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浮気旦那の隠し方が完璧すぎたので、こちらも完璧に復讐の準備することにしました  作者: こまめ


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第八章 意外だった探偵

朝帰りの夫を見て、

私の中で何かが死んだ。


怒りはある。

悲しみもある。

ただ愛情だけが、驚くほどきれいに消えていた。



亮平が帰ってきたのは、午前六時四十七分だった。



玄関の鍵が回る音で目が覚めたわけではない。


私は、ほとんど一睡もしていなかった。


ベッドの中で横になり、目を閉じていただけだ。

眠ろうとするたびに、昨夜の光景が瞼の裏に浮かんだ。

薄暗い通り。小さなイタリアンの店先。

待ち合わせた女を見つけた瞬間の、

亮平の顔。ホテルの入口で、その女の背に添えられた手。

そして私のスマホに届いたメール


「今着いた。始まったよ。」

という嘘。その文字を打った時、亮平はどんな顔をしていたのだろう。

隣にはあの女がいて、これからホテルへ入るところで。

妻には、会社の懇親会が始まったと送る。

人は、そこまで平然と嘘をつけるものなのか。

家族を持ったまま。父親の顔をしたまま。

十二年連れ添った妻に、何のためらいもなく。



昨夜まで、私の中にはまだ何かが残っていた。

疑いながらも、どこかで願っていた。

お願いだから、私の勘違いであってほしい。

亮平を完全に見失う前に、

夫婦として話し合える余地が残っていてほしい、と。



玄関の鍵が回る音を聞いた瞬間、

その最後の期待が静かに潰れた。



午前六時四十七分

私はゆっくり起き上がった。

寝室のドアを少しだけ開ける。

亮平は靴を脱ぎ、廊下を静かに歩いていた。

紺のネクタイは緩み、シャツの襟元も少し乱れている。

目元には疲れがあった。

けれど酒に潰れた人間の鈍さはない。

むしろ、満たされた後の気怠さに見えた。



私は胸の奥で、何かが音もなく落ちるのを感じた。



好きだったのだと思う。

それなりにではなく、ちゃんと。

結婚して、子どもを産んで、忙しさに追われて、

恋人同士のような甘さは薄れていったけれど、

それでも私は亮平を家族として愛していた。

この人となら、老いていくのも悪くないと思っていた。



けれど今、廊下に立つその男を見ても、

もう何も温かいものが湧かなかった。



まるで長く使っていた電球が、ある日ふっと切れるように。



一瞬の眩しさもなく、ただ点かなくなる。

怒りはある。悲しみもある。

裏切られた痛みは、体の芯に残っている。

でも、愛情だけが、驚くほどきれいに消えていた。

不思議だった。こんなに静かに消えるものなのかと思った。



亮平がこちらに気づいた。


「あ、ごめん。起こした?」


声は、いつもの夫の声だった。

あまりにもいつも通りで、私は一瞬、この人が本当に

昨夜ホテルへ入った男なのかわからなくなりそうになった。


「今起きたところ」


自分の声も、驚くほど普通だった。


亮平は少し申し訳なさそうな顔を作った。



「昨日さ、結局二次会が長引いて。

途中から取引先の人も合流しちゃって、抜けづらくなってそのまま近くの後輩の家に泊まっちゃったよ」



私は黙って聞いた。



昨夜は「部の懇親会」だった。

深夜には「二次会」。

朝になったら「取引先」まで増えている。


嘘は、帰ってくる頃には少し太る。

足りない部分を補うために、余計な設定を足してしまう。

整えたつもりで、かえって不自然になる。



「そうだったんだ」


亮平は靴を揃えながら、軽く肩をすくめる。


「いや、ほんと疲れた。若いのが帰らないしさ。こっちは途中で帰りたいのに」笑いながら言った。



笑えるんだ。



そのことに、私は言葉にできない衝撃を受けた。

夜通し女と過ごし、朝になって妻の前で、

自分が被害者のように愚痴をこぼし、笑う。

それを自然にやってのける。



本当の亮平は、どんな人間なのだろう。


私が一緒に過ごしてきた十二年の夫は、

どこまで本物だったのか。

子どもたちと遊んでいた父親は。


私が体調を崩した時に買ってきてくれたゼリーは。

誕生日に花をくれた夜は。


全部、嘘ではなかったと思いたい。

でも今、目の前で笑いながら嘘を重ねる男を見ていると、

過去の記憶まで一枚ずつ裏返っていくようだった。



「シャワー浴びて寝るわ」



亮平はそう言って、洗面所へ向かった。


私はその背中を見ながら、初めてはっきり思った。


バカにするな。


妻を何だと思っている。


子どもを何だと思っている。


家庭を、帰るためだけの安全地帯だと思っているのか。



誰かを裏切っておきながら、家族も地位も信用も

そのまま持ち続けられると思うな。

それは、怒鳴り声にはならなかった。

もっと深いところで、冷たく固まった。

私はもう、亮平に「なぜ」と尋ねたいわけではない。

理由を聞きたいわけでもない。謝ってほしいわけでもない。


