第2話 墓の中の遺物
お読みいただきありがとうございます。
第七章「選ばれし名、選びゆく道」、第2話です。
第1話では、金津邸の地下で十本の鍵が見つかりました。
鬼たちが動き出した夜でした。
今話は、その同じ夕暮れに、寿満寺で起きた出来事を描いています。
舞台は、墓地の最奥にひっそりと立つ、古い無縁墓です。
老猿が何度も頭を下げていた、あの墓です。
戒名は削れて読めません。
苔と雑草に埋もれ、小さな白い花が咲いているだけの、静かな場所です。
けれど、その静けさの下には、何百年も誰にも開けられなかったものが眠っていました。
今回は、戦闘のない回です。
鬼も出てきません。
刀も抜かれません。
それでも、この話は第七章の土台になる回だと考えています。
慎悟たちが手にするのは、一本の古い絵巻物と、一つの白い壺です。
壺の中身については、まだ触れません。
ただ、歩美の札が震え、美奈子が「静か」だと言い、莉奈が「一つじゃない」と口にします。
三人が同じ壺を前にして、それぞれ違うものを感じ取っています。
ここは、ぜひ注目して読んでいただきたい場面です。
墓の前で交わされる翔一と健太の掛け合いや、夕食の食卓の場面も、書いていてとても楽しかったです。
戦いの合間にも、彼らには「普通の高校生の夜」があります。
その日常が、後半の絵巻の場面と並んだとき、どんな温度差を生むのか。
そこも含めて、お楽しみいただければ嬉しいです。
今話の時刻は、七月二十六日の夕暮れから夜です。
第1話と同じ日の出来事として読んでいただくと、章全体の構図が見えやすくなります。
それでは、第2話「墓の中の遺物」をどうぞ。
七月二十六日、夕暮れ。
寿満寺の境内には、昼間の熱がまだ石畳の底に残っていた。
蝉の声は、昼のあいだの勢いを失い、途切れがちに響いている。
山の稜線へ沈みかけた夕日が、墓地の石を一つひとつ赤く染め上げていた。
特別合宿も終盤に差しかかっている。
慎悟たちは住職・池口寿蒙に導かれ、墓地の奥へと足を進めていた。
目的は、以前から寺に住み着いている老猿が、何度も頭を垂れていたという古い無縁墓だ。
墓は墓地の最奥、他の墓石から少し離れた場所にひっそりと立っている。
戒名らしき文字は、長い歳月に削られてほとんど読み取れない。
苔が石の縁を覆い、根元には雑草と、小さな白い花が数輪咲いていた。
禍々しさはどこにもない。
ただ、長い時間に忘れられてきた場所だけが持つ、乾いた静けさが漂っている。
「ここに、何かあるんですか」
慎悟が尋ねると、寿蒙はすぐには答えなかった。
視線だけを墓石へ向け、しばらく黙っている。
その沈黙で、慎悟は察した。
寿蒙自身も、答えのすべてを知っているわけではないのだ。
◇
翼が墓石へ近づき、しゃがみ込む。
指先で石材の継ぎ目をなぞり、眼鏡の位置を軽く直した。
「……ここだけ、接合の仕方が違います」
蓮が隣にしゃがみ、翼の指先を目で追う。
台座の一部に、不自然な長方形の切れ目があった。
「墓そのものっていうより、蓋みたいだね」
「ちょっと待て」
翔一が半歩下がる。
「墓の秘密扉って、だいたい開けたらヤバいやつ出てこない?」
「お前が言うと、本当に出そうだから黙れ」
健太が低く返す。
「俺のせいなの?」
翔一が眉を寄せた。
その掛け合いに、張り詰めていた空気が一瞬だけ緩んだ。
だが寿蒙は、すぐに墓石へ手をかけようとはしなかった。
墓前に膝を折り、両手を合わせる。
誰の墓かも分からない。
それでも礼を尽くす。
慎悟たちもならって手を合わせた。
友紀の隣で、南海もそっと目を閉じている。
長い沈黙のあと、寿蒙がゆっくりと目を開けた。
「では、失礼します」
◇
寿蒙が台座の切れ目に指をかけ、力を込める。
「ゴリ……」
石の擦れる重い音が、夕暮れの墓地に低く響いた。
台座の一部が横へずれる。
