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第5話:愛しのコレクションとリンゴのパウンドケーキ

レッドの工房兼自宅。

琥珀亭から逃げ帰ってきたレッドは、真っ暗な部屋の中で頭を抱えていた。

「クソッ・・クソッ!!」

 嫉妬。絶望。自己嫌悪。ビビアンが金持ちに囲われていたというショックと、自分の発明品が道楽に使われていたという屈辱が、彼の心をグチャグチャに引き裂いていた。

「俺は・俺はただ、あいつに美味い飯を作って欲しくて、あいつの笑顔が見たくて! なのに、なんで・・ッ」


 その時、レッドの家の強固な魔力障壁付きの玄関扉が、ミサイルでも直撃したかのように木端微塵に吹き飛んだ。

「な、なんだ!?魔力障壁ごとぶっ飛ばすなんて・・」

 爆煙の中から、ゆっくりと歩み出てくる影。それは、片手に木箱を提げた、無表情のシルヴィアだった。

「シ、シルヴィア? なぜここに・・それに、今の爆発は?」

 シルヴィアはレッドの言葉など聞こえていないかのように、無言のままツカツカと歩み寄る。そして、レッドの胸ぐらをガシッと掴むと、そのままの勢いでリビングの壁に叩きつけた。

 壁にヒビが入り、レッドは肺の空気を全て吐き出してカエルが潰れたような声を上げた。

「がっ・・・・・・は・!?」


「・・・聞き捨てなりませんね、その口」

 地獄の底から這い上がってきたような、ドスの効いた声。

「ひっ!」

 レッドは本能的な恐怖に全身の毛穴という毛穴を開かせた。目の前のたおやかで綺麗な女性が、人間の形をした「神災」であることを、細胞分子レベルで理解したのだ。

 シルヴィアは、持ってきた木箱をドサリとレッドの目の前に落とした。

「中を見なさい」

 ガタガタと震える手でレッドが木箱を開けると、そこには、一冊の分厚くボロボロの「家計簿」と、底がすり減って穴が開きかけた「ビビアンの靴」が入っていた。


「・・・姉さんはね、毎日毎日、朝から晩まで休まず働いてる。なのに、自分の服はツギハギだらけ、靴はボロボロ。化粧水の一本だって、ホントは好きな人に綺麗に見てもらいたいのに一番安いもので我慢してるの・・」

 シルヴィアの声は冷たく、そして少し震えていた。

「どうしてだと思う? あんたの作る道具を一つ残らず買うためよ。あの研ぎ澄まされたフォルム、使い手への思索が詰まったその哲学を、世界で一番理解してたのはお姉ちゃんだったの」

「へっ・・・・・・?」

 レッドの思考が完全停止した。


「パトロン? はーん、ギルマスですって? いるわけないでしょう、あんな不器用で男っ気のない姉さんに。この家計簿をよく見なさい」

 シルヴィアが家計簿をレッドの顔面に押し付ける。そこには、食費や生活費を極限まで切り詰め、数ヶ月かけて貯めたお金が、「魔導具購入代(ギルマス経由)」として、一桁たりとも狂わずびっしりと書き込まれていた。さらにその家計簿に書かれた文字は、震える字であったり、にじんでいたり、油跳ねのシミがついていた。

「姉さんは、あんたの才能に誰よりも惚れ込んでた。でも、直接買うのは恥ずかしいし、あんたのプライドを傷つけるかもしれないからって、ヴィンセントに土下座して頼み込んで、自分の人生削ってあんたを支えてきたのよ!この魔道具(やらかし)を抱きしめているところを私が見つけたことがあって、「こういうモノには作り手の魂がこもるから、これを抱きしめていると、レッドに抱きしめられているみたいな温かい気持ちになるって」・・・もう何度・・もう何度泣かされたか・・。それをレッド・・あんた。」


 レッドの目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。

 あいつが、ギルマスの金で買っていたんじゃない。

 あいつ自身が、あのボロボロの靴で働き、血の滲むような思いをして稼いだ金で、自分のくだらない発明品(やらかし)を、一つ残らず買い集めてくれていたのだ。


「世界でたった一人の、あんたの一番のファンなのよ!」

「あ・・あぁ・・・・・・」

 レッドは、自分がビビアンに何という言葉を投げつけてしまったのかを理解し、呼吸の仕方すら忘れるほどの絶望に包まれた。

「お姉ちゃんが・これでは姉ちゃんがかわいそ過ぎる・ッ!!」

 こんどはシルヴィアが、わーわーと子供のように泣き始めた。しかし、その涙とは裏腹に、彼女の右腕には膨大な魔力が凝縮されていく。

「それを・・・あんたはッ!!!」

「ひ、ひぎぃっ!」


 パシィィィィィンッ!!!!