ただ、事実をすべて知りたい。

知ったうえで、私が選ぶ。

そこに亮平の都合を挟ませるつもりはなかった。



シャワーの音が始まった。

私はキッチンへ行き、湯を沸かした。

朝のコーヒーを淹れるためではない。

何かをしていないと、体の中の怒りが形を変えて溢れそうだった。

豆を挽く音が、静かな部屋に響く。

その単調な音に合わせて、

昨夜の出来事を頭の中で順番に並べていった。



十八時三十四分  会社ビルから一人で外出。

十九時前  女と合流。イタリアンへ入店。

十九時三分  始まったとメール受信。

二十時過ぎ  店を出る。ホテルへ向かう。

二十時三十一分  ホテル入室。メール、一時間以上確認。

翌朝六時四十七分  帰宅。

帰宅後の説明  「二次会が長引き、取引先も合流して近くの後輩の家に泊まる」

これはもう、疑いではない。


少なくとも、私に対して重大な嘘をついていることは確定している。

私は古いスマホを取り出し、麻衣にメッセージを送った。


紗季


今帰宅。朝帰り。懇親会→二次会→取引先も合流して遅くなったから後輩の家に泊まったと言ってる

06:51


麻衣


うそばっかりだね。さきもしかしてずっと起きてた?

06:52


紗季


寝てない

06:52


麻衣


まじか。大丈夫?

今日って時間少しでもとれる?会えそ?

南條先輩が時間取れるって

06:55


私はその文字を見て、指が止まった。

探偵に会う。昨夜、麻衣は確かに言った。

その時は、頼もしさよりも現実感のなさの方が強かった。

でも今は、浴室の向こうから聞こえるシャワーの音が、

私を現実に戻した。


亮平は今、昨夜の痕跡を洗い流している。

私はそれを見ないふりで受け入れる妻に戻るのか。



違う。もう戻らない。


紗季


会える。子供達迎えにいく前に会う

06:56


午後一時、私は駅前の喫茶店の扉を押した。

古くからある店で、照明は少し暗め。

珈琲の匂いと、古い木の椅子の匂いが混ざっている。

奥の席に麻衣が座っていた。その向かいに、

ひとりの男性がいる。



30代後半くらい。濃いグレーのジャケットに、白いシャツ。

無駄に飾ったところのない服装。

姿勢は真っ直ぐで、周囲を警戒しているようには見えないのに、店内の出入口も客の動きも把握している人間の座り方だった。



麻衣が立ち上がった。


「紗季、こっち」


私は席へ向かいながら、男性の顔を見て、

ほんの一瞬だけ足が止まった。どこかで見たことがある。

そう思った。男性も、私を見るなり少しだけ目を細めた。



「こちら、南條篤さん。私たちの高校の先輩。

今は調査会社をやってる」



高校の先輩。その言葉で、記憶の端がわずかに動いた。

体育館の裏。文化祭の準備。

背が高く、目立つタイプではないのに不思議と顔を覚えている上級生。


「……もしかして、三年の時に写真部にいた南條先輩ですか?」


男性は少し驚いたように笑った。


「覚えてるんですね。そうです。麻衣さんと同じ高校の二つ上です」


その穏やかな話し方に、私は少しだけ肩の力が抜けた。

まったく知らない探偵に会うよりは、ずっといい。

同じ高校の空気をどこかで共有した人間だと思うと、

警戒心がほんの少し和らいだ。



南條は名刺をテーブルに置いた。

余計な装飾のない、シンプルなものだった。



「藤堂紗季です」



「状況は、麻衣さんから概要だけ聞いています。

昨夜、ご主人が女性と食事をし、その後ホテルへ入るところを確認した、と」


「はい。写真も撮りました。

一時間以上は出てこなかったのを確認しています」



「退出は確認していない?」



「はい。途中で離れました」



南條は静かに頷いた。


「十分です。最初にご自身でそこまで押さえられたなら、大きな材料になります」



その言葉に、張っていた糸がほんの少し緩んだ。

私は、自分の撮ったものがどれほどの意味を持つのかまだわかっていなかった。

ただ見た。ただ撮った。それだけだと思っていた。



「ただし」


と南條は続けた。



「これだけで最終的にすべてが決まるとは考えない方がいい。相手が否定しようと思えば、体調不良で休憩した、相談に乗っていた、などと言うことはできます。

争う場面では何を言い出すかわからない」


「では、どうすれば」



「複数回の接触を押さえることです。

特に同じ女性とのホテル利用がもう一度確認できれば、

継続性が出る。さらに女性の身元、氏名、住所、勤務先がわかれば、慰謝料請求を考える際に重要になります」



私はそこで、初めてはっきりとこの先を想像した。


調査。証拠。身元確認。慰謝料。離婚。


昨日までは、裏切りの入口に立っていた。

今日はもう、出口の形まで見え始めている。



「調査には、どのくらい時間がかかりますか」



「すぐに判明する場合もあります。ご主人の行動パターンがある程度読めていて、次の接触が近ければ、数回の調査で必要なことが揃うこともある。逆に、相手が慎重なら、数週間から数か月かかることもあります」