その下は、土ではなかった。
小さな正方形の穴。
奥には、石で囲まれた小さな石室が覗いている。
友紀が息を呑んだ。
「……遺骨を入れる場所じゃないよね」
「少なくとも、一般的な墓の造りではありません」
寿蒙が、抑えた声で答える。
慎悟は、気づけば自然と一歩前へ出ようとしていた。
健太もほぼ同時に、慎悟より先へ出ようとする。
「大丈夫です」
寿蒙が片手を挙げて二人を制した。
「邪悪な鬼気は感じません」
懐から護符を取り出し、石室の縁へ寄せる。
護符は燃えない。
黒く変色することもない。
少なくとも、鬼に関わる邪悪な場所ではないということだ。
ただし寿蒙は、それを断定の言葉では言わなかった。
「今のところは、ですが」
その一言だけが、油断するなという警告になっていた。
◇
寿蒙が石室へ腕を差し入れる。
取り出したのは、黒ずんだ布に包まれた細長い木箱だった。
布を解いていくと、古びた絵巻物が姿を現す。
その瞬間、翼の空気が変わった。
「それ……見せてください」
普段は慎重に一歩引く翼が、珍しく身を乗り出している。
「まだ開きませんよ、瓜生君」
寿蒙が苦笑する。
「……分かっています」
そう言いながらも、翼の視線は絵巻から一度も外れなかった。
翔一が蓮へ小声で耳打ちする。
「翼のあの顔、将棋で詰み筋見つけた時のやつじゃね」
「たぶん、それ以上」
蓮が短く返した。
墓地の緊張の中に、ほんの少しだけ、いつもの日常の匂いが混じった。
◇
寿蒙が再び石室へ腕を伸ばす。
今度は両手で、白い陶器の壺を抱えるように取り出した。
高さはおよそ三十センチ。
乳白色の肌に、派手な装飾はない。
蓋には、簡素な紋様がひとつだけ刻まれている。
夕日を受けて、釉薬の表面が淡く光った。
その瞬間だった。
「――カサッ」
歩美の札入れから、乾いた音がした。
「……え?」
歩美が慌てて札を取り出す。
札は、指先の中で小刻みに震えていた。
「また?」
慎悟が振り返る。
「前にも、霊気が強い場所で少し反応したことがあった。でも……これ、鬼が近くにいる時とは違う」
歩美自身、その正体には見当がついていない様子だった。
寿蒙の顔から、いつもの穏やかな笑みが消えた。
視線だけが壺の奥へ落ち、そのまま動かなくなる。
何かに思い当たった横顔だった。
だが、その先は誰も口にしなかった。
◇
美奈子が壺へ近づき、銀玲杖を構える。
杖の先端に、微かな銀色の光が灯った。
「……怖くないです」
美奈子がぽつりと呟く。
「人間の霊気とも違う。鬼とも違います。すごく、静かです」
「静か?」
友紀が問い返す。
「眠っているみたいな……でも、死んでいる感じじゃありません」
続いて莉奈が、光狐の気配をまとって壺の前に立つ。
淡い山吹色の光が、彼女の手のひらに滲んだ。
「……一つじゃないです」
「何がです」
寿蒙が問い返す。
莉奈は壺を見つめたまま答えた。
「中に、いくつもあります」
翔一が半歩後ずさる。
「いくつもって、何が」
莉奈にも、それは分からなかった。
「命とも違うし、霊とも少し違う。一つ、二つ……もっと」
歩美の札は命と回復に、美奈子の杖は霊的な質に、莉奈の光狐は内部に潜む複数の気配に、それぞれ別の角度から反応していた。
誰も、同じ答えにはたどり着けない。
◇
南海が慎悟の袖を、そっとつまんだ。
「慎悟……これ、本当に開けて大丈夫なのかな」
「分からない」
慎悟は正直にそう答えてから、続けた。
「だから、寿蒙さんに任せよう」
友紀が目を丸くする。
「ちょっとは人に任せること覚えたじゃん」
「うるさい」
「褒めてるんだけど?」
友紀が肩をすくめて笑った。
寿蒙が壺を布で包み直しながら言う。
「ここでは開けません」
「ええっ!? ここまで引っ張って!?」
翔一が声を裏返らせる。
「墓場で開ける方が嫌だろ」
健太が呆れたように呟いた。
「夕食のあとにしましょう」
