第二十七章 桐島屋の花
※不定期更新です♪
応援や評価していただけるとやる気が満ち溢れて
更新早くなります笑
南條から、昨夜の報告書が届いたのは翌朝だった。
私はキッチンで湯を沸かしながら、古いスマホを開いた。
そこには、亮平と玲奈の動きが時系列で並んでいた。
二十一時十四分、会社付近のワインバーにて接触。
二十三時十五半分、二人で退店。
二十三時二十分、タクシー乗車。
二十三時四十七分桐島玲奈自宅マンションへ入室。
二時三十二分、藤堂亮平氏単独で退室。
滞在時間、約二時間四十五分
私は、その最後の一行をしばらく見つめた。
二時間四十五分
家で飲み直しただけでは説明しにくい。
家庭に戻れる範囲で、玲奈の部屋へ行く。
翌朝、父親の顔を保てる範囲で愛人に未来を囁く。
嘘が壊れないぎりぎりの場所を
亮平はよく知っている。
どれだけの間騙されていたのだろう
私が異変に気づかなければずっと騙されていたのだろうか
報告書には写真も添えられていた。
マンションのエントランスへ入る二人。
玲奈が先に歩き、亮平が少し後ろから続く。
マンションから亮平がひとりで出てくる写真。
その顔には、焦りがなかった。
罪悪感も、迷いもない。
用心深い男の顔だった。
私は画面を閉じた。
日記に記録した。
その時、寝室の方から亮平の足音がした。
「おはよう」
リビングに入ってきた亮平は
少し眠そうに目をこすった。
「おはよう。昨日、遅かったね。眠いでしょ」
私が言うと、亮平は自然に笑った。
「うん。眠いね。部長たちと飲んでて。展示会前だから
話が長くなった。しょうがないよ」
部長たち
その言葉を聞くたびに、ヘドが出そうになる。
「大変だね」
「まあ、今が大事な時期だから」
亮平はそう言いながら、食卓についた。
美月がトーストをかじりながら聞く。
「パパ、展示会っていつ?」
「来週の金曜」
「それ終わったら温泉?」
亮平は少し困ったように笑った。
「覚えてたか」
「覚えてるよ。約束したもん」
約束。
その言葉が、朝の食卓に軽く落ちた。
亮平は娘に向かって言った。
「わかってるぞ。ちゃんと考えてるよ」
私は味噌汁をよそいながら、その背中を見ていた。
玲奈にも言ったのだろう。
昇進したら、ちゃんと話す。
内示が出たら、玲奈に一番に言う。
二人の未来を考えている。
子どもにも言う。
展示会が終わったら、家族で出かけよう。
私にも言う。
落ち着いたら、ちゃんとする。
亮平のちゃんとは誰のためにも存在しない。
その場にいる相手を、もう少しだけ黙らせるための嘘
私は笑顔で言った。
「美月、パパ忙しいんだから、あんまり困らせないの」
「えー。だってー」
亮平が私を見て、少し安心したように笑った。
その顔を見た瞬間、私は思った。
安心していればいい。
あなたが安心すればするほど、こちらは動きやすい。
昼過ぎ、南條から新しい資料が送られてきた。
展示会の招待リストの一部だった。
企業名、役職、担当者、来場予定時間。
その中に、見覚えのある名前があった。
桐島屋ブライダル事業部。
常務取締役、桐島宗一郎。
さらに、関連会社が二つ。
桐島不動産管理株式会社。
桐島和装企画。
どちらも、玲奈の家筋に関係する会社だった。
私は画面を拡大した。
担当欄には、営業部側に藤堂亮平。
企画側に桐島玲奈。
二人の名前が、同じ行に並んでいる。
不倫相手としてではない。
仕事上の担当者として。
展示会成功の鍵になる関係者として。
その並びが、妙に美しく整っていて、吐き気がした。
玲奈は、ただ亮平を待っている女ではない。
自分の家の桐島屋を亮平の評価の場に差し出している。
そして亮平は、それを受け取っている。
恋人の顔で。
上司の顔で。
昇進候補の顔で。
南條から続けてメッセージが来た。
清掃協力者より、社内会話の追加あり。
私は添付された文字起こしを開いた。
そこには、給湯室での女性社員たちの会話が記録されていた。
「桐島さんって、結局すごいよね。男の人たち、みんな褒めるじゃん」
「わかる。資料出すだけで『気が利く』って言われるの、ちょっと羨ましい」
「でもさ、あの人、桐島屋の関係者なんでしょ? そりゃ上も丁寧に扱うよ」
「家柄込みで評価されてる感じ、あるよね」
「本人もそれわかってると思う。前に部長が桐島屋の話振った時、すごい控えめに笑ってたけど、あれ絶対慣れてる」
「男の人って、ああいう出しゃばらないお嬢様感好きだよね」
「しかも仕事できる風に見せるの上手いし」
「いや、実際できるんだろうけどさ。でも、後輩の子に下準備させて、最後に綺麗にまとめて上に出すのはうまいなって思う」
「わかる。注意すると、こっちが意地悪みたいになるんだよね」
「藤堂課長もさ、桐島さんには優しいよね」
