体育で走ったとき、景子とむっちゃんと話したんだ』
『うん』
『武くんって言うわりにあんまり夏美先生に熱上げてないよね、って』
そりゃまあ、単なる憧れだったわけだからな。中一でその洞察力、さすがに女子というのは恐ろしい。
『でも、そういうわけだったんだね』
弥生はそう言うと、照れたように笑った。
大きな公園のそばを抜けて、烏川のそばに出る。夜空には星が光っていて、きれいだ、と素直に思った。川と合わせると、一枚絵のようなこの景色を見て、俺は、驚くほど穏やかな気持ちでいるじぶんに気がついた。告白の返事を待っているときなんか、もっと緊張してもよさそうなのに。
こちら側には落ち着ける場所がないので、とりあえず、橋を渡ることにした。夜風が、気持ちいい。
弥生は言う。
『懐かしいな、烏川』
『懐かしい? 近所だろー』
『そうなんだけどさ。用がなければ、来ないじゃん』
『たしかになー』
『むかしは、よく遊んだんだよね。秘密基地ごっことかしてさ』
『秘密基地ごっこって、基地つくったり、戦ったりするあれ?』
『そう。私たちは、そんなに戦いはしなかったけど』
『弥生ちゃん、遊びがけっこうワイルドだなー。女子なのに』
『女子だって秘密基地ごっこくらいするよ。武くんは女子に夢をもちすぎだと思う』
ある意味では、そうなのかもしれない。なにせ、女子とこんなにじっくり接触したことなんて、いままでほとんどなかったのだから。
『でも、さいきんは、ほんとに来なかった。用もないし。ひさしぶりだな』
弥生は呟くようにそう言った。
橋を渡り終え、土手に向かう。もう夜だが、犬の散歩をしたりランニングをするひとたちが、ちらほらといる。
『座りたいな』
『ベンチがないなー』
『草の上でいいよ』
弥生は、草むらに下りた。俺もあとに続く。そしてほとんどおなじタイミングで、ぺたりと座り込む。
隣に座る、弥生。近くで見ても、肌がつやつやしてて。それに、シャワーでも浴びて来たのか、せっけんのようないい匂いがする。
弥生は、ふと、笑った。体育座りの腕に頭を乗せ、俺を見上げている。
『武くんも、やるよね』
『えっ、なにが?』
『私なんかと、デートするなんてさ』
『弥生ちゃん、デートなんて慣れてるだろー』
俺は、期待と不安を込めて、あえて軽い口調でそう言ってみた。
『慣れてないよ』
当たったのは――期待、のほう。
『私、彼氏いたことないし』
『意外だなー。弥生ちゃんだったら、ふつうに百人斬りとかできそうだけど』
『なにそれ。そんな趣味ないし。っていうか私、三月まで小学生だったんだからね』
『いまどきの小学生は進んでるなー、みたいな?』
『なに、それ』
弥生は、おかしそうにそう言った。
すこしの、沈黙。弥生をうかがい見ると、唇を結んでなにかを考えているみたいだ。
『……武くん。武』
ふいに呼び捨てにされたことに、どきっとする。
『なに?』
『答え、聴きたい?』
挑発的とも取れるせりふを言う、弥生のひとみは。
しかし、不安そうだった。
俺は、深呼吸してから言う。
『聴きたい。聴かせて、ください』
『うん……』
弥生は、俺を見つめたまま――すこしの間を、置いて。
言った。
『ありがと』
弥生は、小さな声で、でもたしかにそう言った。
『私を選んでくれて、ありがと』
『弥生ちゃんは、魅力的だかんなー』
月並みなことしか言えないじぶんが、いまだけは、もどかしい。
弥生は、首を横に振る。そして、夜空を見る。
『私、じぶんに自信、ないんだよね』
『まじで?』
『そんなに驚かないでよ。ほかのひとには、ぜったいに秘密だかんね。志乃ちゃんにだって、言ってないんだから』
『それは……すげえ秘密だ』
『うん。こわいものがないっていうのも、嘘』
『まじでか?』
『ほんと。嘘ついて、ごめん』
弥生はもういっかい俺のほうを見て、言う。
『それでも。私のことが、好き?』
『――好きだよ』
『そっか。私もね』
弥生は、いっそ、泣き出しそうな声で言う。
『私もね、武のことね、好きだよ』
弥生が、この、強がりで強いひとが。
愛しくって。
あまりにも、愛しくって。
俺は――。
ほとんど衝動的に、弥生を抱きしめていた。
弥生が息を呑んだ気配がするけれど、回した両腕が押し返されることはなく、弥生もおそるおそるといった感じで、俺の背に片腕をそっと乗せた。
『嫌じゃ、ない?』
『うん。嫌じゃ、ない』
『そっか』
弥生のぬくもりが、伝わってきて――。
俺は、力を込める。込めてしまう。華奢なこの身体が壊れなければいい、と思いつつも。
『こわいことなんて、あるよな』
『うん』
『でもな、もう、だいじょうぶだ』
『……そう?』
『俺が、守る』
俺は言う。言い切る。
『やよちゃんに、なにがあっても。やよちゃんの敵がいたとしたら、俺は、全力でやよちゃんを守る』
『ほんとに?』
『ほんとに』
弥生の熱い呼吸を、感じる。
きっと弥生も、いま、俺の呼吸を感じている。
弥生、弥生。
強がりで強い、俺の。
俺の、愛しいひと――。




