トラウマ
一人でいるのが好きだった。本の世界に没頭している時間が好きだった。こうして自分の世界に浸っている間は面倒なしがらみから解放される気がした。
けど、俺が一人になることはなかった。
「兄様ぁ!」
ノックもなしにバタンっと派手にドアが開かれる。そのせいでせっかくの穏やかな読書の時間が引き裂かれる。嘆息しながら扉のほうに視線を向けるとそこには案の定、肩口で切りそろえた栗色の髪と俺と同じエメラルドの瞳が特徴的な少女--リアが立っていた。
「今日はとてもいいお天気ですわ。お散歩に行きましょう。」
リア全く悪びれることなくグイグイと俺の腕を引っ張ろうとする。
「うるさいなぁ!」
俺はいら立ちを隠そうともせずに無遠慮な妹を突き飛ばす。リアはぷくっと頬を膨らせエメラルドの瞳でにらみつけてくる。
「兄さまはいつもそうですわ。お部屋にこもって本を読んでばかり。」
「ほっといてくれ、俺は今一人になりたい気分なんだ。散歩なら一人でしろ。」
「嫌です。兄さまがいないとつまらないですわ。」
「知るか、そんなもん。」
「いーやーでーすー。」
はぁ、こいつはいつもそうだ。俺がどんなに拒絶しても鬱陶しく付きまとってくる。いい加減突っぱねるのも面倒になってきた。
「全く。で、どこにいくんだ?」
俺はしぶしぶ本を閉じて立ち上がった。
それを見てリアは分かりやすく喜色を浮かべ花の咲くような笑みを浮かべた。
「わーい、兄さま大好きなのです。」
その場でくるくるとターンして全身で喜びを表現する。無邪気なその姿に俺は自然と頬が緩んでしまっているのを自覚した。
「さぁ、兄様。早く----コッチニキテクダサイ。」
「えっ?」
瞬間、その姿が変質した。目は血走り、四肢からは血管が浮き出て、肌は病的なまでに青白く。
「ニィサマ、ハヤク、コッチニ・・・」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
絶叫をあげ俺はいつの間にか手に持っていたレイピアで妹だったものを切りつける。鮮血が舞い返り血が頬を染める。だがそれでは吸血鬼は止まらない。
「二ィ、サマ」
血を流し、だらんと体を弛緩させながらリアな形をした怪物はなおも迫ってくる。
気が付くとそこは自室ではなかった。何もない真っ黒な空間。どこまでも続く深淵の闇。そこから這い出るように現れる無数の怪物たち。
「キテクダサイ」「コッチニ」「ハヤク」
「来るなっ!来るなっ!来るなぁぁぁぁぁ!」
伸びてくる腕を、醜悪な牙を、人の形をした怪物を、切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切って切ってきってきってきってきってきってきってキッテキッテキッテキッテ・・・。
斬撃のたびに舞い散る鮮血。どれだけ切っても止まらない悪夢。
だんだんと意識が遠のき自分が何をしてるかもわからなくなって、やがて押しつぶされるように吸血鬼の波に飲み込まれて行って・・・。
バサッ、ドスンっ。
突然の衝撃に目を覚ます。とっさに辺りを見回して地べたに広がった掛布団を見つける。どうやらベットから転げ落ちたらしい。
立ち上がろうとして失敗した。気づけば四肢が震えてる。背中は汗でじっとりと濡れていた。
「クソ、なんで今更こんな夢。」
頭を抱えて悪態をつく。久々に見た悪夢だ。てっきりもう克服したものだと思っていた。
悠一とは別室でよかったかもしれない。美少女二人を連れて扉の向こうに消えていく姿を見たときは軽く殺意がわいたが。
吸血鬼との戦闘を経て閉じ込めていた記憶が刺激されたのかもしれない。
最初からおかしいとは思っていた。たとえ魔族と戦うためとはいえ人をあんな醜悪な姿に変えるのが正しいことだとは思えなかった。
なぜ誰も怯えない?なぜ誰も恐れない?なぜ誰も忌避しない?なぜ誰も疑問を抱かない?
けどそんなこと誰も言わないから、俺も何も言わなかった。黙って目をそらし続けた。
しかし変わり果てたリアの姿を見たとき、その時初めて彼女が自分の中でどれほど大きい存在か自覚した。そして俺の中で何かが切れた。
天啓のように与えられた力でその場のなにもかもを壊して。耳障りな高笑いをあげるあいつの喉笛を引き裂こうとして。ギリギリのところで届かなかった。
「今度こそ、今度こそ、・・・」
ベッドに立てかけたレイピアを手に取り鞘から抜き取る。鏡面のような刀身に移る自分の顔を見ながら俺は静かに決意を固めた。
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