寿蒙の言葉に、皆で墓を元へ戻し、再び手を合わせる。
慎悟だけが、最後にもう一度墓石を振り返った。
ただの古い墓が、何百年もの秘密を守り続けてきた扉のように見えた。
◇
宿坊では、いつも通りの夕食が並んでいた。
炊きたての白米。
具だくさんの味噌汁。
根菜の煮物。
焼き魚と、冷えた麦茶。
墓地で感じた緊張とは、あまりに落差のある光景だった。
「いやー、生き返る。古文書より飯だわ」
翔一が箸を伸ばしながら言う。
「僕は古文書の方がいい」
翼が真顔で返した。
「お前、人生損してるぞ」
「飯食いながら喧嘩すんな」
健太が割って入る。
「これ喧嘩じゃねえから!」
翔一の声に、周囲から小さな笑いが起きた。
事件の余韻が消えたわけではない。
それでも、この食卓の時間は、誰にとっても必要な時間だった。
普通の高校生としての夜が、ここにはまだ残っている。
◇
慎悟が焼き魚へ箸を伸ばそうとした瞬間、脇腹に鋭い痛みが走った。
「っ……」
とっさに顔をしかめる。
友紀が即座に反応した。
「兄ちゃん?」
「また痛むの?」
南海も箸を止める。
「……ちょっとだけ」
「その『ちょっとだけ』、信用できないんだけど」
友紀が眉を寄せる。
「あたしも」
南海が続いた。
「二対一はずるいだろ」
「じゃあ歩美も入れて三対一にする?」
友紀がにやりとする。
「私は慎悟君に無理しないでほしいけど……」
歩美が困ったように口を挟んだ。
「増えた」
慎悟が小さく肩を落とす。
脇腹の奥には、まだ焼けた鉄線のような感触が残っていた。
悪路漢に刻まれた傷は、表面こそ塞がっている。
だが完全に治ったとは、誰も言えなかった。
◇
歩美が何度も時計へ視線を送っている。
「歩美、さっきから何回時計見た?」
翔一が指摘する。
「五回」
健太がぼそりと数える。
「六回」
蓮が付け足す。
「あんたも数えてる翼、記録つけないでよ!」
歩美が頬を膨らませた。
二日後の七月二十八日は、夏の高校野球福江県大会決勝。
清王学園対、甲子園常連の宮王高校。
歩美は選手として立つわけではない。
野球部マネージャーとして、ベンチの片隅から見守るだけだ。
それでも落ち着かなかった。
「なんか……私が試合するわけじゃないのに、落ち着かなくて」
歩美が呟く。
寿蒙が湯呑みを置きながら答えた。
「それでいいのですよ」
「え?」
「支える側も、一緒に戦っていますから」
歩美は少しの間、その言葉を噛みしめるように黙り、それから小さく笑った。
「……はい」
慎悟はその会話を、少し離れた場所からふと聞いていた。
前へ出る者だけが戦っているわけではない。
その言葉が、胸の奥にゆっくりと沈んでいく。
◇
夕食のあと、宿坊は普段通りの夜へと戻っていった。
友紀は素振りの真似事をし、南海はコタの散歩を思い出したように話す。
翔一はゲーム機を取り出し、翼は宿題の教科書を開いている。
綾実と伊織は縁側で静かに言葉を交わし、莉奈と美奈子は洗い物を手伝っていた。
慎悟はその光景を、少し離れた廊下から眺めていた。
この合宿の目的は、戦闘訓練だったはずだ。
鬼への対処法。
回復札の性質。
霊護獣との連携。
だが今、頭の中を占めているのは、それとは違う言葉ばかりだった。
老猿。
無縁墓。
絵巻。
白い壺。
人間でも鬼でもない、静かな気配。
明らかに、鬼との戦いよりもさらに古い何かに触れてしまっている。
「……俺たちが鬼と戦うようになったのは、本当に偶然なのか」
呟いた言葉に、答えは出なかった。
◇
食器を片づけたあと、寿蒙の呼びかけで全員が宿坊の一室へ集まった。
窓の外では、昼の蝉に代わって、草むらから虫の声が細く響き始めている。
中央の座卓には、古い絵巻物と、布に包まれた白い壺が並べて置かれていた。
壺を開けようと言い出す者はいなかった。
「こちらから確認しましょう」
