恋敵対視
煌めくエメラルドグリーンのウェーブを帯びた髪と瞳を持つ少女が、個人で雇った探偵からの報告書を読んで…ふるふると震えていた。
「《銀翼館》にメイドっ……⁉︎」
彼女は親の仇と言わんばかりの顔で…その報告書に乗っているメイドの絵を見る。
そんな彼女に紅茶を入れる濃茶髪に翠色の瞳を持つの執事が呆れたような溜息を漏らした。
「メイドぐらいで何をそんなに憤ってんですか」
「憤るわよっ‼︎だって…メイドよっ⁉︎女性なのよっ⁉︎わたくしの婚約者の元に女がいるなんてっ…許せる訳ないわっ‼︎」
彼女は癇癪を起こしながら怒る。
執事は面倒そうな溜息を吐く。
「そもそも…メイドの勤務は住居館なのでしょう?つまり…あの《地獄回廊》をクリアしたんでしょ?そんなのクリア出来る人間なんて、きっとゴリラみたいなムキムキマッチョですよ」
あの《地獄回廊》をクリア出来たメイドなんて…人間ではない。
そう執事は諭すように言うが…恋に盲目な彼の主人は聞く耳を持たない。
「ゴリラなムキムキマッチョでも女でしょっ⁉︎」
「ほら…身体は男で心は女なメイドかもしれないでしょ」
「そーれーでーもーっ‼︎」
「面倒くせぇなぁ‼︎なら、直接確かめに行けよ‼︎」
「………‼︎頭良いわねっ、ブレイン‼︎」
「あー…もう、面倒くせぇ……」
ブレインと呼ばれた彼は、なんだかんだと言いながら…訪問の手配をし始めるのだった……。
そうして…今日も波乱を呼ぶような人物が…《銀翼館》を訪れようとするのだったー……。
*****
ラナは最近の自分がおかしいと思っていた。
ユリウスを見る度に胸が苦しくなる。
ユリウスを声を聞く度に嬉しくなる。
ユリウスに触れられる度に…おかしくなる。
彼のことを目で追ってしまって…自分が自分じゃないみたいで、変な感じがしていた。
「………はぁ…」
「溜息をついてどうしたんだ?」
「うわぁっ⁉︎」
ラナは急に後ろから聞こえた声に思いっきり仰け反る。
そこには今まさに考えていた…ユリウスがいた。
「お、なんだ?焼き菓子か?」
「……そ…そう…だよ…」
キッチンで料理をしていたラナはオドオドしながら頷く。
余計なことに思考が回る時は…料理が一番だ。
その余計なことを考えなくて済むから。
「……ん…美味い。甘い物は得意じゃないから…これは良いな」
ユリウスはパクッとその焼き菓子を摘み食いする。
「………パイだよ…ジャムとかをつけても美味しいの」
ハート型のパイは、見かけに寄らず作るのが簡単なものだった。
小麦粉とバターを混ぜて…そこに卵黄と水、塩を混ぜた物を加えて、寝かせて焼くだけだ。
そんなに手間は掛からないが、色々と用途があるから使い勝手が良いのだ。
「余り甘くないものとか……あるか?」
「えっと…昨日の残りのシチューがあるから…それにでもつける?」
「頼む」
ユリウスはキッチンのイスに座って、子供みたいに楽しそうにラナが用意してくれるのを待つ。
ラナは見られていることに躊躇いを感じながら…手際良く昨日の夕飯の残りであるシチューを温めて、お皿によそった。
ユリウスの目の前に置くと、彼は手を合わせて「頂きます」と呟くと食べ始めた。
凄まじい食べっぷりにラナは瞬きを繰り返す。
「お腹…減ってたの……?」
「まぁな。頭を使いまくったら腹減ったんだよ」
「………何をしてたの…?」
怪訝そうなラナの顔にユリウスはにっこりと甘く微笑む。
「んー……ヒ•ミ•ツ•♡」
「……………説明するのが面倒なだけよね…?」
「正解」
ユリウスはそう答えると、それ以上は話さなかった。
マイペースな彼がこれだけ答えたのだから、充分な答えだろう。
「ご馳走様」
「お粗末様でした」
ラナは食べ終わったお皿を下げて、直ぐに洗い始める。
その後ろ姿を見つめるユリウスは…少し口元に笑みを浮かべた。
「メイド」
「なぁに」
彼が名前を呼ぶが、ラナは振り返らない。
振り返らないラナに拗ねたように…ムスッとする。
