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福音伝達者は神にならない  作者: ユーカリの木
一部:死を告げる天使
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第四章:奈落への転落 04

 古びた小屋の中で準備をしていたフード姿の少年は、そのとき、空気の振動を捉えた微かな声を聞いた。波動体系による遠隔通信――ジーネからの報告だった。内容を確認した少年の身体中から、黒い影が這い出していくようだった。


「嗅ぎつかれた? ふうん、勘がいいのかな」


 傍にいたゾルデが少年を見る。少年は、白々しいほど整った顔を愉快そうに緩めていた。


「この先の計画まで暴かれるとは思えないけど、少しやんちゃしすぎだね。計画を早めよう」


 少年の声が、一瞬だけ冷たく変わった。


「ジーネ、ニーナ、次段階へ移行。ロザリロンド以外はそうだね、殺していいよ。計画通り進んだら目標地点で待機。よろしくね」


 空中に指で文字を描くような仕草で、少年が双子に指示を送る。波動体系の遠隔通信で、瞬時に命令が伝達されていく。


「何があった?」


 ゾルデの問いに、少年が振り返る。


「ジーネからの報告では、研究所にローザンヌが入り込んだ。それだけなら予想範囲内だけど、どうやら目的に気づかれたみたいだ」


 少年の表情が僅かに険しくなる。


「双子が現地で観察していたんだけど、あのレセナ・グランジャの呟きを拾ったそうだよ。"福音伝達者が狙われてる"ってね」


 ゾルデの眉間には怪訝。


「なぜ分かった?」


「さてね。因果体系の施術士だったりするのかな? ははッ、殆ど絶滅しかけてるって聞いてたけど、十二氏族の出なのかな。まあ、国家転覆なんて、分かりやすい目標だからね」


 少年が、ぼとぼとと滴る雨水のように笑みを零す。


「ここからは少し綱渡りだね。手綱を放さないようにしなきゃならない。ホント、“人”を操るのは大変だ」




 ◇◆◇




 そのとき、レセナの視界いっぱいに殺意が映った。福音伝達者としての感覚が、通常人が知覚し得ない、針の先ほどもない人の悪意を鋭敏に捉えたのだ。


 それは、死神の羽音が聞こえるような恐怖だった。


「来る。査問法院じゃない。ロザリロンド、ヴォルト!」


 戦いに身を置く二人の反応は早い。即座に双剣を抜いたヴォルトはレセナを守るように仁王立ち、ロザリロンドも一歩踏み込んだ姿勢で迎撃態勢に入る。


「騎士団の、施術が使えん以上前衛はお前に任せる! 公安、戦えぬなら下がれ! 来るぞ!」


 廊下の先、窓から伸びる月光に突如二つの影が現れた。疾風が駆け抜ける速度で影が飛来する。ヴォルトが走った。その様を捉えた影二人が、戦うには手狭な廊下の床を蹴り、宙に舞う。


 ヴォルトの右首筋、左脇腹へ、背から抜いた白銀を振り落とした。剣戟が響く。ヴォルトが左右の剣で受け止めていた。


 影二人が反動を利用して一度後退。床に足を着けると同時に今度は左右に分かれて肉薄する。横殴りの驟雨のように、影二人が猛烈な突きの連打をヴォルトに浴びせる。


 突きを捌ききったヴォルトが、裂帛の気合と共に剣を横一文字に走らせた。確実に胴体を捉えられていた影が瞬時に反転、背後に隠れていた影が入れ替わるようにしてヴォルトの一撃を受け止める。


 そのまま流れるようにして壁へと跳躍し、これを足場として天井へ着地。更に跳躍して天井から一気にヴォルトへと迫る。同時、先に後退していた影が這うように上体を落として下段からの猛烈な斬り上げを開始する。


 上下から迫る斬閃に怯むことなく、ヴォルトが前傾姿勢気味に下段からの斬り上げを左で弾き、腰の捻りのまま天井からの斬り下ろしを右で受け流す。流れるように反転、強烈な回し蹴りを下段の影に叩き込む。


 ヴォルトが反転と同時に後退、剣先を双子に向けたまま間合いを取り直す。


 双子が無言のまま体勢を立て直す。機械的な動作に一切の隙がない。


 狭い通路という悪条件、二対一という劣勢。それでも、王立騎士団で鍛え上げたヴォルトの剣技は決して劣らない。


 ヴォルトの右手が剣柄を握り直す。左手の剣が月光を捉えて鈍く光った。


「殺すなよ。こいつらは"黒"だ」


 外套の内側に右腕を突っ込んだロザリロンドが静かに言う。後ろ髪が散り尽き燃えるような殺気が研究所の廊下内に漂い始める。


 月光が陰る。


「はっ!」


 微かに笑ったヴォルトが大きく踏み込んだ。


 再び死の舞踏がはじまる。


 レセナは何とかしてほしいと、ロザリロンドを見る。彼女もこの状況に焦れているように頬に汗を垂らしていた。


 ロザリロンドは施術士として、世界でも最高位の実力を持つが、施術をまともに使えずこの狭い戦場では実力が出せないのだ。


「この条件下でまともにやれるのは奴だけだ。場所を変えればやりようがあるが、このままだといずれ殺られる」


 戦場に身を置くロザリロンドの考えは正確だ。短いやり取りの中で、ヴォルトは押されていた。そもそも、二人を同時に相手にし、それでも持ち堪えている彼の実力が凄まじいのだ。


