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9 「瀬奈」

9 「瀬奈」


馬鹿らしい。

坂本と名乗る男が話す言葉を大牙はそんなことを思いながら聞いていた。


(…魔術師?ざけんな、誰がなるか。)


「魔術師になる気がないのなら今すぐこの教室から出て行ってください。そんな方に用はありませんから」


そう、坂本が告げたとき大牙は席を立とうとした。

だが、ふと顔を上げときビクっと身体が震えた。

身体が、動かない。


「……っ!」


まるで金縛りにでもあったかのようだった。


(なんだよ、これ…)


いくら、動かそうとしても身体はピクリとも動かなかった。

額に冷たい汗が流れる。

すると、一つだけ動く箇所があることに気づいた。

瞳だ。

瞳だけは僅かながら動かすことが出来た。

そして、きょろきょろと瞳だけ動かしていると、ふと鋭い視線を感じる。


坂本だった。


坂本は、顔を前方に向けたまま鋭い視線だけを大牙に向けていた。


(あいつがこれをやってるのか…?)


確信はなかったが、そうとしか考えられなかった。

どうにか出来るかぎりの力で坂本を睨みつける。

すると坂本は、ふっと目を細めて大牙に笑いかけてきた。

その瞬間、身体を締め付けていた力が解けた。


「…ではみなさん、全員ここで学ぶ、ということでいいんですね?」


あっと思ったときにはもう遅かった。

完全に退席する機会を逃してしまっていた。


(…まぁいいか、明日から来なきゃいいだけの話だ)


大牙はそう決め、その後の坂本の話を聞き流した。













静まり返った夜道、大牙は一人で歩いていた。


(…本当にあれはなんだったんだろうな…)


虫の声さえ聞こえない薄暗い住宅路の中、ゆっくりと歩を進めながら大牙は考えこんでいた。


(坂本がやっていたんだとしても、一体どうやって…)


そこまで考えていたときだった。

ふと、前方を見るとグレーのパーカーを着た女子高生が大牙の30mほど先を歩いていた。

大牙はその女子高生の背中を見つめた。見覚えがあった。

グレーのパーカーに紺のプリーツスカート。

セミロングの、天然だとおもわれる緩やかなパーマがかかった薄茶の髪の毛。

確かにあの教室で一度だけ目があった女だった。


「…あっ!」


その女子高生が歩いている道の先の曲がり角に、大きな赤黒い物体が揺れ動くのを大牙は見た。

一瞬でわかった。あれは化け物だと。だが、今まで見たきたどの化け物とも比較にならない程デカかった。

驚く暇もなく、化け物は女子高生にものすごい速さで向かっていき、まるで重力など無いかのように、軽く女子高生を吹き飛ばす。

女子高生は吹き飛び、住宅街の塀に激突し、地面に落下した。


(…こりゃ、良くて気絶、あたりどころが悪けりゃ死んでんな)


気の毒に、と大牙が女子高生を見つめたときだった。

女子高生が細い身体を懸命に動かし、白い紙へと手を伸ばしているでは無いか。


大牙は少し驚いた。あの衝撃で意識を保っているとは、女子高生の生命力に感心した。


先程から、女子高生は白い紙に手を伸ばしているが、あと数センチ届いていなかった。

その間にも化け物は女子高生に近づいてきている。

女子高生は白い紙に手を伸ばすのを諦め、小さな身体を丸めた。

遠くから眺めている大牙にも分かる程に、背中を震わせていた。拳を強く握りしめ、ただ、震えていた。


生きるのを諦めたのだろうか、と大牙が思って眺めていると、女子高生の表情が僅かながら見て取れた。

違う。

諦めたのでは無い。

大牙は先程の自分の考えが間違っていたことに気づいた。

彼女は、悔しいのだ。

このまま、自分の命があの化け物に奪われるのが。

歯を食いしばり、瞳は、強い意志を感じさせるように美しく光っていた。

大牙はその瞳に見入ってしまった。

こんなにも人の瞳が美しいと思ったのは初めてだった。

その瞳の輝きをあの化け物に奪われてしまうのは、なんだか惜しいと思った。こんな感情を抱いたのも初めてだった。

考えるよりも先に身体が動いていた。










彼女を助け、細い路地裏に降ろすと彼女は驚いていた。

そして、大牙の頭を若干震える手で指差してきた。

しくじったな、そう思った。

予想通り、頭に手をあてるとニット帽が消えていた。代わりに獣のような耳に触れた。

女子高生は困惑の色を浮かべている。

ちっと心の中だけで舌打ちをすると、そのままどこかへ行こうと考えた。

だが、以外にも彼女は大牙を引き止めてきた。


「…あの、助けてくれて…ありがとう…」


大牙はそれに反射的に「…おう」とだけ答えた。

内心では、彼女の瞳に見入ってしまっていた。真近で見ると輝きは増して見えて、まるで夜空に輝く月のようだと思った。

だが、その瞳はひどく儚げで触れれば壊れてしまいそうだった。

それゆえ、直視することが出来なかった。


その後、いくつか彼女と言葉を交わした。

彼女は瀬奈と名乗った。会話をした感想は、変な女、だった。それゆえ、おもしろそうな女だととも思った。

気づけば大牙は笑っていた。他人に笑いかけたのは何年ぶりだろうか。


瀬奈に別れを告げ、彼女から受け取ったパーカーを頭だけにかぶると、ふとあることに気づいた。

これは、いつ返せばいいのだろうか。しかも、自分の名も名乗り、会話の内容も、これからよろしく、的なものだった。

ということは、大牙は明日もあの魔術の塾にこのパーカーを瀬奈に返すために行かなければならない。

しまった、と思ったが、いまさら振り返ってもすでに瀬奈の姿は無い。

ふぅ、と短くため息を吐く。

だが、別に行ってもいいかな、と思えた。

そう思っている自分に気付き、大牙は驚いた。

あの変な女に出会ったからだろうか。

大牙はひとりでに少しだけ微笑んだ。

あの瀬奈という少女が、自分のこのひどく暗い未来を月のように照らしてくれる気がした。

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