第1話:休業のお知らせとお弁当
あの不器用な別れから、数年の月日が流れた。相変わらず王都の下町にある『琥珀亭』は、ビビアンの絶品洋食と豪快な接客を求めて連日大盛況だった。
しかし本日早朝、店の扉には珍しく「しばらくお休みします」という札が掛けられていた。
「……おい。休業って、どういうことだビビアン」
仕込み中の厨房に勢いよく扉を開けて入ってきたのは、赤い作業着姿の天才魔導具職人、レッドである。彼の目の下にはいつも以上の隈が刻まれ、その表情はあからさまに不満げだった。
「あらレッド、いらっしゃい。悪いわね、今日から妹と二人で、北の秘湯へ湯あみ旅行に行ってくるのよ」
ビビアンは荷造りをしながら、あっけらかんと答えた。シルヴィアはジュリアンと幸せな結婚生活を送っていたが、まだ二人の間に子供は恵まれていなかった。
「気分転換も兼ねて、子宝に恵まれるという北の秘湯へお姉ちゃんと行きたい」
という妹の愛らしいおねだりを、ビビアンが断れるはずがなかったのだ。
「ふ、ふざけるな! お前が数日も店を空けたら、俺の胃袋はどうなるんだ! あの脂っこいハンバーグや、無駄に熱いグラタンがないと、俺の発明のインスピレーションが湧かないだろうが!」
「素直に寂しいって言えば可愛いのに。……はいはい、留守中の作り置きはゴンザのおっちゃんたちに預けてあるから、我慢しなさい」
「だ、誰が寂しいなどと……ッ!」
顔を真っ赤にして反論するレッドに、ビビアンは呆れながらも、カウンターの下から一つのバスケットを取り出した。
「ほら、これは道中のお弁当。あんたの分も作ってあるから、お昼に食べなさい。それじゃあね!」
レッドはバスケットを押し付けられ、文句を言いながらも、その温もりに少しだけ口元を緩めて自分の工房へ足取り軽く帰っていった。