「あー、わかる。結婚してるのに、あの距離感ちょっと気になる」
「別に変な意味じゃないんだろうけど、桐島さんが資料持っていくと声のトーン違う気がする」
「男ってわかりやすいよね」
「でも桐島さん相手だと、誰も何も言わないじゃん。桐島屋の人だし、部長もお気に入りだし」
「それ。普通の子が同じことしたら、媚びてるって言われるのにね
「ずるいよね、あのポジション」
以前の報告よりも、ずっと生々しい‥
嫉妬。
不満。
観察。
そして、女だけが気づく距離感。
玲奈は、会社で嫌われているだけではない。
羨ましがられている。
妬まれている。
でも真正面から悪く言いにくい
家柄。
男からの評価。
控えめな態度。
仕事ができるように見える立ち回り。
それらを全部持っている。
そして亮平は、玲奈に自分の昇進を飾らせている。
私は南條へ返信した。
『桐島屋側の招待経緯をさらに確認してください。
玲奈が私的な関係を使って亮平の評価に関与した形が
見えるなら重要です。』
すぐ返事が来る。
『了解。
ただし会社資料は慎重に扱います。
展示会当日の動線、懇親会の席次も確認中です。』
席次。
その言葉に、私は目を止めた。
亮平と玲奈との距離
桐島屋の関係者が、誰と話すのか。
部長や役員が、二人をどう扱うのか。
不倫と仕事は別だと、二人は思っているのだろう。
けれど実際には、もう混合している
ホテルの密会。
会社の評価。
家柄の看板。
昇進。
家庭への嘘。
全部、同じ水の中で濁り始めている。
その日の夕方、高瀬律子のアカウントに玲奈からDMが来た。
『高瀬さん、少しだけ聞いてもらってもいいですか。
彼の仕事のことで、私も関わっている大きな案件があります。彼にとって本当に大事な機会で、私も支えたいと思っています。
でも時々ふと、仕事として必要とされているのか、女として大切にされているのか悩んでしまうことがあります』
玲奈は、気づき始めている。
亮平が自分を必要としていることは間違いない。
けれどそれが、愛なのか、利用なのか、わからなくなっている。
その不安は、正しい。
でも私は、彼女を助けたいわけではない。
彼女に不安を見せたい。
その不安の中で、亮平へもっと言葉を求めさせたい。
そして亮平に、さらに決定的な嘘を吐かせたい。
御影に文面を共有すると、数分後に返信が来た。
『彼女は支える私に入り込んでいます。
ただ同時に、都合よく使われている私への疑いもある。
カードを使うなら「天秤」がいいですね。
仕事と恋愛、必要と愛情、支えることと差し出すこと。
二つを分けて見るよう促してください。
次も相談したくなる文章にして下さい。』
私は、机の上にカードを一枚置いた。
天秤。
左右の皿に、白い花と小さな鍵が乗っているカード。
私はそれを写真には撮らなかった。
玲奈に送る必要はない。
でも、律子として言葉にするために
少しだけカードを眺めた。
そして返信を打った。
『桐島さん、話してくださってありがとうございます。
今の内容を見ていて、カードでいうなら「天秤」の気配が強いように感じました。
片方には、彼を支えたい気持ち。
もう片方には、自分自身も大切にされたい気持ち。
その二つが、今かなり揺れているのかもしれません。』
少し間を置いて、もう一通送る。
『支えることは、悪いことではありません。
でも、仕事で必要とされることと、個人的な関係で大切にされることは、同じではないことがあります。
自分は何を支えているのか。その先で、私自身はちゃんと
大切にされているのか。そこを見失わないでください。』
送信した。
十分ほど経って、玲奈から返事が来た。
『仕事で必要とされているから、愛されていると思いたかったのかもしれません。高瀬さんに言われるといろいろ考えさせられます』
私は画面を見つめた。
玲奈は、律子を信じ始めている。
慰めてくれる人ではなく、見ないふりをしていたものを言葉にしてくれる人として。
それは、こちらにとって望んだ通りの流れだった。
玲奈がもっと話すようになる。
もっと迷うようになる。
もっと亮平に確認するようになる。
そしてそのたびに、亮平は都合のいい未来を足していく。
私は短く返した。
『見たくなかったところが見える時は、少し苦しくなります。でも、それは桐島さんが自分を雑に扱いたくないと思い始めているからかもしれません。
また悩んだらたくいつでも連絡くださいね』
既読がついた。
返事はなかった。
その沈黙の向こうで、玲奈が亮平の顔を思い浮かべているのがわかった。
夜、亮平はリビングで資料を広げていた。
パソコンの画面には、展示会の進行表が表示されている。
私は洗濯物を畳みながら、さりげなく聞いた。
「展示会って、結構大きいんだね」