「今回みたいに、曜日や時間を掴んでたら?」


と麻衣が聞く。


「かなり助かります」



「すでに金曜夜と日曜朝に不審な動きがある。ご主人は奥様が気づいていないと思っている可能性が高い。警戒されていないうちに、こちらが先回りできる」



その言葉に、私は少しだけ息を深く吸った。

亮平は私を甘く見ている。それが今は、こちらの優位になっている。


「ひとつ大事なことがあります」


南條はペンを置き、声を落とした。


「今後の連絡は、ご主人のいない時間帯だけにしましょう。スマホを見られないとしても、通知のタイミングや奥様の反応で異変を察する人もいます」


「古いスマホを使っています。麻衣にもそれで連絡しています」


「それはいい判断です。今後、私との連絡もその端末一本にしてください。通知はオフ。緊急時以外は、こちらから夜に連絡することはありません」



麻衣が続けた。

「私も夜は送らない。昼だけにする。必要なら、子どもの用事みたいな文面で合図決めよう。たとえば『来週ランチどう?』って送ったら、南條先輩から連絡来てるから古いスマホ見て、みたいな」


南條が頷く。


「単純なルールで十分です。複雑にすると逆にミスが出ます」



「正式にお願いしたいです」



気づけば、私はそう口にしていた。

南條は表情を変えずに、静かに問う。


「よろしいですか。調査を始めるということは、見たくない事実に触れる可能性も高くなります」


「わかっています」


「ご主人の不貞が想像以上に長いかもしれない。相手が一人とは限らない。どちらにしても、調べる前には戻れません」



私は息を吸った。

頭に浮かんだのは、今朝の亮平だった。

朝帰りをして、笑いながら嘘を重ね、私の淹れたコーヒーを受け取る男。

もう迷いはなかった。


「それでも、知りたいです。知らないまま、夫の作った嘘の中で生きる方が無理です」



南條はゆっくり頷いた。


「承知しました。では、まずは初回調査を組みます。次の有力日は日曜朝。ご主人がまたジョギングに出るなら、その動きを確認しましょう」



会話を終え、喫茶店を出る頃には、午後の日差しが少し傾いていた。

私は麻衣と駅まで並んで歩いた。


「大丈夫?」


「うん。思っていたより、話せた」


「南條先輩、変に煽らないでしょ」


「うん。安心した」


「高校の頃からあんな感じだったよ。目立たないけど、何かあったら一番落ち着いてる人」



私は微かに笑った。


「あの人が探偵になるなんて思わなかった」


「人のことよく見てたから、向いてたのかも」


駅の階段前で、麻衣は立ち止まった。


「紗季」


「うん」


「ここから先、亮平さんのことを知れば知るほど、つらくなる瞬間もあると思う。でも、あんた一人で抱え込まないで」


「ありがとう」


「それと、覚えておいて」


麻衣は少し声を低くした。


「今、嘘をついてるのは亮平さん。あんたは壊してるんじゃない。壊されたものを確認してるだけ」



その言葉に、胸の奥が少し詰まった。

私は壊しているのではない。

壊された現実を、見える形にしているだけ。

それは今の私に必要な言葉だった。

泣くつもりはなかった。

ここで泣いたら、今日の自分が崩れてしまう気がした。


でも目の奥が熱くなった。私は笑うふりをして、顔をそらした。

麻衣は何も言わず、私が落ち着くまで待ってくれた。

家へ戻る途中、古いスマホに南條から短いメッセージが届いた。


南條篤


初回調査、日曜朝を候補に進行します。

以後、連絡は原則平日日中のみ。

ご主人の前ではこの端末を触らないでください

15:44


紗季


承知しました

15:46


たった二文字だった。

でもその瞬間、私の中で何かがはっきり決まった。


朝帰りをした夫に、もう愛情はない。


残っているのは、子どもたちを守る責任と、


自分の人生を取り戻す意志だけだ。


亮平はまだ知らない。


私がもう泣いてすがる妻ではないことを。


探偵が動き出したことを。


そして次の日曜の朝、

自分のジョギングが

初めて他人の目に記録されることを。

最後までお読みいただきありがとうございました少しでも心に残るものがありましたら、リアクションや評価のお星様をポチッと押していただけますと、とてもとても嬉しいです。

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