混沌
「え・・・」
目の前で起こった事象に背筋を詰めたいものが流れる感覚がしました。
いつも通りご主人様たちを見送って、その少し後拠点が襲撃されて、レミアさんもあっさりやられて私はどうすることもできずいつの間にか意識を失っていました。それで目が覚めたと思ったらそこは戦場で・・・ああ、だめだ。意識が混乱してまだ状況を把握できていません。
でも、異形の腕に腹を貫かれたご主人さまの姿は克明に認識できて、霧が晴れるように、まどろんでいた意識が覚醒しました。
「いやだ・・・」
王都での記憶がよみがえる。私をかばって矢を受けたご主人様の姿が。
あの時だって何事もなかったようにまた助けに来てくれた。だから大丈夫ですよね?きっとすぐに思いもよらない方法で逆転して見せるはず。だってご主人様ですよ?あんなに強いご主人様がこんなところで・・・。
じゃあどうして血を吐いていらっしゃるんですか?どうして脱力し始めているんですか?
口が乾く、視界がぶれる、手足が震えて、思考が、認識が、現実に焦点を合わせる。
お願いです、私にはその人しかいないんです。だからどうか私からご主人様を取らないで・・・。
ああ、私はなんて無力なのでしょう。ご主人様は私を助けてくれたというのに、私はこんな時ですら震えていることしかできなくて。
そんなの、そんなの・・・
「いやだ。」
何もない暗闇のなか。水の中にいるようにゆったりと沈んでいく。
光がさすこともなく、かといって果てあるわけでもない。永遠に続く虚無。このままどこまでも落ちていきそうな感覚。底の見えぬ深淵はともすれば冥界の扉のようにも見える。あるいはここは既に黄泉なのだろうか?
もがくにしても力が入らない。何も見えないし何もできない。どうしても落ちていくしか無いようだ。
諦念とともに目を閉じ深淵の引力に身をゆだねようとしたそのとき、不意に下降が止まった。
ん?なんだ?疑問を抱くより先に見えない力に引き上げられるようにぐんぐんと浮上していく。時を巻き戻すように沈降の軌跡をたどり、やがて光に包まれた。
「悠一!」
目を覚ます。泣きそうな顔のレミアと目が合った。
「よかった。心配したじゃない、もう!待ってなさい、今回復魔法を・・・」
レミアはホッと息を吐き、ペタペタと僕の体を触る。数秒後、その顔が驚愕の色に染まった。
「え、うそ、・・・傷が、ない?」
いわれてみれば僕は瀕死の重傷を負ったはずだ。だが裾をまくってみても傷跡すら見当たらない。まるでそんなもの初めからなかったかのような不合理な現象だ。
「どうなってるんだ?」
「私が聞きたいわよ!」
僕の無事の確認して緊張が解けたのかやや気の抜けた突っ込みが入る。
前にもこんなことがあった気がするが、解明のしようもないのでひとまず保留にする。それよりも僕は周囲の惨状に視線を向ける。
そこら中に腕や足あるいは頭などの人間のパーツが転がっている。それだけでなく、家屋は倒壊し地面には無数のクレーターが生まれている。そしてその中心にいるのは、
「ルリ、なのか?」
雰囲気はまるで異なる。髪は豪奢な金色に染まり、瞳は血のような色彩を放っている。だが、その面影や見間違えようのないくせっ毛は確かにルリのものだった。
かろうじて難を逃れたのであろう吸血鬼や天使がルリに襲い掛かる。それに対しルリはフゥと細く息を吐いたのみ。それだけで地獄が顕現する。
局所的な嵐でねじ切り、濁流で押しつぶし、業炎で焼き尽くし、雷が降り注ぎ、地面から鋭い尖塔が突き立つ。吸血鬼はものの数秒で殲滅された。天使の一体が半身を失いながらも決死の一撃を見舞う。ルリの体が枯れ葉のように舞い手足があり得ない方向に曲がり、だが瞬時に回復し直後には何事もなかったかのように反撃する。
圧倒的な力。
不死身の体。
徒に繰り返される殺戮。
その姿はまるで、
「吸血鬼・・・」
呆然とつぶやく。ルリの異能は魔法の無条件起動じゃなかったのか?
「逃げるわよ。」
レミアの言葉によって我に返る。
「あの狂人はロビンが相手をしている。吸血鬼や天使はルリちゃんが殲滅している。今が絶好の機会よ。」
「ちょっと待て、ルリを置いていくのか!?」
「正気を失ってる上に力が暴走してる。連れていくのは不可能よ。」
「だからって・・・」
「お願いだから、聞き分けてよ!」
レミアが声を荒げる。拳を固く握り目じりには涙が浮かんでいた。
「もうどうしようもないのよ!どうあがいたって状況はもう好転しない。今はとにかく生き残ることを考えるしかないの!」
鋭い視線に射抜かれ、剣幕に圧倒される。
悔しいがレミアの言ってることは正論だ。何も言い返せない。けどルリのことを見捨てるなんて・・・
頭上に雷雲が発生し雷の雨が降り注いだ。咄嗟にレミアが障壁魔法で防御する。
「く、う・・・」
苦し気にうめきながらも辛うじて防ぎ切って見せた。だが相当な負担がかかったようで膝をついてしまう。
「レミアっ・・」
「気を抜かないで、来るわよ。」
レミアに警告されて振り返るとルリが一挙手一投足の間合いまで迫っていた。遠距離攻撃が防がれたのを見て近接戦に切り替えたのか。
ルリが腕を振り上げる。空気が渦巻き嵐となり、さらに収束して極限まで圧縮され剣と化す。
その目には冷淡な殺意が宿り、僕は逃れようのない『死』の気配を感じた。
「やめろ・・やめてくれ、ルリィィィィィ!!!!!」
お読みくださりありがとうございます。楽しんでいただけたら幸いです。