「なぁ…メイドってば」
「だから何よ」
やっと振り返ったラナに…ユリウスは嬉しそうに頬を緩める。
「ふふっ…なんでもねぇよ?」
「………はぁ…?」
「ふふっ…なんか、呼びたくなったんだよ」
「…………変な人……」
ラナは首を傾げながら、中断していた食器洗いに戻る。
〝メイド〟なんて呼びたくなるなんて…本当に変としか思えない。
それと同時に…いつまでも呼ばれない〝ラナ〟という名前に……胸に苦い感情が広がる。
ユリウスは立ち上がると、そんなことを考えていたラナの元に向かって歩み寄り……後ろからその手元を覗き込む。
ラナは彼の気配で、側に来たことに気づくが…敢えて振り返らない。
振り返ったら…緊張の余り、どうなるか分からない気がしたからだ。
「………さっきから…どうしたの?」
「うん?」
「その…とっても落ち着きがないから…」
ユリウスが…耳元でフッと微笑む気配を感じたと思うと……。
「…………………えいっ‼︎」
「きゃあっ⁉︎」
彼は思いっきりラナのことを後ろから抱き締めた。
ラナは何が起きたのか理解出来なくて、瞬きを繰り返して顔を真っ赤にする。
「なっ⁉︎えぅっ⁉︎」
「くくっ…面白い声…」
ユリウスは耳元でクスクス微笑みながら、ラナの腰に手を回す。
「ほら…洗って?食器」
「えっ…あっ……」
「待ってんだからさぁ〜…」
(待ってるって何をっ⁉︎)
ラナは思考がまとまらない。
ユリウスの行動は奇想天外過ぎて…何が何だか分からない。
「……………ほら…」
彼の甘い声が耳元に囁かれる。
その声は本当に魔法みたいで……思考が蕩けそうに……。
「何、イチャついてんだよ……お二人さん」
キッチンの入り口に立つのは…バツが悪そうな顔でこちらを見るエヴァだった。
ラナはこんな姿を見られたことになみだめになる。
「エヴァっ⁉︎」
「………空気読めよ、エヴァ」
「いや、我が道を揺るぎなく進むユリウスにそう言われたくないよ」
エヴァは入って来ると、ラナからユリウスを剥がした。
「未婚の淑女に対して無闇に触るのは如何なものかと思うよ?」
「俺のもんだから問題ないだろ」
「いつラナはユリウス様のものになったのっ⁉︎」
「え?初めから?」
しれっと言ってのけるユリウスの言葉に…ラナは耳まで真っ赤になってしまう。
そんなラナの様子を見て、エヴァは困ったような笑みを浮かべた。
『…………あんまり、からかってやるなよ〜?虐めたくなるのが男のサガでもさぁ〜』
と言ったら…この二人は余計に話が拗れるんだろうなぁ…と目の前の二人を見つめる。
先程、剥がしたのにまたユリウスは彼女の身体に腕を回している。
これが本人達が気づいていないっぽいのだから……凄いものだとエヴァはある意味感心する。
そんな時…廊下の向こうから聞こえてくる……凄まじい足音が聞こえて来たのは……気の所為ではないだろう。
「…………………エエエエエエエエエエヴァァァァァァァァァァァァア‼︎」
「うぐふっ⁉︎」
エヴァの身体に凄まじい頭突きを嚙ますノヴァの姿を見たラナとユリウスは抱き合いながら、目を見開く。
ラナは、こんなに怯えるノヴァを見たのは初めてだった。
「どっ…どうしたんだよっ……ノヴァ‼︎」
「あっ……あのっ……あのあのあのっ…」
「落ち着けって……‼︎」
「………………チェルシーがっ…来てっ……‼︎」
「「………‼︎」」
チェルシーという名前に反応するユリウスとエヴァ。
次の瞬間には…その顔は蒼白になっていた。
ラナは「誰?」と首を傾げる。
「メイド、逃げるぞ」
しかし、それに答えるよりも早くユリウスはラナの手を掴み逃げ出そうとする。
だが……ユリウスを逃すまいとするかのようにエヴァが彼の手を掴んだ。
「逃がさないよっ……‼︎チェルシーはユリウス様に会いに来たんだからねっ…⁉︎」
「気の所為だろうっ…‼︎」
「チェルシーが君以外のことで来る訳ないだろっ‼︎」
そんなに怯えて…チェルシーという人はそんなに怖い人なのか?