 シルヴィアの渾身の平手打ちが、レッドの頬に炸裂した。その衝撃波はレッドの身体を貫通し、背後の壁を吹き飛ばし、天井の梁をへし折り、見事にレッドの家を一撃で半壊させた。ガラガラと崩れ落ちる瓦礫の音。レッドはあらゆる面で完全にKOされ、白目を剥いて瓦礫の山に沈んだ。


 治癒魔法を施されたレッドが意識を取り戻したのは、きっかり四十分後だった。目の前には、シルヴィアが正座をして待っていた。彼女の傍らには、いつの間にか綺麗に包装された箱が置かれている。


「お目覚めですか。これ、私が作ったお姉ちゃんへの手土産の『リンゴのパウンドケーキ』です。食べなさい」

「・・はい」

 レッドは逆らうこともできず、震える手でケーキを一口かじった。


「パウンドケーキの基本は、『バターのクリーミング性と乳化』です。室温でとろりとゆるんだバターを、ふかふかの雲のようになるまで軽やかに、たっぷりと空気を含ませます。そこに卵をとろりと分離しないように少しずつ忍ばせ、極上のクリームのようにツヤツヤと滑らかになるまで、完璧に乳化させ油分と結びつける。この美しい生地づくりこそが、焼き上がりの『ふんわり』と、口の中でしっとりとほどける極上の食感の秘密なのです・・」

 シルヴィアが淡々とケーキの解説をする背後で、メキメキと音を立ててレッドの家の残りの柱が崩れ落ちていく。


「・・姉さんとあんたも、水と油みたいに反発し合ってるように見えたけど。姉さんは、あんたという人間をしっかり包み込んで、結びつこうとしてたのよ。それを分離させたのは、あんたの身勝手な嫉妬と大バカなプライドです」

「・・・・・・ぐっ、うぅ・・俺が、俺がバカだった・・あいつが毎日、この靴で厨房を駆け回って稼いだ金で食わしてもらっていたなんて・・・ビビアン(あいつ) のあったかい愛情に対して、冷たい態度をぶつけて分離させちまった・・・あんなこと言ったのも嫉妬からだ。もうずっと前から毎日毎日、ビビアン(あいつ)なしじゃ生きられねぇんだ、あいつのメシを食べてずっとずっと傍に居たかったんだ!」ボロボロの靴を握りしめつつ、激高した感情がレッドからようやく発せられると、

「・・・・・お姉ちゃん聞こえた。・・よかったね思い通じて・・」

 レッドは崩れゆく家の中で、パウンドケーキを涙と鼻水で濡らしながら咀嚼した。リンゴの甘酸っぱさが、後悔で胸を締め付けるように痛かった。


「・・・・・・で。これからどうするんですか?」

 立ち上がったシルヴィアがレッドを見下ろして言う。

 レッドはヨロヨロと立ち上がった。家が崩壊したことなど、もうどうでもよかった。今すぐ、あいつのところへ行かなければ。自分の命に代えても、あの笑顔を取り戻さなければ。

「・・・行く。俺は、あいつのところに行く!」

 レッドは顔面蒼白のまま、瓦礫を蹴っ飛ばして走り出した。琥珀亭に向かって、ヨタヨタと全速力で。


 琥珀亭の地下室。ビビアンはまだ、トースターの破片を呆然と眺め、ふかふかのタオルが入った洗濯籠に収めた赤ちゃんをあやしながらしゃがみ込んでいた。

 そこへ、階段を転げ落ちるようにして、ボロボロになったレッドが飛び込んできた。

「ビビアン!!」

「・・・・・・レッド?」

 ビビアンが赤く腫らした目を向ける。


 レッドはビビアンの前まで来ると、土下座の姿勢で滑り込んできた。

「ごめん! 俺が悪かった! 俺が最低のバカ野郎だった! お前が、お前が一生懸命稼いだ金で、俺の魔道具(やらかし)を買ってくれてたのに、あんな酷いこと言って・・本当に、ごめん!!」

 レッドが床に額を擦り付けて泣き叫ぶ。

 ビビアンは驚きに目を丸くし、それから力なく微笑んだ。

「・・・・・・シルヴィアが、教えちゃったのね。ごめんね、レッド。勝手に集めて・・気持ち悪かったよね。重い女だって、引いたでしょ?」


 レッドは勢いよく顔を上げた。

「違う!!引くわけないだろうが!!むしろ・・むしろ俺は、お前が俺の一番の理解者だって知って・・嬉しくて、情けなくて、死にそうだよ!」

「お前・・あそこのコレクション棚の、一番真ん中が空いてるだろ」

「え? う、うん」


 レッドはビビアンの真っ直ぐな瞳を見つめ返し、大声で叫んだ。

「そこへ製作者オレを置け!!俺が、お前のコレクションの最後の一つだ!!」

「・・・・・・へ?」

「俺はお前の料理がないと生きていけないし、お前も俺の発明品が好きなんだろうが!だったらちょうどいい!だから、一生俺の傍に居てくれ!!」


 それは、ムードもへったくれもない、ヤケクソ気味のプロポーズだった。

 ビビアンは一瞬ポカンとして、それからみるみるうちに顔を真っ赤にして爆発した。

「え、ええーっ!? あ、あんたみたいな偏屈で素直じゃない男の傍にどうしていなきゃいけないのよ!?」

「うるさい!一度納品した俺からの『返品』は認めん! お前のその傷ごと、俺が一生涯保証付きでメンテナンスしてやる!!そして世界で一番美しく輝かせてやる!」

 

 レッドがビビアンを力任せに抱きしめる。しかし、嬉しさのあまり抱き返したビビアンの怪力がさく裂し、勢い余ってレッドの脇の肋骨がボキッと派手な音を立て血を吐く。

「どわあっ!?」

「ああっ、ごめんレッド! 力加減間違えた!」


「わーっ! おめでとう姐さん!」

「やっと春が来たな、このバカップル!」

 いつの間にか、地下室の階段にはゴンザやジェシカ、マーサたち常連客がずらりと並び、クラッカーを鳴らして歓声を上げていた。そのかたわらで、サイキックで洗濯籠ごと引き寄せたシルヴィアが赤ん坊をあやしながら、いつもの穏やかな笑顔で手を振っていた。

「お姉ちゃん、お幸せに♪」


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