三十七、「鳩宮蓬」と神様
「……誰だ、あんたは?」
誰も分からないその人物に最初に問いを投げかけたのは、三嶋さんだった。彼女はふっ、と笑い、そして、
「私が誰であるかはよく知っているはずだよ」
と重く告げ、目を見開いて真っすぐ俺たちの方を見た。彼女は確かに蓬さんの姿を真正面から捉えているように見えたが、同時に俺を含めたその場の全員が正面から彼女に見つめられたかのような錯覚に陥った。そして、彼女が何者であるかの情報が脳内に澱みなく流れ込んできた。
「『導』……?」
「私を表す名前は他にいくらでもあるが、人間の言葉に翻訳すればこれが最も近いだろう。ちょうど、日本人にも親しみやすい名前であろうしな」
「まさか、ボクの意識が明瞭であるうちに再び会えるとはね」
「私がこちらの世界に降りてこられないよう、徹底的に妨害していたのは君の方だろう」
「いかにも。これ以上超能力研究を妨害されるわけにはいかないからね。たとえ神様であろうと引っ込んでもらおうと思ったんだ」
「不敬極まれり」
「ぐっ……!?」
静かに、重たく持ち上げた彼女の腕が蓬さんの方を向く。蓬さんを指さすと、たちまち顔が苦痛で歪んだ。
「おいおい……いいのか、そんなことして? ボクの体は、あの子の体でもあるんだぞ? その神性でうっかり死にでもしたらどうする? まあ、ボクは一向に構わないけどね」
「君の障壁がなくなったおかげで、私は神性を抑えた状態で降りてこられるようになったんだよ。今ここに顕現している時点で、君の体を即座に滅するほどの神性は持ち合わせていない。それに、もう間もなく死ぬのは『ハトミヤ』の人格である君の方だろう」
「悔しい限りだよ、ボクの息子の魔術が、あれほどまでに完成されていたとは。片方の人格のみを選択的に殺す魔術を編み出すなんて」
「いい加減諦めてもらおうか。超能力も没収したいところだからな」
「嫌だと言ったら?」
「その時は君の表の人格ごと殺すだけだ。幸い、表人格の方も真相を知らぬだけで、知った時には自らの罪の重さに耐えきれず自死を選ぶだろうからな」
「……やめてください」
真鈴さんの絞り出した一言で、場が静まり返った。神様――「導」は、興味深いと言いたげな顔で真鈴さんを観察し始めた。
「よもさんを……私の信じるよもさんを、返してください」
「鳩宮蓬の本来の姿はボクの方だ。キミの知る仁方蓬は後付けの『設定』に過ぎないよ」
「そんなの、知ったことじゃありません……私にとっては、あなたが見くびるよもさんこそ、本当のよもさんなんです……! あなたの方こそ、超能力開発のために無理やり生き残って、何のために生きているのか分からないまま生きて……そうやって、よもさんの時間を一秒でも、一分でも長く無駄にして……そんなこと、私はこれ以上許せません!」
「……っ!」
「ほう……」
握ったこぶしにぐっと力を込める真鈴さんは、なおも畳みかけた。
「この期に及んで、まだ超能力の研究を続けようとするなんて……科学者を名乗りたいなら、誰かの役に立つかどうかくらい、その頭で少しは考えたらどうですか」
「…………そこまで言える女、だったんだな」
超能力は「いずれ」世の中の役に立つ技術だが、遠回りであるがゆえに断言できないと、髙橋さんは言っていた。この世に役に立つと断言できる技術がそう多くないことも。ただ、最初から自分がやっているのがどうせ役に立たない研究だと腐るのは別問題だ。どれだけ客観的には意味のない研究だと判別されるとしても、自分だけは世の中の誰かの役に立つと信じていなければならない。そして同時に、世の中の誰かを傷つけない、悲しく苦しい思いをさせないことを、誓わなければならない。超能力研究はその過程でたくさんの犠牲者を生み出した。たとえ大逆転勝利を収めたとしても、もう取り返しのつかないところまで来てしまっている。
「……神が再び降臨し、ボク以外の目にも見えてしまっている時点で、ボクは十分すぎるほど弱まっている。もはや……ボクが生き延びることは、できない」
「私の大好きなよもさんに……代わって、くれますか」
「不本意だけどね……超能力の研究を止めてしまって、この世界がもつのか疑問だけど。ボク以外の総意が、それなんだとしたら。ボクは受け入れるべきなのかもしれない。今さら子供っぽく抵抗するには、あまりにも歳をとりすぎたのかもしれない……」
「安心しろ。魔術にせよ超能力にせよ、私が没収した後完全に握り潰してしまうわけではない。かつて使い勝手の悪かった力を、その叡智でここまで発展させたことは称賛に値する。そこからの悪用については見過ごせんがな」
「髙橋、三嶋」
「……はい」「なんだ、お嬢さん」
「ボクという支柱を失った星芒市は、これからどんな方向に向かうか誰にも分からないよ。ボクを見殺しにするのは一向に構わないけれど、キミたちが大変なのはここからだ」
「まずは過去の清算からだろうが、お嬢さんの配下たちがいったいどれだけやらかしてきたのか、洗いざらい……」
「先生。未来は私たち『新人類』ではなく、『旧人類』に託すべきだと、そう思いませんか」
「……っ!」
目を見開いた彼女がしばらく考えを頭の中で巡らせた後、静かに目を閉じ、寂しそうに笑った。
「未来を過去の人間に託す……か。それができるとするならば、ボクが見届けられないのは残念だな」
それが、鳩宮蓬の最期の言葉になった。
「第二の人格『ハトミヤ』は消滅した。元の人格として仁方蓬が目を覚ますのは、時間の問題だろう」
導が淡々と告げる。泣き腫らした目を蓬さんに見せないために病室を出ようとした真鈴さんと、付き添う俺。引き戸を開けると、背中から髙橋さんが声をかけてきた。
「……先生のおっしゃった通り、これからが大変になります。真鈴さんのように星芒市に人生を狂わされた方への補償をどうするのか、曲がりなりにも科学者だった彼らの処遇をどうするのか。考えることは多いですが……それは、吹田と京都の人間の役目です。あなたたちに負担が及ぶようには決してしません」
「ありがとうございます」
「先ほど、私が言ったことの意味は、理解されていますか」
「……いえ、まだ」
「おそらく、導……あの神様も、同じことをおっしゃるでしょう。まさかあれほど気さくに私たちの目の前に現れるとは、予想していませんでしたが……」
それから数時間後、蓬さんが目を覚まし、話は再開された。




