第六章:黄金が蝕む白 03
大聖堂の内部は予想以上に静寂に包まれていた。外の戦闘音が嘘のように遠く、厚い石壁が音を遮断している。
祭壇は無人だった。
「もう進んでいる」
レセナが"感覚"を広げる。地下への階段の奥で、施術の気配を感じ取った。
「地下で戦闘中」
ヴォルトの表情が険しくなる。
「急ぐぞ」
二人は祭壇の裏手にある隠し扉を見つけた。石造りの重厚な扉が開け放たれている。
階段を下りていく。湿った冷気が肌を刺し、足音が石の壁に反響する。下の方から僅かな物音が響いている。
地下は福音伝達者が瞑想に使う神聖な場所だった。だが、今は異様な緊張感に包まれている。
最下段に辿り着いた瞬間、対峙の様子が目に飛び込んできた。
瞑想場の端で、黒髪の女性が扉を背にして立っていた。黒いヴェールで顔を隠した淑女は、ローザンヌ修道騎士会のカルラだ。その華奢な体躯からは想像もつかない威圧感を放ちながら、一歩も退こうとしない。
カルラの前方に、浮浪者然とした男ゾルデと美しい少年エミールが立っていた。
カルラがレセナたちを一瞥する。
「やあ、ふたり目の福音伝達者」
エミールが振り返る。その美しい唇には、愉し気な笑いがあった。
「この女、頑なに奥の扉を守っているんだ。一言も喋らないし、どけと言っても動かない」
エミールの視線がカルラの背後の扉に向く。
「きっと大切なものがあるんだろうね」
ゾルデが荒い息を吐く。体中に酷死天使の制御による反動が出ているようだ。
「もう問答は無用だ。全て食らいつくす」
ゾルデの手から黄金の光が溢れ出す。酷死天使が瞑想場に解き放たれた。人を食う天使がカルラへとその身を伸ばす。
カルラが無言のまま構えを取り、なにを考えているのかそのまま酷死天使へ突っ込んだ。
エミールが一歩下がった。天命体系の使い手として、何かを察知したのだ。
カルラが伸ばした拳が床に触れる。
瞬間、石造りの厚い床が轟音と共に吹き飛んだ。粉微塵になった砂が宙を舞う。金色の天使をまとったカルラは、しかし、傷ひとつない。
ゾルデの顔が青ざめる。エミールの美しい顔に、初めて狼狽の色が浮かぶ。
「は? 触れただけでそれ? ありえないでしょ」
エミールの声が震えていた。同じ体系だからこそ理解できるであろう、カルラの異常性。
「化け物か」
レセナは状況を把握した。カルラが酷死天使を無効化している。天命体系同士の相性なのか、それとも彼女の異常な身体能力によるものなのか。
「ヴォルト、ゾルデを」
レセナの指示に、ヴォルトが黒剣を抜く。対極剣の拒絶の力が、瞑想場の空気を震わせた。
ゾルデが反応する。荒い息の中から、憎悪の声が漏れる。
「来たか、対極剣」
ゾルデの手から、更に多くの酷死天使が解き放たれる。黄金の光が瞑想場を満たしていく。
だが、カルラは動じない。
ヴェールから半月の笑みが透ける。カルラがその場で親指を弾いた。
ゾルデの身体が壁に叩きつけられる。浮浪者然とした男が、血を吐いて倒れ込む。
「はあ? でたらめだろ!」
エミールがうめく。
カルラは右の親指を弾いただけだ。まるで、コイントスでもするように。それだけで、延長線上にいたゾルデを吹き飛ばした。意味が分からない。肉体の力が人間の限界を軽く超えている。
くつくつと、エミールが哄笑する。
「いくら天命体系でも、これは耐えられないよね!」
エミールが目を見開く。
異様が走った。
カルラの動きが止まる。足首が石になっていた。しかも、その石は淑女の足元から身体を浸蝕していく。
ヴェールから覗くカルラの口元には懸念。石化した足に天命体系の力を集中させているが、解除には時間がかかりそうだ。
「よくやった、エミール」
ゾルデが壁から身を起こす。血を拭いながら、憎悪を燃やして立ち上がった。
エミールがゾルデに向かって走る。
嫌な予感。
「ヴォルト! こっちに!」
エミールに向かおうとしたヴォルトが即座に後退。
レセナは汎用結界《聖域》を展開。半球状に覆われた青白い燐光が、二人を囲う。紙一重の差で、再び世界に異常な鼓動が生まれる。
壁を背にしたエミールが、黄金に光る瞳を虚空へ向けている。
嫌な予感しかしない。
「さすが福音伝達者。気づかれたかな?」
カルラを見る。石化速度が上がっている。いまや下半身すべてが石に覆われ、両手が石化しつつあった。
「視界全体の生物の石化……」
レセナの頬を汗が伝う。身体全体が重い。エミールの石化施術が外圧を加えていた。天命体系ではないレセナたちが、結界を解いてエミールの視界に入れば即石化だ。
「ご名答。ローザンヌすら抗えない……はずだったんだけど、この女は耐えてるみたいだ。やっぱ化物だね」
エミールが両手を広げて笑う。黄金に輝く瞳は、しかし、血を流している。
当然だ。視界内の生物の身体に直接施術を流し込む超高位技法だ。長時間続けるのは自殺行為。こちらも結界維持で動けないが、エミールも石化維持で動けない。耐えきれば勝てる。
だが、レセナの勝算を笑うように、エミールはさらに一手を加えた。
「じゃあ、ボクたちはそろそろ行かせてもらうよ」
黄金の瞳に指示式が宿る。瞳から黄金の光が抜け出し、宙を浮かぶ。たゆたう光が、部屋の中央に到達。
光が灯となって部屋を黄金に照らす。
相手の施術を瞬時に把握する。術者を離れての常時展開。与えられた力が尽きるまで、石化の光をまき散らす災厄だ。
「打つ手はあるか?」
ヴォルトが落ち着いた口調で問いかける。
「ある!」
レセナは結界を追加する。目標は部屋中央上部に浮かぶ石化の光。災厄を囲うように結界を展開。すぐに破壊される。ならばと、三重に発動。身体中が焼き切れる痛みが襲うが、気合で堪える。
二人を囲っていた結界を消す。
「ヴォルト!」
言わなくとも、ヴォルトは疾走していた。勢いのまま跳躍し、光を囲う三重結界に黒剣を振り抜いた。くず紙のように真っ二つになった結界は、光ごと淡い光となってこの世から消えた。
膝が折れて、レセナは思わずその場でしゃがみこんだ。
前日から施術と感覚を乱用しすぎだ。頭痛が止まらない。それでも、荒い息を吐きだしてなんとか立ち上がる。
「奴らは先に行った。俺らも行くぞ」
「待って、カルラは」
レセナの瞳がカルラの姿をとらえる。酷死天使にまとわりつかれたカルラの石化は、首まで迫っていた。だが、ヴェールの奥に見える表情には焦りがなかった。
カルラが顎を空いた扉へ向ける。ふたりで行けということだ。
カルラほどの超高位の天命体系なら、完全に石化する前であれば自力で解ける。下手に対極剣を使えば、石化の対抗手段である施術も消え、どうなるか分からない。
こうなれば、カルラはそのままにするしかない。無傷でたえられると信じる。
「行こう!