亮平は画面を見たまま答えた。
「うん。今回はかなり力入ってる」
「家族が見に行けるような感じではないの?」
亮平の指が、一瞬止まった。
「え?」
「前に美月が、パパの仕事ってどんなのって聞いてたから」
もちろん、美月はそんなことを言っていない。
でも、子どもの名前を出せば、亮平は自然に答える。
「一般向けの時間もあるけど、俺は当日ずっと対応でバタバタしてるし。来ても構えないと思う」
来てほしくないのだ。
玲奈がいるから。
桐島屋がいるから。
会社の人間がいるから。
妻と子どもが現れると、都合が悪い。
「そっか。じゃあ邪魔しない方がいいね」
私は笑った。
亮平はほっとしたように頷いた。
「ごめんな。」
私は畳んだタオルを重ねながら、何気ない声で続けた。
「関係者の人もたくさん来るの?」
「まあね。取引先とか、協賛関係とか」
「そういう人たちに挨拶するのも大変そう」
「そこが大事なんだよ。展示会って、当日よりその後の方が大事だったりするから」
亮平は、少し得意げだった。
私は頷く。
「じゃあ、終わった後も飲みとかあるんだ」
「懇親会はある。関係者だけで軽く」
「そっか。じゃあその日も遅くなるね」
「たぶん」
亮平はそう言って、パソコンへ視線を戻した。
私はそれ以上、踏み込まなかった。
愛人の名前も出さない。
桐島屋の名前も出さない。
知らない妻でいなければならない。
ピンポイントで聞けば、亮平は警戒する。
警戒されれば、証拠の流れが止まる。
完璧に復讐するなら
完璧に知らないふりをしなければならない。
それが、今の私に課せられた役割だった。
亮平はパソコンへ向かっていたが、何度かスマホを見た。
画面は伏せられる。
玲奈から来ているのだろう。
私の言葉で不安になった玲奈が、亮平へ何かを送っている。
二人の間に、小さな波が立ち始めている。
その夜、子どもたちが寝た後
私はキッチンの引き出しの奥から古い封筒を取り出した。
もう何年も触れていなかった封筒だった。
中には、祖母から預かっていた名刺が数枚入っている。
森下
結婚してから、ほとんど口にしなくなった名前。
藤堂紗希になる前、私はその姓だった
名刺の一枚には、祖父の名前が入っていた。
私は指先で、その文字をそっとなぞった。
けれど、封筒の中身をそれ以上見ることはしなかった。
祖母の声だけが、ふと耳の奥に蘇った。
私は封筒を閉じた。
亮平はまだ登り切っていない。
玲奈もまだ、自分が勝てると思っている。
桐島屋の看板も、会社の評価も
これからもっと表に出てくる。
南條から
『展示会後の懇親会、席次案を入手。
藤堂氏は営業部長の隣。
桐島玲奈は企画担当として同席。
桐島屋常務の席が、藤堂氏の近くに配置されています。』
添付された画像を見る。
席次表の中で、亮平の名前と桐島屋の名前は近かった。
玲奈の名前も、少し離れているが同じ円卓内にある。
綺麗に整えられた仕事の場。
けれど私には、その席次が別のものに見えた。
亮平の昇進。
玲奈の欲。
桐島屋の看板。
三つが同じテーブルに並ぶ。
もっと近づけばいい。
誰が見ても、仕事と私情を分けていたとは言えないほどに。
展示会まで、あと三日。
亮平は家でも会社でも、忙しそうに動いていた。
その姿は、仕事に燃える男に見えた。
子どもたちには、
「パパ、今すごく大事な仕事してるんだ」
私には、
「これが終わったら少し落ち着く」
と言う。
玲奈には、きっと、
「君がそばにいてくれるから乗り切れる」
と言っているのだろう。
同じ展示会を、三つの顔で語る男。
夜、亮平が寝た後、私はスマホの記録を整理した。
ホテル写真。
マンション入退室写真。
録音文字起こし。
玲奈のDM。
展示会招待リスト。
桐島屋関連会社。
席次表。
社内の会話メモ。
ファイル名を日付順に整え、クラウドと外部媒体へ分ける。
もちろん日記もつけている。
一つずつ、確実に証拠は増えている
亮平と玲奈は、恋をしているつもりかもしれない。
でも私の目には、別のものに見えていた。
欲と保身。
家柄と昇進。
妻への侮りと、子どもを盾にする卑怯さ。
その全部が、少しずつ形を持ち始めている。
私は画面を閉じた。
今、私はあなたたちが上る階段の下に
一本ずつ亀裂を入れている。
展示会の日。
あなたたちはきっと、成功したと思うだろう。
桐島屋の名前が飾られたその席で、
未来が開けたと思うだろう。
でも、それは終わりの始まり
私は暗いキッチンで、静かに目を閉じた。
私はまだ、ただの妻の顔で笑う。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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