第二十一話
弥生は、俺が高校二年生のとき、つまり去年の春に入学してきた。そして、姉の志乃ちゃんがいるという理由で、演劇部に入部してきた。
弥生が、景子、むっちゃん、などと呼んで親しい遠藤景子や田端睦美もいっしょに入部してきたが、俺は最初から、弥生に注目していた。
なにしろ、弥生はかわいい。少し濡れたような、こちらを睨みつけるような黒目がちのひとみが最高にそそるし、スタイルも抜群にいい。でも、それだけではなかった。かわいい、という観点から言えば、遠藤や田端もそれなりだった。でも俺は、弥生だった。断然、弥生だった。
弥生はもの怖じしなかった。
年上でなおかつ初対面であるはずの俺や佐藤にも平然と接してきた。敬語をつかう気はないらしく、年上の俺らのことをちゃんくん付けで呼んだ。
俺はそれまで、自分は年上が好きなんだと思っていた。保健室の先生みたいな、ちょっときつめだけれどなんだかんだで優しい、そんなおとなの女性が好きなんだと。じっさい俺は、保健室の夏美先生に恋していると、そのとき冗談みたいに公言して憚っていなかった。
でも。
俺は、そのときはじめて。
それは、単なる憧れだったんじゃないかなんて、思って――。
初対面の日、いつもの講堂で、俺は弥生にこう訊いたことをよくおぼえている。
『あのさ、神崎さん?』
『なに?』
『こわくないの?』
『なにが?』
『俺ら、いちおう先輩なんだけど』
『なんでこわがる必要があるの?』
弥生はそう言うと、笑った。
『私はこわいものなんて、ないよ』
俺は、そのとき。
すごいなあ、と思った。
凛としている、という描写とか、漫画やライトノベルではよく見たけれど。
現実に、いるもんなんだなあ――。
俺は佐藤に付きまとって、どうにか弥生の情報を引き出そうとした。いや、正確には、佐藤のそばにいる志乃ちゃんが情報源として目当てだったことは否めないが。
講堂で、佐藤と志乃ちゃんと、こんなことを話したこともある。
『中野先輩はロリコンなんです?』
『違うだろ! ロリコンだったらむしろ志乃ちゃんを狙うって、なあ佐藤?』
『……それは俺としても聞き捨てならないですね、ですよね志乃さん』
『まあ、佐藤先輩はちょっとロリコンっぽいですけど。私と付き合ってる時点で。それで、私はどうすればいいんです?』
『弥生ちゃんのいろいろ、教えてよ。スリーサイズとか』
『……そんなの知らないです』
『じゃあ、メアドとか! なっ、お願い志乃ちゃん!』
『弥生ー』
あろうことか志乃ちゃんは、遠藤や田端と戯れている弥生を、呼んだ。
背すじを伸ばした歩きかたで、こちらにやって来る弥生。
『なに?』
『なんかね、このひとが。中野武先輩が、弥生のいろいろ知りたいって』
『いろいろ?』
訝しげな視線を、弥生は俺に送ってくる。
『なんでもないよ! 弥生ちゃんっ、ほんとっ、なんでもないよ!』
『いろいろって、なに?』
『スリーサイズとかメアドとか』
『ちょっ、志乃ちゃん』
『でもさ』
弥生は、きょとんとした顔で言う。
『武くんって、夏美先生が好きなんじゃないの?』
『よくそこまで知ってるなー、弥生ちゃん!』
『だってものすごい噂だよ。景子もむっちゃんも言ってたし。もしかして』
弥生は、少しだけ首を傾けた。
『武くん、私に恋愛相談?』
なんで高校二年生が中学一年生に恋愛相談をしなくっちゃいけないんだよ。
こころのなかで全力で突っ込みつつ、俺は現時点でけっして弥生の恋愛対象ではないんだなあ、ということが露呈してしまって、少しへこんだ。
『いいよ。恋愛相談。乗ってあげる』
そういうわけでメールアドレスは交換できたが、俺は少し憂鬱になっている。
佐藤は俺の肩を叩いて、言った。
『これからですよ、中野くん』
そうか、これからか――。
道のりは遠いな。