 ロザリロンドが動いた。外套の内側に突っ込んだ右手を振るう。風鳴りがすると同時に、影の一人の動きが不自然に止まった。目を凝らすと、闇に同化するほどのか細い糸が、影の足首に絡みついていた。戦闘機動を取る敵の機動部分を正確に狙う神業だった。


 ロザリロンドが大喝する。


「斬れ!」


 そのとき、糸に絡め取られた影の身体が僅かに"揺れた"。隙を逃さずヴォルトが踏み込みと同時に右の刃で横薙ぎ一閃。巨大ナイフを弾いて、空いた胴へ左の剣を滑り込ませた。胴体を真っ二つにする鋭い軌跡が描かれる。


 直後、ヴォルトが即座に後退した。"胴体を切られたはずの影が、何も無かったように無傷で突っ込んで来た"のだ。左右から迫るナイフの斬閃を紙一重でかわすヴォルトの背には、レセナにも分かるほどの驚愕が滲んでいた。


「波動体系の波動化か。イヴ以外で使い手を見るのは初めてだ」


 糸を戻したロザリロンドが感嘆を示す。波動化などレセナは知らなかった。現存する施術体系で十二、そこから更に各体系ごとに無数の施術理論があるのだ。いくら元研究者といえどすべては把握していない。


「どういうこと?」


 ミハエルが説明を引き継ぐ。


「攻撃を無効化する超高位の防御施術ですよ。一時的に術者を波と同質にし、攻撃を透過させます」


「登録されてない施術ってことだね」


「ええ」


 かろうじて保っていた均衡が崩れる。


 明確にヴォルトが押されだした。二人の影が連携攻撃をヴォルトに一方的に浴びせる。隙を拾って返す剣で切ろうとも、波動化により影はすり抜けてしまう。


 こうなればロザリロンドの決断は早かった。


「転移の準備をしろ、隙を見て離脱するぞ」


 レセナはすぐに転移施術の準備を始める。傍らに立つロザリロンドは、苦虫を潰した顔で右の手を宙へ向ける。


「業腹だが、やるしかあるまい」


 ロザリロンドの手のひらに炎が生まれる。炎はすぐに卵となった。


 レセナの頬に嫌な汗が流れる。この炎は、レセナが知る施術ではない。手のひらに収まる程度の炎の卵が、ありえないほどの熱を秘めているのが"感覚"できた。輻射熱すら完全に封じ込めているため、毛ほども熱を感じない。恐ろしいほどの施術制御力だった。


 それは、太陽を手のひらに宿したような、圧倒的な破壊力の予感だった。これだけで、ロザリロンドが人外の化物であることがわかる。


「何をする気?」


「この区域を滅却する。波動化などさせん」


「この結界で止められるのが落ちだよ」


「枠外だ。それに、王立研究所の結界ごときで止められんよ」


 ロザリロンドの視線がミハエルへ移る。


「公安、見なかったことにできるな?」


「あなた方が得た情報と交換ならば」


 ミハエルが即答。やはりこちらが情報を得たことに気づかれていたようだ。


 ふっ、とロザリロンドの唇が笑みを作る。


「いいだろう」


 ロザリロンドの左手が懐をまさぐり、ひるがえる。闇に同化した糸が、ヴォルトを超えて二人の影を一瞬だけ捕らえる。すぐに糸を斬られる。


 だが、その一瞬で十分だった。


 ロザリロンドの行動だけで次を予想できたヴォルトの足が地面を叩く。一気に後退すると同時、ロザリロンドの右手が唸った。


 炎の卵が放たれる。その瞬間、卵が弾けた。


 眼前に炎が広がる。空間全体を覆いつくしてなお広がらんと、炎が進んでいく。壁や床、窓は炎による影響を受けていない。空間だけに対象を絞った炎が、完璧に制御されていた。


 だが、レセナの感覚が死を告げた。ロザリロンドの施術はこの空間にいる者すべてを焼き尽くす威力だった。


「転移!」


 ロザリロンドが叫ぶ。


 着弾確認など不要だった。レセナが転移施術を起動。


 寸前、ガラスが割れる音を耳が拾った。

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