ラナはユリウスに抱き締められながら、その成り行きを見守っていた。
「と•に•か•くっ‼︎行かないとっ…大惨事がっ…‼︎」
「ちっ…メイドも来いっ‼︎」
「えっ⁉︎」
ラナは無理矢理手を引っ張られて本館に向かった。
本館の総合部門区域にとある応接室の前に…ラナ、ユリウス、エヴァとノヴァの四人で立つ。
目線でお前が行けと合図を送り合う三人を見兼ねたラナは…思い切ってその扉を開けた。
「ユ〜リ〜ウ〜ス〜さ〜まぁぁぁぁあっ‼︎」
「うわっ⁉︎」
ラナは扉を開けると同時に飛び出して来た人物を思わず避けた。
その人物は向かいの壁にぶつかると、頭を押さえながら…こちらに振り返る。
エメラルドグリーンの綺麗な少女…彼女はユリウスを見ると、むすっと頬を膨らませた。
「ユリウス様っ‼︎避けるなんて酷いわっ‼︎」
「そもそも避けてもいない」
「嘘言わないのっ‼︎」
ユリウスは面倒そうに顔を顰める。
エヴァとノヴァは先程の騒動に紛れて一瞬の内に退散していた。
ラナも今の時に逃げればよかったと後悔する。
なんとか逃げ出そうとしたその時……。
「貴女が…メイドのラナ?」
「………‼︎」
彼女に名前を呼ばれて立ち止まる。
弱々しく振り返ると…彼女はまさに敵対心マックスで睨みつけていた。
「……えっと……」
「わたくしはチェルシー‼︎ユリウス様の婚約者よっ‼︎」
「えっ⁉︎」
「貴女がユリウス様を誑かそうとしているのはお見通しよっ…‼︎今すぐメイドを辞めて出て行きない…この〝泥棒猫〟‼︎」
その場に雷が落ちたかのような衝撃が走る。
チェルシーがラナにメイドを辞めろと言ったからではない……。
((〝泥棒猫〟なんて昔みたいな言い方する人、いるんだ……⁉︎))
言葉のセンス的な衝撃だった。
ラナは暫く、その衝撃で呆然としていたが…真顔で否定した。
「いや、生活のためにメイドしてるんで…無理です」
「メイドじゃなくても仕事はあるでしょっ⁉︎」
「仕事で雇ってもらえなかったからここにいるんだけど」
チェルシーはギリッと歯を噛み締めると、ビシッとラナを指差した。
「じゃあっ…どっちがユリウス様のお嫁さんに相応しいかっ…勝負しなさいっ……‼︎」
「…………………はぁ?」
突飛な話にラナは停止する。
ユリウスは目を見開いて呆然としていた。
「わたくしの妻としての能力で…メイドなんていらないと分からせてやるわっ……‼︎」
ラナは頭を抱える。
マイペースなのはユリウスだけで充分なのに。
いや……この人の場合は人の話を聞かない、か…。
どうしてこうも自分の周りには、不幸(?)が訪れやすいのだろうと……ラナは頭を痛くするのだった……。