寿蒙が絵巻を手に取る。
翼が座卓の真正面に膝を進めた。
「翼、近い近い」
翔一が小声で言う。
「黙って」
「はい」
寿蒙が絵巻を縛る紐を、慎重に解いていく。
紙を傷めないよう、少しずつ、少しずつ広げていった。
古紙の擦れる音が、静かな部屋に微かに響く。
山の稜線。
寺のような建物。
見慣れない衣装をまとった人々。
さらに絵巻が広げられていく。
異形の獣。
恐竜を思わせる姿の群れ。
会話が自然と消えていった。
部屋の空気だけが、少しずつ重さを増していく。
◇
寿蒙の手が、不意に止まった。
絵巻の中央。
そこに描かれていたのは、巨大な存在だった。
赤と黒に彩られた身体。
人間の女性を思わせる上半身。
恐竜の装甲を思わせる肩と腕。
頭には、王冠を思わせる角が並んでいる。
周囲に描かれた異形の獣たちは、皆一様に、その姿へ頭を垂れていた。
まるで女王を仰ぐように。
友紀が、息を止めた。
南海の手が、膝の上で止まる。
翼の視線が、絵巻から動かなくなった。
蓮の口元から、いつもの笑みが消えている。
綾実の瞳が、わずかに揺れた。
伊織が、静かに息を呑む。
歩美の指先が、袖口を強く握る。
美奈子が、無言のまま銀玲杖を握り直す。
莉奈の顔から、血の気が薄れていく。
寿蒙でさえ、絵巻を持つ手をわずかに震わせていた。
全員が、同じ人物の顔を思い浮かべていた。
だが、名前は誰の口からも出てこなかった。
◇
四百年以上前から、この寺の地下に眠っていたと思われる古びた絵巻。
そこに描かれた、赤と黒をまとう恐竜の女王。
鋭い眼差し。
薄く笑む口元。
長く流れる髪。
見間違えるはずがなかった。
慎悟の脳裏に、一人の少女の顔が重なる。
金津美里。
慎悟が、ほとんど息だけのような声で呟いた。
「……美里」
隣で、友紀の唇が震える。
「嘘……」
誰も、それ以上の言葉を継げなかった。
なぜ、四百年以上も前の絵の中に、今を生きるはずの金津美里の顔があるのか。
答えは、どこにもなかった。
永い時を越えて残されたその女王は、まるで最初から彼女たちがここへ来ることを知っていたように、古びた紙の中から慎悟たちを見つめていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
第2話「墓の中の遺物」、いかがでしたでしょうか。
今話は、あえて静かに進めました。
墓を開ける場面も、夕食の場面も、慎悟の脇腹の痛みも、すべて最後の絵巻へつなげるための助走です。
寿蒙さんの言葉、「支える側も、一緒に戦っていますから」は、歩美に向けたものです。
ただ、慎悟の胸にも沈んでいったはずです。
この言葉は、今後の展開でもう一度、別の形で響いてきます。
そして、ラストの絵巻の場面です。
赤と黒をまとった、恐竜の女王。
その周りで頭を垂れる、異形の獣たち。
全員が同じ顔を思い浮かべたのに、誰も名前を口にできませんでした。
慎悟だけが、ほとんど息のような声で呟きます。
四百年以上前の絵の中に、なぜ、今を生きる少女の顔があるのか。
その答えは、まだ誰も持っていません。
壺の中身も、まだ開けられていません。
さて、次回は、
第3話「四百年前の焔羅」です。
絵巻の中央に描かれた存在の名前が、ついに明らかになります。
その周囲に描かれているものにも、慎悟たちは言葉を失うことになります。
そして舞台は、もう一つの夜へ移ります。
第1話で勝川市へ向かった、あの車列の行き先です。
寿満寺で開かれた過去と、山中の洞窟で開かれようとしている扉。
その二つが、次回で並びます。
引き続き、お付き合いいただけましたら幸いです。
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誤字脱字のご指摘も、いつもありがとうございます。
それでは、第3話でお会いしましょう。




